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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2020/01/21

エルコラーノ ネプチューンとアンフィトリテの家


㉙ネプチューンとアンフィトリテの家(Casa di Nettuno e Anfitrite)
『THE EXCAVATIONS OF HERCLANEUM』(以下『HERCLANEUM』)は、アウグストゥスの時代にオプス・レティコラトゥムで建設されたという。
オプス・レティコラトゥムはよく見かける石材を網目積みした壁のことである。
邸宅の現状と想像復元図(説明パネルより)
入ったところの2階の通路の炭化した柵と窓側に残る壁画。柵の上を縦に通過する壁面がどういう構造なのかよく分からない
第4様式の壁画
それは邸宅に増築された食料品店だった。木製の間仕切りと上階の柵などが炭化して残っている。間仕切りの上の部分は斜め格子の細い組子だったのかな。
下階に残る貯蔵用大甕やアンフォラ。

住居へ進むと大理石の雨水だめのあるアトリウムがあるが、皆素通りしていく。
『HERCLANEUM』は、列柱廊や庭園もない、小さめの家である。アトリウムの向こうは小さな応接間という
人の往来する空間が、当時の主人の応接間だった。

一番奥は、優美なモザイクで装飾されたトリクリニウム-ニンファエウム(ダイニングルーム兼泉水堂)で、前のコの字形のところに3名が寝そべって食事をした。

壁面の両側の壁には庭園が描かれているという。
前に低い柵が巡り、そのところどころを半円状に凹ませ、捻れた柱の上に植木鉢を置いている。その奥には多彩な植物が茂り、小鳥たちの楽園となっている。
草木の緑色がかなり変色しているので、背景がこのような柿色ではなかった可能性もあるが、オプロンティスのポッパエア荘(第4様式)の背景も柿色だった。

庭園画の間には、貝殻で縁取りされた、ネプチューンとアンフィトリテの立像の祀堂がモザイクで表されている。
一番上の文様帯は、頁岩の鱗屋根のよう。その中の文様はツバメ?
その下の扇形のモティーフは、色の異なるテッセラを使い、立体的に表現している。
これが家の名称になったネプチューンとアンフィトリテ。隈取りを効果的に用い、立体的に見える。
このような立体感のある表現は、キリスト教時代に入ると否定され、平板な絵画となっていく。古代の絵画表現がルネサンスまで受け継がれたのではない。
ついでに細部の画像
扇の先から出る装飾まで細かく表されている。
波文は舗床モザイクの縁飾りによく使われてきた。
両脇の付け柱の柱礎にアカンサスの葉。扇形を支える植物文様にはロゼッタ文のモティーフが配置されている。

側面はニンファエムで、中央のアーチ状壁龕には土台が残り、両側に角形壁龕がある。
葉綱にはクジャクがのっている。リボンの表現もみごと。
右側にも葉綱にクジャクが乗り、葉綱を留めたところから垂れるリボンの下には犬に追いつかれて振り返るシカのような草食獣。
各壁龕の間には葡萄の蔓の文様
葡萄の蔦
半円状壁龕の中にもモザイク装飾が残っているようだが、確認できるのは緑の帯だけ。
邸宅というほどでもない家にしては、このモザイクのトリクリニウム-ニンファエムは確かに豪華過ぎる。

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関連項目 
エルコラーノ2
エルコラーノ1
エルコラーノ 板仕切りの家
ポンペイ14 庭園画は第3、第4様式

参考文献
「THE EXCAVATIONS OF HERCLANEUM」 Mario Pagano 2017年 Edezione Flavius
「完全復元2000年前の古代都市 ポンペイ」(サルバトーレ・チロ・ナッポ 1999年 ニュートンプレス)