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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/02/29

山田寺東面回廊から連子窓


『奇偉荘厳 山田寺展図録』によると、治安3年(1023)、藤原道長が山田寺を訪れて後、あまり年月を経ずして11世紀前半には、東斜面の土砂崩れによって、東面回廊から南面回廊の東半、宝蔵が倒壊してしまった。発掘調査で出土した東面回廊は、その時の様子を生々しく伝えている。ただ、不幸中の幸いというべきか、金堂の被害は食い止められたようであるという。
写真に撮らなかったが、山田寺の東側には崩れるような山は見当たらなかった。御破裂山が破裂したのだろうか?御破裂山から土石流が押し寄せたのではないかという説もある。山田寺址の東北部に駐車場があるので、宝蔵に続いて、連子窓の出土した東面回廊址の基壇は近い。同展図録によると、回廊外側柱筋に腰壁と連子窓を設ける。東西の回廊は中央の12間目に扉が開く。
1982年の発掘調査では、東面回廊が倒壊したままの状態で出土した。北から13・14・15間目が最も残りがよく、出土材に材を補足して回廊の再現が可能になった。これにより、法隆寺をさかのぼる寺院建築の様相が明らかとなった。基壇は花崗岩や安山岩の自然石を立てて並べる。礎石は、花崗閃緑岩製で、方座と円形の蓮華座を造り出す。蓮華座には12弁の蓮弁が彫られる。地覆石は流紋岩質溶結凝灰岩(榛原石)を使用。扉口は、地覆石を回廊内側に広げ、軸摺穴が穿たれ、穴底には鉄製の軸受け金具と、座軸を保護した金具が残っていた
という。その13~15間目の石組みの様子が再現されている。 昨秋、飛鳥資料館では、『奇偉荘厳 山田寺展』で出土物と新たな部材を組み立てて、当時の回廊を復元展示してあった。ところが、新春に再び訪れると、同じ物が常設展となっていて、カメラ撮影可だった。 3間分だけとはいえ、迫力ある展示です。 そしてこちら側が回廊内部。出土した木材が並べてあった。7世紀の寺院では、本薬師寺、法隆寺など方座や円柱座のみを造り出した礎石や、川原寺のように方座上に円柱座を造り出した礎石はあるものの、山田寺のような装飾的な蓮弁は例がないのだそうだ。単弁の花弁が12枚で円柱の周りを巡っている。組物は平三斗で、大斗上で虹梁と肘木を相欠きに組み合わせる。組物上に断面角形の桁をのせる。虹梁上には叉首組をのせ、上の三斗組で棟木を受ける。棟木と桁に垂木をかける。垂木は丸垂木で一軒(ひとのき)。  ・・略・・  垂木の上に野地板を張り、垂木先端上には瓦座を兼ねた茅負(かやおい)を置き、瓦を葺いたという。本当に古い建物ほどすっきりとした組物やねえ。この中も通り抜けることができます。 こんなものも出土していた。回廊隅部では棟が直角にあたるため、双頭鴟尾をのせていたのだ
という。お寺の塀の隅を思い浮かべても、このような鴟尾がのっていたどうか、よく見ていなかったことが判明しただけだった。出土物とはいえ、現存の法隆寺よりも古い建築物が、復元できるくらいに残っていてなによりです。

※参考文献
「奇偉荘厳 山田寺展図録」(2007年 飛鳥資料館)