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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/06/16

新羅仏の透けた着衣はやっぱり唐の影響?


掘仏寺址の四面石仏の南面二立像や、塔谷(タップゴル 탑골)磨崖彫刻群の中で特異な丸彫仏立像の着衣もさることながら、着衣を通して身体の線がよくわかる。そして腰が極端に細いというのは新羅仏としては不思議な気がした。インド的な作風のように思う。しかし、朝鮮半島も日本も、仏像の様式は中国から将来したはず。  
そこで、中国の8世紀中頃までのものについて調べてみた。その根拠は以下の通りです。

『世界美術大全集東洋編10高句麗・百済・新羅・高麗』は、統一新羅(668-935)は高句麗と百済の文化を吸収すると同時に、唐(618-907)の文化を全面的に受容し、三国時代とはまったく異なる美術様式をみせるようになった。統一後の679年、慶州に四天王寺が建立され、感恩寺、望徳寺、甘山寺と続いて建立された。しかし、三国時代のように大規模ではなく、双塔をもつ独特の伽藍配置が登場することになる。8世紀中葉になると、独特の構造と優雅な文様と音色で朝鮮鐘と呼ばれる梵鐘、仏国寺三層石塔(釈迦塔)のような新羅の典型的な石塔、十二支像のレリーフをもつ護石を配した陵墓制度、禅僧の舎利塔である浮屠など全ジャンルで独自性が発揮されるようになる。この時期に確立された美術は高麗、朝鮮王朝となって持続され、韓国美術の母体となったといえよう。
こうした環境のなかで、降魔触地印釈迦如来成道像と如来形智拳印毘廬舎那像が大きく流行し始め、今日まで続いている。この2種の如来像が持続して造られたのは、東アジアでは韓国だけである。こうした事実は、8世紀中葉になると新羅は唐の影響から脱皮し、独自の道を歩み始めたことを意味する
という。

8世紀中葉までの仏像は、

1 廬舎那仏右脇侍菩薩 洛陽龍門石窟奉先洞 上元2年(675)
『世界美術大全集東洋編4隋・唐』は、腰が極端にくびれている上に下半身が細く弱く、ややバランスを失しているという。体の線が着衣を通してわかり、しかもくびれのある体型で、左横の阿難像のずんぐりした体型とは全然違う。だから同時代にいろんな作風があったのだ。
ともあれ、新羅の細腰仏像によく似た仏像が7世紀後半に造立されていたことがわかった。2 観音菩薩立像 石造 唐・神龍2年(706) 243.8㎝ アメリカ、ペンシルヴェニア大学付属博物館蔵 
よく、わが奈良時代の傑作、奈良、薬師寺東院の『聖観音立像』と比較される、ほぼ等身の直立した雄偉な作品であるが、そこには一種のマンネリズムともいうべき気分がうかがえるという。確かに両腕から垂れ下がる天衣や、脚の間のどうでもいいような衣文線など形骸化が見られるが、このような体型の仏像伝わったのだろう。3 立仏像 洛陽市龍門石窟奉先寺洞 開元10年(722)
菩薩像より50年ほど後のものだが、右より2つめの像の着衣の裾がV字形になっている。この像は他の像と異なって通肩である。この像の様式が新羅に将来されたかどうかはわからないが、裾がV字形になっているものが中国にもあったのだ。
また、『慶州で2000年を歩く』は、9世紀に入り新羅中央の力が弱まると、慶州の芸術活動の勢いも落ちてきた。それにたいして、地方では新たな勢力が伸び、かえって芸術活動が盛んになった。しかし石仏は貧弱になり、台座の身体のバランスが合わなくなる一方で、光背や台座などはかえって繊細になってしまった。慶州ではこの時期の石仏は見られないようだという。

『世界美術大全集10高句麗・百済・新羅・高麗』によると、8世紀前半の代表的作品としては、甘山寺の石仏2体があげられる。719年に貴族、金志誠の発願によって造られた石造阿弥陀如来立像と弥勒菩薩立像で、光背に長文の銘文が刻まれており、資料的価値も高いという。では、統一新羅の仏像はどうか。

4 阿弥陀如来立像 慶州市甘山寺伝来 統一新羅(720年頃) ソウル国立中央博物館蔵
阿弥陀如来像は通印で、身体に法衣が密着していることから身体の線が目立ち、並行するU字形衣褶によって、身体の上部と両脚の量感を強調している。この様式はインドのグプタ様式を反映したもので、唐に及ぼしたグプタ様式の深い影響を推測させるという。  5 弥勒菩薩立像 慶州市甘山寺伝来 統一新羅(720年頃) ソウル国立中央博物館蔵 
弥勒菩薩像は三曲姿勢をとり、華麗な装飾と裙衣をはいた形式など、独尊像としては中国でも見られないほどインド的な要素が強い。8世紀に入ると新羅ではしだいに唐(盛唐)様式が受容されたが、インドからの直接的な影響も完全には否定できないという。四面石仏南面二立像が4・5とそっくりとは言い難いが、このような将来されたばかりの様式がこなれた頃の作品かも知れない。 
果たしてインドから直接造像様式が将来されたのだろうか。

※参考文献
「世界美術大全集東洋編4隋・唐」(1997年 小学館)
「世界美術大全集東洋編10高句麗・百済・新羅・高麗」(1998年 小学館)
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)