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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/02/07

古代マケドニア2 ペラの唐草文


ペラの唐草文と言えば鹿狩りの外側の文様帯だろう。

鹿狩り 前4世紀末 ヘレネの略奪の館出土 
『ギリシア美術紀行』は、モザイクのもう一つの生命は、中央画面の幾倍かの面積をもつ周囲の草花文様モザイクにある。花冠を描いて有名なシキュオンの画家パウシアスとの関連から(プリニウス XXⅠ 4;XXXⅤ,125)、「パウシアスの渦巻文様(スクロール)」といわれるこの花をあしらった蔓草文様は西は南イタリアのアプリアの壺から、東はブルガリアの有名なカザンラクの古墳壁画に至るまで、ヘレニズム世界全体を覆い尽くすほど流行した装飾モティーフである。しかしこのペラのものほど立派で精巧な作品を私は知らない。右上隅と左下隅に粘土をもつ、アカンサスめく巨大な2株の植物が、残りの両隅まで蔓と草花を、一見規則的に、しかも生動を秘めた発条(ぜんまい)かコイルのように生い茂らせている。装飾的な意匠の高度の洗練化とそれを実現させている完璧な技術という。
茎は文様帯の幅いっぱいに左右に蛇行しながら1辺の端から端まで繋がっている。
しかし、パウシアス・スクロールと呼ばれるように、茎の繋がりよりも、茎のあちこちから分かれた巻きひげの1本1本が旋回して、文様帯の隙間に広がっている。
両側へ伸びていく2本の茎の根元にはアカンサスの株がしっかりと描かれている。葉の表側と裏側を、色を変えて表現している。
ここでパウシアス・スクロールの法則を発見!最初に枝分かれした巻きひげだけが、リボンのように薄く幅があり、渦巻くたびに表面と裏面が見えるような描き方をしている。
やっぱりそうだ。ほかの巻きひげは、3列の白石でのみ表現され、表裏がない。
茎の先端は次の角で、それぞれが優美な表裏を異なる色で表され、立体感さえ感じる半パルメットとなり、左右2つで1つのアンテミアとなっている。

花模様の床モザイク 前4世紀 ダロンの神域、南西トロス出土
円形のモザイクは巻きひげが目立つ。中心部分が残っていないので、どんなものから茎が伸びているのか、その茎が何本だったのか、よく分からないのが残念。
しかし、中心から出た茎は巻きひげや花を出しながら伸びているので唐草と呼んでよいのでは。
渦巻が目立つのは、巻きひげの数が多いのと、丸石を4列並べた、幅の広いものだからだろう。
また、鹿狩りのモザイクの文様帯の巻きひげとの違いは、旋回しながら伸びるのではなく、内側に渦巻いているだけである。鹿狩りのモザイクより以前の制作だろうか。

植物の舗床モザイク部分 前3世紀初頭 ダロン神域、公共建物出土
部分的にしか残っていないが、ひょっとすると、鹿狩りのようなエンブレーマの周囲の文様帯だったかも。
 
花柄も巻きひげも1本の茎から出ているので、唐草文だろう。
巻きひげはアカンサスの葉から出て、一番上は半アンテミアとなり、その下の小さな巻きひげは蕾または実をつけ、一番下のものは2つに分かれて旋回している。部分的にパウシアス・スクロールが表されている。

テーブルの天板 石に象嵌 家庭の宴会室(アンドロン)出土 時代不明 ペラ考古博物館蔵
『Pella and its invirons』は、幾何学文様と植物文様があるという。

 
拡大すると、外側から、波頭文と蔓草文の文様帯、卍繋文の文様帯、蔓草文の文様帯、その中に正方形になった卍繋文の文様帯が、どうやら石を刻んで白い何かを象嵌して作られているようだ。

この2連の蔓草文は、ペブル・モザイクで表されたものとは全く異なった葉や花で構成されている。しかし、文様全体の写った画像を見ると、一定の幅の中を蔓が蛇行して葉や花を出すことの繰り返しの文様帯で、唐草文とはいえない。
 

ここではある場所から茎や蔓が伸びて、葉・花・巻きひげなどを出しながら、その先には終わりがある蔓草文を唐草文と呼んでいる。それは今回のギリシア旅行でアカンサス唐草を基準にしながら、唐草文の最初期のものを追っているからだ。

黒陶カリクス 前4世紀 ペラ考古博物館蔵
唐草文の定義からすると、こちらも同じ文様を繰り返して器体を一周するだけの蔓草文ということになる。
 

赤絵式壺 前330-325年頃 東部墓地出土 ペラ考古博物館蔵
このような壺には神話の主題などが描かれているのだが、私の興味は上下の文様帯や把手周辺の植物文にしか向かない。
 
把手下の上下のアンテミアから左右に蔓が伸び、巻きひげを出し、新たなアンテミアを蔓で囲みながら更に伸びていく。

アンテミアから出た蔓に付いている目が回った横向きの鳥のようなものは、アカンサスの葉と巻きひげや小さな葉かも。
上の蔓から別の蔓が分かれて、上方向に伸びて葉や巻きひげを付けている。風変わりな唐草文ということができるだろう。
 

現在のところ、エピダウロスのアスクレピオス神殿(前380-370年頃)の軒飾りに表されたアカンサス唐草の最古のものだ。
その年代からすると、ペラ考古博物館蔵の東部墓域出土赤像式壺のアンテミアから伸びた唐草は後の時代のものだが、枝分かれしてそれぞれの蔓が空間を覆うように成長していくという点では別の唐草文とも考えられる。
果たして、このアンテミアから出た唐草文はどこまで辿れるだろうか。

  古代マケドニア1 ヴェルギナの唐草文←  →古代マケドニア3 ベッドにガラス装飾

関連項目


古代マケドニア6 粒金細工・金線細工
古代マケドニア5 黄金製花冠とディアデム
古代マケドニア4 墓室の壁画にも蔓草文
アカンサスの葉が唐草に
アカンサス唐草文の最初は?
ペブル・モザイク2 ペブルからテッセラへ
ペブル・モザイク1 最初はミケーネ時代?


※参考文献
「Pella and its invirons」 Maria Lilimpaki-Akamati・Ioannis M.Akamatis 2003年 MINISTRY OF MACEDONIA-THRACE
「唐草文様」 立田洋司 1997年 講談社選書メチエ94