フンと言えば、375年の民族の大移動のきっかけを引き起こした民族である。『クロニック 世界全史』は、ロシア内陸部を根拠地としていた遊牧民族のフン族が、騎馬の響きもたけだけしく、ヴォルガ川を渡って西に進んできた。この脅威から逃れようと、ドナウ川北岸の西ゴート族約6万人がローマ領内に侵入を開始した。これが「ゲルマン民族大移動」の発端である。 ・・略・・
382年、アラリックを王に立て、イタリア攻撃などをへて、410年ついにローマ市を占領するという。
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、フンが匈奴と同族かどうかという問題は、以前から多くの研究者によって議論されているが、諸説を総合して妥当な見解をまとめると、次のように要約できるだろう。2世紀に中央アジア北部に移動していた匈奴の一部あるいは匈奴とつながりのあった部族が、西進する過程でさまざまな民族を包含し、東ヨーロッパに現れたときには、当初の「匈奴」は支配部族ではあったが比率のうえではすでに少数派になっていたであろうというものである。
フンの征服過程をたどっていくと、別の部族を追い出すのではなくつぎつぎと飲み込んでいく、すなわち玉突きではなく雪だるま式拡大とでもいったほうがふさわしい。フンの最盛期の中心は従来ハンガリーあたりにあったとされているが、それも荒らし回られたという被害者意識の強いヨーロッパ中心史観の産物であるという。
フン族が作ったとされる粒金や象嵌細工は他にも発見されている。
獣頭形首輪装飾(1対) 銀・ザクロ石 カザフスタン、カラ・アガチ出土 フン(4世紀末~5世紀) エルミタージュ美術館蔵
この装飾を首輪の先端飾りとみなす根拠は、サルマタイ時代に首輪の先端を動物あるいはその頭で飾る例が多いことにある。きわめてよく似た金製の装飾が西北カフカスのスタヴロポル市近くで発見されているという。
こちらにも細粒装飾があるが、素材は銀という。ということは、粒金だけでなく、粒銀細工もあったようだ。金の粒を並べて三角形にするというのは他にも見たことがある。技術としては精巧さに欠けるが、丸いザクロ石の間を上下対称の三角形で埋めたり、両顎に歯のように小さな三角形を並べたり、面白い作品に仕上がっている。

『騎馬遊牧民の黄金文化』は、フンの金製品は、筒形ではなく平らな金板(ディアデムなどは芯が青銅でそれに金の薄板を被せてある)に象嵌や細粒細工を施したものの方が多い。
西方ではディアデムの上にキノコ形の装飾が連なる例もあるという。
キノコ形というのは樹木形の変化ではないのだろうか。こちらは極小の粒金を整然と並べてあるが、象嵌した石が不揃いなため、粒金の三角形も不揃いとなっている。

『騎馬遊牧民の黄金文化』は、西方には「し」の字形に丸めた本体に放射状装飾を付けたものもあるが、これはこめかみ飾りではなく胸飾りとする説もあるという。
銀は細粒細工に使われているのだろうか。上の冠の平面的なキノコ形の装飾が、こちらでは立体的なものになっているし、ザクロ石の大きさは揃っていないが、こちらの作品の方が成熟度が高い。
『世界美術大全集東洋編15』は、サルマタイ時代には小さい青いトルコ石を多用し、それに赤いザクロ石や珊瑚などを混ぜる多色象嵌が特徴であったが、フン時代になると一つ一つの象嵌が大ぶりとなり、色もザクロ石や紅玉髄など深紅が基調となるという。
不揃いでも大きいことに意義があったのだろうか。それにしても装飾宝剣とは象嵌の完成度がえらく違うなあ。

※参考文献
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」(1999年 小学館)
「季刊文化遺産12 騎馬遊牧民の黄金文化」(2001年 (財)島根県並河万里写真財団)
「クロニック 世界全史」(1994年 講談社)