ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2012/09/11
唐の順陵4 墳丘からの眺め
のんびりと石獣を撮していて、気がつくとおっちゃんは墳丘に登ろうとしていた。
中央に順陵の墳丘、南方の白いポツポツは一対の走獅、東西のほぼ同じ距離の所にも白いポツポツ。北方の集落から出た道の両側にも白いポツポツが幾つかあって、それぞれが石像です。
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登ってまず墳丘の上から一面の麦畑と地平線を眺めた。この広さ!この平たさ!
西安空港(実際には咸陽にある)が近いので、飛行機の騒音は絶え間なく聞こえる。しかし頂上ではひっきりなしにツバメが飛び交って、それを見下ろして眺めている。
そういえばヤツガシラもいたが、撮す前に飛び去ってしまった。
そして来し方。石人や石獣の列を見て回りながら、なんとなく妙に思っていたことを確かめよう。やっぱり墳丘と神道は軸がずれている。
墳丘に一番近い石獅子・石羊・門吏の左右の列は墳丘の軸から等間隔にあるのに、その軸の先に陪葬墓がある。
東側の石獣の列と、その先にある石人の列はほぼ同じ軸上にあるが、西側の石人の列は墳丘の軸よりも東に並んでいる。
グーグルアースで見るとその様子がよくわかる。
地下の墓室へと続く墓道はどこから掘られていたのだろう。
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石人の列の中央と、天禄なとが並ぶ神道とは同軸上にあるようなのに、途中で軸が変わるというのは変。
則天武后が皇帝となって、母楊氏の墓を陵に改修するにあたって、墳丘の前方に陪葬墓があったために、墳丘の軸からずらして石人石獣の列を並べたのだろうか。
南西に目を向けると、麦畑のあちこちに小さな墳丘がある。
墳丘の西側。遠くに白い石像があるようだ。東側はビデオには映っていた。頂上からは何かわからなかったが、後で東門と西門があったと王さんから聞いたので、それぞれの門の外側を向いた獅子だったのだろう。
墓室は地下にあるので、墳丘の上には何もない。この妙な石は誰かが持って上がったのだろう。
北側のビニールハウスの向こうに北門があったらしく、石像が少し見えている。
王さんが道路にタクシーを停めて待っているのが見えた、墳丘は四隅から登山道がついているが、どこも急なので、登った道から下りることになった。
下りたら南東の角だったので、麦畑の狭い畦道を通らせてもらうことにした。
振り返ると石獣・石人の列、そして遠くに走獅や天禄が見える。この辺りが南の方からの神道の正面になるのだろう。
この先も麦畑は続いていた。
つづく