法隆寺のしおりによると、中門と回廊は飛鳥時代の建立だ。




『国宝法隆寺展図録』によると、柱の胴張は後漢の四川省楽山岩窟墓や北斉の河北省定興の石柱に類例があるらしい。う~む、見てみたい!

法隆寺のしおりによると、仏教の学問を研鑽したり、法要を行う使節として建立されましたが、鐘楼とともに延長3年(925)に落雷によって焼失しました。幸い正暦元年(990)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に作られているという。青銅製らしき燈籠が講堂の前にあった。


しかし、虹梁上には叉首組をのせ、上の三斗組で棟木を受けるという山田寺の回廊と共通する点もある。

※参考文献
法隆寺のしおり
「国宝法隆寺展図録」(1994年 NHK)