ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2014/02/11
古代マケドニア3 ベッドにガラス装飾
オリンピア考古博物館にはフェイディアスの仕事場からの出土物を展示する一室があり、そこではガラスや土の型などが並んでいて、ガラスの部品を組み合わせて、アンテミアを作っていたようだということはわかった。
このようなガラスがどんなところに使われていたかというと、『OLYMPIA』は、玉座は金、黒檀、象牙、輝石、そしてガラスの象嵌を装飾部品として造られたという。
フェイディアスは、同遺跡のゼウス神殿に安置する巨大なゼウス像を制作するために、同神殿の近くに神殿主室(ナオス)と同じ大きさの仕事場を設けていたのだった。それは前5世紀中葉のことだった。
ゼウス神殿についてはこちら
オリンピアでこのような初期クラシック期から盛期クラシック期の移行期のガラス部品を見たのも忘れてしまった頃に、古代マケドニアの都ペラで、後期クラシック期のガラス部品を目にすることになった。
この様々なガラスが何を表すものに取り付けられているのか、想像する余裕さえなく、ひたすら写真を撮り続けて、どうも四角いガラスに金箔が貼り付けてあるらしいが、それが展示するためのものなのか、出土時にすでにガラスに貼り付けてあったのかさえわからなかった。ゴールドサンドイッチガラスではないだろうと思いながら撮ったが、ピントが合っているかどうかが気がかりで、アンテミアを形成するガラスの部品のことは記憶の外にあった。
帰国後、このように長々とまとめていてようやく気付いたのだった。ペラのどの墓域のどのような人が葬られていたのか、説明パネルを写し忘れたため不明。
その下側。
フェイディアスの仕事場から出土したアンテミアの型や、
おそらくガラスの原料が多すぎて型からはみ出したために仕事場に残された不良品、
などと比べると、ペラ考古博物館蔵のガラスのアンテミアはより優美な形になっている。
結局この写真はピントが合いきらなかったためにこれ以上拡大できないのだが、考古博物館の説明板には金箔の貼り付けられたガラスとあった。
それぞれ異なった人物像などを金箔で象り、ガラスに貼り付けたと考えられているようだが、それにしては金箔が立体的で、皺が寄るということにもなっていない。金箔よりも分厚いものだったのだろう。
テッサロニキ考古博物館で似たようなものがあったが、ガラスは残っていなかった。
金の厚箔飾り 前4世紀後半 セデス、Γ墓出土 テッサロニキ考古博物館蔵
『THE GOLD OF MACEDON』は、元は透明ガラス板で覆われていた。これらは、今は残っていないが、木や他の素材でできたベッドの足を飾っていたという。
金箔はgold leaf、ではgold sheetは日本ではどう呼んでいるのかわからない。金箔よりも熱いようなので、金の厚箔とした。かなり以前に、金箔を使うコアガラス作家・田上惠美子氏の個展で、金箔にもいろんな色があると教えてもらった時に、確か金箔より厚いものの名称も聞いたような・・・ 思い出せない!
また、covered by transparent glass plaqueをそのまま訳したが、ペラ考古博物館で見たもののように、浮彫のような表面の状態と、ガラスがなくてもほぼ形が残っているので、ガラス板に膠などの接着剤で貼り付けられていたのだろう。
それぞれ異なった3人の像で、浮彫のような凹凸がある。金の厚箔を型押しして作ったのだろう。
この丸いものはglass ophthalmoiと書いてある。ガラスの目玉でええのかな。
これはもっとピンボケなのだが、裏側か内部に金箔があるような・・・
金箔とガラスといえば、例のアレクサンドリア出土の金箔入りガラス碗(プトレマイオス朝時代、前300-250年頃)。古代マケドニアでは残念ながら截金や金箔を挟んだガラスというのは見なかった。
これらの部品は、墓主の木製寝台の装飾品だった。
展示ケースには、寝台の下に小さな紙がおいてあった。それは別の墓の彩画寝台の写真だった。
寝台の彩画装飾 前4世紀末 ポティダエアの小さな墓出土 大理石に彩色 テッサロニキ考古博物館蔵
『GUIDE TO THE ARCHAEOLOGICAL MUSEUM OF THESSALONIKE』(以下『GUIDE』)は、寝台の足は赤い色で彩色され、丸い空白の箇所は盗掘で失われたが、ガラスの目があった。中段にはグリフィンの組み合わせが3つ描かれた。
このような装飾は、ヴェルギナの王墓や他の多くの墓で、木製の寝台を象牙で装飾したもののイミテーションであるという。
ヴェルギナでは二部屋続きの墓(前3世紀後半)の寝台装飾の彩画にあった。脚のガラス装飾も描かれている。
では、ペラのこのガラス製の装飾部品は、象牙の代替品だったのだろうか?ということは、フェイディアスの仕事場に残されていたガラスの部品も象牙の代替品?しかし『OLYMPIA』は、玉座は金、黒檀、象牙、輝石、そしてガラスの象嵌を装飾部品として造られたと、象牙もガラスも使っていたらしい。
2頭の向かい合う鳥グリフィンが、鹿のような動物を襲っている。その下には獅子グリフィンが描かれる。
ペラ考古博物館にある寝台にも、似た構図の装飾があった。『GUIDE』は、鹿を襲う2頭の鳥グリフィンは、粘土に金箔を貼り付けたものという。
獅子グリフィンと闘う戦士もあったが、寝台の復元にはないものだ。
寝台の脚台カバーはファイアンス製。
まさかゼウス像の制作現場だったフェイディアスの仕事場に残っていたガラスの装飾部品が、時代の下がったペラの墓の寝台にも使われていたとは。
何でも写真に撮ったり、書籍を買ったりしておくものだと思うのはこんな時。
古代マケドニア2 ペラの唐草文← →古代マケドニア4 墓室の壁画にも蔓草文
関連項目
古代マケドニアの遺跡9 ペラ考古博物館3 ガラス
古代ガラス展5 金箔ガラスとその製作法
オリンピア4 博物館1 フェイディアスの仕事場からの出土物
古代マケドニア6 粒金細工・金線細工
古代マケドニア5 黄金製花冠とディアデム
古代マケドニア1 ヴェルギナの唐草文
※参考文献
「OLYMPIA THE ARCHAEOLOGICAL SITE AND THE MUSEUMS」 OLYMPIA VIKATOU 2006年 EKDOTIKE ATHENON S.A.
「Pella and its invirons」 Maria Lilimpaki-Akamati・Ioannis M.Akamatis 2003年 MINISTRY OF MACEDONIA-THRACE
「GUIDE TO THE ARCHAEOLOGICAL MUSEUM OF THESSALONIKE」 JULIAVOKOTOPOULOU 1996年 KAPON EDITIONS
「THE GOLD OF MACEDON」 EVANGELIA KYPRAIOU 2010年 HELLENIC MINISTRY OF CULTURE AND TOURISM