ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2014/08/08
獅子座を遡る
ガンダーラの仏や菩薩の坐る台には獣足がついていたり、獅子座のものがあった。
仏坐像 3-4世紀 ガンダーラ 灰色片岩 高さ96.5㎝
『ガンダーラとシルクロードの美術展図録』は、両端にライオンを配した獅子座は西アジアに起源し、王権の象徴であった。仏教でも仏陀や弥勒菩薩の台座に用いられた。衣を台座正面に垂らす裳懸座はガンダーラに生まれ、東漸した表現であるという。
西アジアではどんなところで、何時の時代に獅子座がつくられたのだろう。
探してみたが、獣足ほどには見付けられなかった。
神像台座 後期ヒッタイト時代 カルケミシュ出土 アナトリア文明博物館蔵
『獅子』は、上部の神像は失われている。ライオンはその神の守護役だったのだろう。ライオンのたてがみを引っ張る、口元が鳥の形をした人間は神の従者と思われるという。
ライオンはどちらも口を開き舌を出して、内側の前肢を足の分だけ踏み出している。
柱脚 後期ヒッタイト(新ヒッタイト)時代、前9世紀 カルケミシュ出土 玄武岩 直径55㎝ アナトリア文明博物館蔵
『アナトリア文明博物館図録』は、新ヒッタイトの町は城壁で囲まれ、行政や宗教上の大事な建物は一番高い地点の守りの固い所に、さらに別の壁に囲まれた城砦のように置かれていた。王宮はたいてい中庭を囲んで建物が並ぶ形だった。このヒラニと呼ばれる形はこの時代に特有の建築様式である。方形の建物で、入口には円柱が立っていたという。
これは王宮の入口に立っていた円柱の柱礎だったらしい。やはり内側の前肢を踏み出している。そして開いた口から舌が出ている。
有翼のライオン台座 後期ヒッタイト時代、前8世紀 玄武岩 高さ85㎝ サクチャギョズ出土 アナトリア文明博物館蔵
こちらも内側の前肢を足の分だけ踏み出す形をとっていて、後肢も内側の方が一歩出ている。上の二つの台座も後肢はこんな風になっていたのだろう。
後期ヒッタイト時代には、アッシリアのラマッスに先行する、門の両側の壁面に高浮彫されたライオンの像がある。そのようなライオンから、台座に一対で表されるライオンが生まれたのかと思ったが、そうでもないらしい。
ナルンディ女神像 エラム古王国時代、前2100年頃 イラン、スーサ出土 石灰岩 高さ109㎝ ルーヴル博物館蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、椅子に座す女神で、右手には杯、左手には棗椰子と思われる木の枝を握っている。石の左右には座ったライオン、後部には儀仗を持って立ち上がったライオンが2頭描かれている。台座正面にはパルメット文を中心に2頭のライオンが横になっている。ライオンを聖獣として従える女神という。
四方を随獣のライオンで取り囲まれた女神像である。これまで見てきた獅子座が丸彫りに近いライオン像だったのに対して、ここでは浮彫りで表されている。
このライオンは珍しく蹲踞している。そしてエラム中王国時代(前2千年紀)には丸彫りの蹲踞するライオン像も造られていて、他のところでは見られないライオン像である。
それについてはこちら
それ以前のものととなると、かなり遡った新石器時代のこの像になってしまう。
地母神像 前6千年紀前半 チャタル・フユック第2建築層出土 焼成粘土 高さ20㎝ アナトリア文明博物館蔵
『世界歴史の旅トルコ』は、チャタル・フユックは前7千年紀の新石器時代の集落、1965年までの5年間の調査で12建築層、166の部屋が確認されているが、その中で祠を想起させる建築遺構は63を数えている。出土遺物の中で注目すべきものは、地母神像と呼ばれる土偶である。とくにネコ科の動物をを従えているが、この形態はローマ時代のアルテミス神にも見ることができるという。
側面には後肢も表されるが、後期ヒッタイト時代の台座のようには、内側の脚は表されていない。
新石器時代の地母神像にいきなり辿り着いてしまった。
仏像台座の獅子4 クシャーン朝には獅子座と獣足←
→獣足を遡るとエジプトとメソポタミアだった
関連項目
エラム中王国のライオン像
仏像台座の獅子3 古式金銅仏篇
仏像台座の獅子2 中国の石窟篇
仏像台座の獅子1 中国篇
イスタンブール考古学博物館で思い出した2 アッシリアのラマッス
イスタンブール考古学博物館6 古代オリエント館1
※参考文献
「獅子 王権と魔除けのシンボル」 荒俣宏・大村次郷 2000年 集英社
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館
「世界歴史の旅 トルコ」 大村幸弘・大村次郷 2000年 山川出版社