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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2020/02/28

渦巻く蔓草文はキリスト教美術にもイスラーム美術にも 


蔓草文様は古代ギリシア時代、エピダウロスのトロス周柱廊の天井には、アカンサス唐草がはっきりと表されていた。その建立時期について『ギリシア美術紀行』は前360-320年、『CORINTHIA-ARGOLIDA』は前365-335年という。
その後美しい蔓草文様は洗練されていくが、蔓草文様の中に人物や動物が入り込むことはなかった。

後期クラシック期からヘレニズムへの移行期

鹿狩り 前4世紀末 ヘレネの略奪の館出土 ギリシア、ペラ
四隅のアカンサスから蔓草は両側に伸びている。
『ギリシア美術紀行』は、モザイクのもう一つの生命は、中央画面の幾倍かの面積をもつ周囲の草花文様モザイクにある。花冠を描いて有名なシキュオンの画家パウシアスとの関連から(プリニウス XXⅠ 4;XXXⅤ,125)、「パウシアスの渦巻文様(スクロール)」といわれるこの花をあしらった蔓草文様は西は南イタリアのアプリアの壺から、東はブルガリアの有名なカザンラクの古墳壁画に至るまで、ヘレニズム世界全体を覆い尽くすほど流行した装飾モティーフであるという。
蔓が渦巻ているのではない。蔓から分かれた巻きひげが、力強く渦巻いているのだ。これはエピダウロスのアカンサス唐草を装飾的に発展させた文様なのだろう。
それにしても、パウシアス・スクロールという言葉をすっかり失念していた。

時代は下がってローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの頃の蔓草文様。

アラ・パチス(平和の祭壇) 前9年 大理石 ローマ、ラータ通り出土
『世界美術大全集5』は、周壁外側の腰羽目に相当する部分は、アカンサスから立ち上がる葡萄と蔦の蔓が左右対称に何本も精巧な浮彫で表され、そのところどころに蠍、蜥蜴、蛙、それに小鳥の巣を狙う蛇や蔦の上に羽を広げてとまる白鳥が配されている。白鳥はアポロの聖鳥で、アウグストゥスを意味するという。
横方向にも縦方向にも蔓は渦巻きながら分かれて伸びていく。
白鳥は蔓の先に留まっているが、他の動物は見つけられない。
蔓草文様の中心にあるアカンサス。浅浮彫だが葉がそれぞれ自由に翻り、その中央に花の茎が伸びている。
一見左右対称のようだが、左側にだけ葡萄がなっている。花もそれぞれに花びらの枚数が異なっている。
当時最高の石工が彫ったのだろうが、このような浮彫は、彫った地を同じ高さに平らに揃えなければならないので大変だと、エジプトのアビドスでみごとな浅浮彫の壁面が残るセティ1世(前1294-1279)葬祭殿の説明を聞いてなるほどと思った。その説明を今でも覚えているのは、アッシリア展で見た浮彫の多くの浮彫地が平らとは言えないものだったからだ。
 

舗床モザイク 古代コリントスの西アナプゴラ村出土 5X9m 後2世紀末-3世紀初
博物館の説明板は、ローマ時代の邸宅の食堂に比定されている。
周囲をケンタウロス、花々、走る野生獣の入り込んだ唐草文が巡っている。
舗床モザイクに、一般的な石のテッセラに加えて、ガラスのテッセラが多く使われているのは注目に値するという。
渦巻く蔓草の中に動物や神話に登場するものなどが入り込むのはローマ時代の特徴で、古代ギリシア期にはなかった。

そして、初期キリスト教時代、
サンタ・コスタンツァ廟周歩廊天井モザイク 360年頃 ローマ
『世界美術大全集7 西欧初期中世の美術』は、ローマ時代の邸宅の食堂に比定されている。実をつけた葡萄蔓で区画を埋め尽くして中央には女性胸像を配し、周辺に葡萄摘みや運搬、葡萄絞りの童子たちを描いたものもある。この周歩廊天井の装飾は当時の世俗美術とキリスト教美術との境界線の曖昧さを示し、世俗美術がそのままキリスト教徒の墓廟装飾に転用された例とみてよいという。
ここにも人物や葡萄の収穫の様子などが蔓草文様の中に入り込んでいる。

サンタ・マトロナ礼拝堂天井モザイク 6世紀 イタリア、サン・プリスコ
カンタロス坏から伸びた葡萄の蔓は、果実を撓わに実らせ、それを小鳥たちが啄んでいる。

サンタ・マリア聖堂祭室外壁フリーズ彫刻 7世紀末頃 スペイン、キンタニーリャ・デ・ラス・ビーニャス
同書は、周辺の地域一帯は、かつてローマ帝国の植民地とされたところで、聖堂自体は、イスラム勢力のイベリア半島侵攻の直前7世紀末の創建と考えられている。
パルメット文や葡萄房、棕櫚の木をかたどった植物のモティーフに加え、孔雀や水鳥それに有翼あるいは無翼の四足獣などオリエント的な生物もみられる。全体に技法的にもモティーフやスタイルの上でも、同じ西ゴート時代のサン・ペドロ・デ・ラ・ナーベ(サモーラ地方)の堂内のフリーズ装飾や、トレドやメリダの各工房で形成された伝統て深くながっている。こうしたオリエント的にモティーフは、ごく初期にビザンティン工人の手により、広く半島各地に伝えられ、スペイン・西ゴートが積極的に摂取、発展させたものであったという。

ベーダ著『聖カスバート伝』挿絵の文様帯部分 934年頃 イギリス、ケンブリッジのカレッジ蔵
同書は、この図は、さらに象牙浮彫りを連想させる装飾枠によって囲まれており、蔓草文様の間に鳥やライオンが確かなペンさばきで描かれているという。

サン・ジョヴァンニ・アル・セポルクロ教会正門 11世紀末 イタリア、ブリンディシ
『教会の怪物たち』は、古代のアカンサス蔓草には、渦巻きが作り出す空間の中に動物、人間などの像を宿すものがある。それらは英語ではピープルド・スクロールあるいはインハビティド・スクロールと呼ばれている。ロマネスク聖堂の扉や窓などの開口部を取り囲む蔓草は、こうした古代のモティーフのロマネスク的再現と言えようという。
入口の左石柱側面
蔓はS字状にうねりながら上方へ伸び、蔓と枠の隙間にはブドウの実と動物の頭部が入り込んでいる。しかも、動物は自身の胴部ともいえる蔓をくわえているのだ。
左石柱外側
蔓草の中には、剣と盾で対戦している兵士たちの上に、有翼のヒポカンポス(半馬半魚)も登場する。
最下部では、上向きの鹿の口から出た蔓が枝分かれして巻き、その中に花が開花しているが、葡萄の花ではない。その上には猛禽類が獲物を狙って見上げている。

キリスト教の広がりと共に西欧へも伝わり、ロマネスク期に至って、その中に人物や動物が登場する楽しい蔓草文様となった。

ドラド修道院の3番目の工房について『Sculptures Romanes』は、トゥールーズ地方の審美眼は、「人のいる葉飾り」という主題で蔓草や葉飾りの中に怪物、動物そして人物を表した浮彫が、頂板や柱頭のフリーズに表した。それは12世紀後半を通して、2番目の工房とサンテティエンヌの彫刻師ジラベルトゥスの繊細さ、更にサンセルナン聖堂回廊優美な怪物の柱頭によって、トゥールーズに2世代も早く出現した。音楽を奏でる動物、曲芸、ライオンと闘う戦士とリラを持つロバという4つの寓意的な場面を表す彫像柱の柱頭は、人物が姿を消す傾向にある。後に植物が動物と争うようになる。しかし、その具象表現は、頂板の図柄とは反対に、ゴシック美術と結びついたという。

人物の登場する蔓草文様 12世紀中葉 透彫 石灰岩 2組の柱頭、2本の円柱の上 ドラド修道院 トゥールーズ、オーギュスタン美術館蔵
説明パネルは、密生した蔓草に鳥や獣と、闘う人物たちが登場しているという。
2本の円柱の上に三方が蔓草文様が浮彫され、それが2組ほぼ合わせて展示されている。本来は別々の隅に立っていたと思われる。双方ともにはっきりと透彫だが、それぞれに蔓草や柱頭フリーズに工夫を凝らしている。
左の方は人物が多く、右は上方に鳥、下方に獣が多数登場する。
左側の正面
柱頭フリーズの角には人頭が一つずつ。
浮彫から浮彫の技を獲得したことによって、アカンサスの葉は薄くなり、茎も細くなった。さて、その中に紛れた人物や動物がどれだけ見分けられるやら・・・
右側の正面
彫刻師の違いだろう、こちらの茎は太く、人物や動物も多く表される。

狩猟の場面と神話の人物のいる蔓草 12世紀後半 高29幅52奥行31㎝ 透彫 石灰岩 2本の円柱の上 ドラド修道院 トゥールーズ、オーギュスタン美術館蔵
説明パネルは、広い面は2つの狩猟の場面。一つは熊狩りだという。
別の面ではセイレンとケンタウロスという古い神話の怪物たちに裸の猟師が槍を向けているという。
柱頭フリーズはなく、小さなアカンサスの葉が巡る2つの柱頭に一つの透彫がのってるよう。
こちらは裸の男たち。どちらも蔓に手を伸ばし足を踏ん張って、転がるまいとしているよう。
そして、海馬に乗る人物と、子供に授乳するセイレンという。

『Sculptures Romanes』は、政治的な要因で10年の空白の歳月があり、2番目の工房が回廊の仕事を再開した。1120-30年のものは19個の柱頭が収蔵されている。その内の12個は聖書の物語が描写され、13番目は寓話で、一連のものは、足を洗うキリストから過越祭までのキリストの受難を表す。
このような連続する物語の柱頭は、ロマネスク彫刻では異例である。
動物、装飾文様、6つの植物文様は例外である。
最初の工房は、硬直し、枠の中に押し込められていたが、感情的で劇的な強烈さ、あふれる活力、装飾的な衣褶の扱い、細部表現の繊細さという2番目の工房の特徴は、12世紀の転換期に起こった精神的な変動の兆しや、新たな人間性の出現を示しているという。

蔓草の中のアカンサス 1120-30年? 石灰岩 2番目の工房 ドラド修道院回廊?
アカンサスにしては小さな葉が籠のような蔓草の茎の間にある。ドングリのようなものはどうも実らしい。


ハープを弾くダビデ王の彫像柱上部の柱頭 1165-75年? 高113幅47厚21㎝ ドラド修道院参事室扉口 大理石 浅浮彫
説明パネルは、ここでもまた、古い架空の怪物が表される。ケンタウロス(半人半馬)がハルピュイア(女性の顔で鳥身)に弓を引いているという。
不思議なことに、このように古くからあった人物や動物が中に入った蔓草文様を見たのはトゥールーズのオーギュスタン美術館だけで、しかも天井や床ではなく、総て柱頭彫刻だった。

仏南西部で最後に見た蔓草文様は、カルカソンヌのコンタル城内にある博物館の、沐浴の泉と呼ばれているのだ。
同じロマネスク期でも、葉が多く表されていて、その中に動物も人物も入り込んでいない。

かつて、イスラーム美術で渦巻く蔓草文様がアラビア文字の銘文の背景に表されている例をたくさん見てきたが、モザイクタイルのものは14世紀後半からと、ロマネスク様式よりも時代が下がる。

遡るものとしては、

ラスター彩唐草文字文フリーズタイル断片 イルハーン朝、13世紀中葉-1275年頃 イラン出土 29.8X31.5X2.8㎝ 個人蔵
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、この時代のフリーズタイルには、ラスター彩やラージュヴァルディーナで、地文に植物文や鳥、小動物を描き、浮彫で銘文を表したものが多い。
断片だが、後補や補彩がなく、当初の色彩やラスターの光沢を保っている。ペルシア語銘文は解読困難という。
細い一重の蔓草は、ところどころに葉を出し、蔓が分かれながら、渦の中心へと伸びている。面白いことに、その中に鳥や獣が登場している。

壁画断片 カラハーン朝(10-12世紀) 宮殿出土 サマルカンド歴史博物館蔵
疎らに小さな葉を付けた蔓草文は、蔓が細く優美。
それを背景に、左向きに犬が駆けている。赤い方は尾が長く、後ろの方は耳が垂れている。どちらも首輪を付けた猟犬のよう。
銀盤 イラン・セルジューク朝、1066年 制作地イラン ニエロ 高さ6.6径43.8㎝ ボストン美術館蔵
『世界美術大全集東洋編17イスラーム美術』は、この銀盤は、打出技法で器形が造られ、それから線彫とニエロ技法を用いて装飾が施された。中央にはクーフィー書体でスルターン・アルスランの名前が彫られている。彫りは浅いが、ニエロを使い黒い地に仕上げているので、銀色とのコントラストが文様を浮き出させているという。
葉の多い3つの蔓草が渦巻いているだけで、動物は登場しない。

ムシャッター宮殿外壁 ウマイヤ朝、8世紀前半 石灰岩 ヨルダン ベルリン国立博物館イスラーム美術館蔵  
『世界美術大全集東洋編17イスラーム』は、イスラーム世界で文様は、まず建築の装飾の手段として展開した。初期には、まだイスラーム独自の文様はなく、アカンサス、パルメット、葡萄、石榴、翼など、イスラーム以前の古代ギリシア・ローマ美術、ビザンティン美術やサーサーン朝美術などの伝統文様を借用していた。それらの文様のモティーフは、時には写実的に、時には多少形式化した形態で、蔓草文様、帯状文様、または充填文様として構成された。ムシャッター宮殿外壁は、イスラーム以前の諸美術の文様が共存している典型的な作例であるという。
葡萄唐草には動物や鳥がおり、天上の楽園を表しているのだろうか。

岩のドーム ウマイヤ朝、687-692年 エルサレム
ビザンティン帝国のキリスト教美術から、時代と共に変化していった蔓草文様がイスラームにもたらされた初期のものだろう。


関連項目
ブリンディシ サンジョヴァンニ・アル・セポルクロ教会 石彫
サンテティエンヌ司教座聖堂 北扉口タンパン
オーギュスタン美術館 ドラド修道院の最初の工房
オーギュスタン美術館 ドラド修道院の2番目の工房
オーギュスタン美術館 3番目の工房など
一重に渦巻く蔓草文の起源はソグド?
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの

参考文献
「教会の怪物たち ロマネスクの図像学」 尾形希和子 2013年 講談社選書メチエ565
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 1999年 小学館
「世界美術大全集7 西欧初期中世の美術」 1997年 小学館
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」 1997年 小学館
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社