ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2016/11/18
竹中大工道具館5 道具で知る建築史
前回竹中大工道具館に行った時は、解説を読みながら一回りしただけだが、今回は運良く解説員の説明があったので、いろんな話を聞きながら見ていくと、今まで見えていなかった日本建築の歴史を知ることができた。
鋸が請来されても、あまり良くは切れなかったらしい。大きな木から板に製材するのは大変で、打割製材だったので、釿ではつるなどして板にしたため、無駄が多かったという。
室町時代(15世紀)、中国から二人挽きの大鋸が導入されたことで、挽割製材となった。これで、効率的に板を切り出すことができるようになった。
とはいえ大鋸では1本の木から9枚の板が限界。
16世紀に、日本独自の一人挽きの前挽大鋸が発明された。
前挽大鋸では12枚の板が取れるようになった。
このように薄い板を挽けるようになったことで、建物が飛躍的に進歩した。
棚や床の間がある書院造のような建物が造られるようになり、その後数寄屋造のような細工の細かい建物ができるようになった。
というような説明を聞いて、大徳寺玉林院蓑庵(さあん)をモデルにした造られた実物大茶室構造模型へと誘われた。
残念ながら常設展示図録にはその図版がない。以下のサイトで詳しくわかります。
竹中大工道具館4 大木を板にする←
→竹中大工道具館5 道具で知る建築史
関連項目
竹中大工道具館7 海外の建築と大工道具
竹中大工道具館6 土のしらべ展
竹中大工道具館3 大鋸(おが)の登場
竹中大工道具館2 大工道具の発達
竹中大工道具館1 古代の材木と大工道具
※参考サイト
竹中大工道具館の第1章 茶室解体新書~数寄屋建築のつくり方~
※参考文献
「竹中大工道具館 常設展示図録」 2014年 公益財団法人 竹中大工道具館