サマルカンドの建築群を見学していて、それぞれの玄関の上方や扉口の上に、アラビア文字の銘文(インスクリプション)が、一重の蔓草が渦巻くのを地文にしているのに気付いた。
オリジナルと思われるものを年代の新しい順に並べると、
2:表玄関 15世紀 モザイク・タイル
オレンジ色の文字と白色の文字が交互に置かれていた。
トルコ・ブルーの細い蔓は、小さな葉を出しながら渦巻いていくが、花は付けていない。
隣りの渦巻の途中から枝分かれしていくのだが、葉の付き方が伸びる方向とは逆になっていることもある。
36:トマン・アガ廟 1405-06年 モザイク・タイル
外壁北側
ここだけ残っていたので、オリジナルかと思って写した。
中心へと渦巻く蔓と、そこから出る葉の方向が一致している。
花は茎に直接ついている。
ファサード右側
下の渦巻の中心から出た茎が弧を描きながら外へと伸びて、次の渦の中心に向かって行く。
27:トマン・アガ・モスク 1405-06年 モザイク・タイル
扉口上のアラビア文字の銘文
蔓から出た葉の向きを辿ると、文の始まる右の渦巻から左の渦の中へと伸びていく。
二つ目の渦巻の途中から出た蔓は三つ目の渦巻を作っている。
15:シリング・ベク・アガ廟 1385-86年 モザイク・タイル
イーワーン扉口上の銘文(部分)
左(画面外)から伸びてきた蔓が枝分かれして、右の渦巻と左の渦巻をつくっている。
ファサード左壁
植物を左右対称に表した文様帯の両側にアラビア文字の文様帯がある。どちらも装飾帯から伸びた蔓が、左右にうねりながら枝分かれして渦巻をつくっていく。
13:トグル・テキン廟 1376年 浮彫タイル
ファサード左壁
非常に繁雑な蔓草となっていて、その伸びる様子をたどることができない。
14:シャディ・ムルク・アガ廟 1372年 浮彫タイル
扉口からファサードへと移行する目立たない凹面に、書体の異なるアラビア文字の銘文が、一重に渦巻く蔓草文のトルコ・ブルーの混じった白色で表される。その渦巻は、一定の大きさのものが連なるのではない。文字と文字の間上の方に小さな渦巻が表されているが、中には渦ではなく、おおきなうねりのようになっているものもある。
左の付け柱は、2本の蔓と1本の蔓が互いに交差しては離れることを繰り返して、美しい文様をつくり出している。
24:無名の廟2 14世紀後半 ラージュヴァルディーナ
玄関上部
珍しく二重の蔓だが、撮影した角度が変なので、蔓の伸び形がわからない。
35:クトゥルグ・アガ廟 1360-61年 浮彫タイル
ファサード左壁
あまりにも高浮彫すぎて、1枚のタイルの単位がわからない。蔓草は渦巻いているが、上下には繋がっていないように見える。
37:ホジャ・アフマド廟 14世紀半ば 浮彫タイル
ファサード左壁
文字のないのは補修タイルだろう。
茎が細すぎて、葉が多すぎるので、どこから渦巻が始まり、どこへ向かっているのかよくはわからないが、渦巻は確かにある。
このように見ていて、アラビア文字の銘文と一重に渦巻く蔓草文の地文という組み合わせは、シャーヒ・ズィンダ廟群、あるいはティームール朝独特のものかと思ったのだが、サマルカンドの他の建物にもあった。
その後調べていくと、ほかにもそのような組み合わせがあり、それはイスラーム世界で一般的なものだとわかった。
イマーム・ザーデ廟ミフラーブ部分 イル・ハーン朝、1313-33年 制作地イラン、カシャーン アリー・イブン・ジャアファル作 テヘラン、イラン・バスタン博物館蔵
『世界美術大全集東洋編17イスラーム』は、ラスター・タイルはミヒラーブにも盛ん に用いられたが、陶工として著名なアブー・ターヒルの息子ユースフ・イブン・アブー・ターヒルが制作したイマーム・ザーデ廟のミヒラーブは、最高傑作の一 つである。わずかに高く浮き出されたスルス書体のコーランの章句は、精緻な蔓草文様の地文で埋め尽くされているが、その完璧なまでに整然とした文字と文様の構成には、「天国の扉」と命名されたこのミヒラーブに相応しい崇高さを感じさせるという。
蔓の伸び方や渦巻の巻き数には違いはあるが、14世紀前半に、すでに墓廟に現れていた。
白い蔓は細く、白い小さな葉を付けたり、青い花を咲かせたりしている。蔓もあちこちで分かれ、どれが主茎の先端かがわからない。蔓草文様が地文ではあるが、その余白には白い点々がびっしりと描き込まれていて、中国や日本で見られる、細かい魚々子を地文とした唐草文にも通じるような作風だ。
コーニスの浮彫タイル 13世紀 イラン考古学博物館蔵
ダビデの星のような文様を組紐で表し、それを円で囲んだものとその上から出た蔓草が地文になり、主文にアラビア文字が表される。
ここでは蔓草は渦巻かず、幾つにも枝分かれして、三つ葉を出したり、蔓の先に花を咲かせている。
ラスター彩唐草文字文フリーズタイル断片 イルハーン朝、13世紀中葉-1275年頃 イラン出土 29.8X31.5X2.8㎝ 個人蔵
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、この時代のフリーズタイルには、ラスター彩やラージュヴァルディーナで、地文に植物文や鳥、小動物を描き、浮彫で銘文を表したものが多い。
断片だが、後補や補彩がなく、当初の色彩やラスターの光沢を保っている。ペルシア語銘文は解読困難という。
細い一重の蔓草は、ところどころに葉を出し、蔓が分かれながら、渦の中心へと伸びている。面白いことに、その中に鳥や獣が登場している。
青釉文字文フリーズタイル セルジューク朝、12-13世紀 23.9X33.4X1.5~3.0㎝ イラン出土 個人蔵
同書は、セルジューク朝時代末期から色鮮やかな青釉タイルが多くなった。これは石英分の多い、粒子の荒い白い胎土にアルカリソーダ系の釉をかけて、含まれる銅の成分を青く発色させたもので、それまでの鉛釉陶器では銅は緑に発色する。
フリーズタイルは、建物の内壁で腰羽目の上縁に沿って水平に連なり、アラビア文字銘や植物文などを連続的に表したという。
1枚の細い葉を出しながら、伸びた蔓はくるりと巻き、そこに花を咲かせている。途中から枝分かれして反対向きに巻いてそこにも花がある。
大モスクタイル装飾 1158-60年 イラン中部アルディスタン
『イスラーム建築の世界史』は、植物文様の中に、文字文様の部分だけに青いタイルを用いる。トルコ・ブルーは銅を含む釉薬をかけて低温焼成することで発色する。当初は煉瓦地に、釉薬をかけた青いタイルが部分的に挿入された。次第に鉛で発色する白色も使われる。煉瓦に浮彫を施し、高い部分に釉薬をかけると、彫り削られた部分が陰影となり、鮮やかな色彩が浮き出す効果をもつという。
ここでは渦巻はなく、蔓草ですらない。いや、葉が多いために見逃してしまったが、図右中程の草から下に伸びた葉が、文字の下の空間で蔓らしきものとなり、丸い実のようなものからまた葉をたくさん付けている。それに、小さいながら葉の先がくるりと巻いて、渦巻とも見える。
コーラン部分 セルジューク朝、12世紀 制作地イラン 着彩 紙 メトロポリタン美術館蔵
『世界美術大全集東洋編17イスラーム美術』は、コーランの装飾には、さらに工夫が凝らされるようになり、文様絵画であるダズヒーブは複雑になった。文様は、本文の上下左右の余白を埋め尽くし、ほぼ全ページがダズヒーブで埋め尽くされた装飾ページも描かれた。ダズヒーブの大胆な幾何学文様と、その中を充填する精緻な幾何学文様がバランス良く組み合わされ、豪華なダズヒーブが構成されたという。
下の行には文字の間に蔓草文が描かれ、しかも蔓が巻いた中には大きな蕾。
上の行にも蔓草文の他に、限られた空間には渦巻の中に鳥がいたりする。
それらはコーランの文章の地文なのだが、更にその文様の隙間を、くりくりと巻いた文様がびっしりと埋め尽くしている。
銀盤 イラン・セルジューク朝、1066年 制作地イラン ニエロ 高さ6.6径43.8㎝ ボストン美術館蔵
『世界美術大全集東洋編17イスラーム美術』は、この銀盤は、打出技法で器形が造られ、それから線彫とニエロ技法を用いて装飾が施された。中央にはクーフィー書体でスルターン・アルスランの名前が彫られている。彫りは浅いが、ニエロを使い黒い地に仕上げているので、銀色とのコントラストが文様を浮き出させているという。
葉の多い3つの蔓草が渦巻いている。
コーラン 11世紀 制作地イラクまたはイラン 着彩 紙 プリンス・サドルッディーン・アガ・カーン・コレクション
『世界美術大全集東洋編17イスラーム美術』は、このコーランは、イラン風のクーフィー体で書かれている。その地文は小さな渦巻が密に描かれているだけで、蔓草文にはなっていない。
蔓草の地文とアラビア文字という組み合わせは、11世紀にはまだなかったのかも知れない。
せっかくなので、イスラーム美術で蔓草文を遡っていくと、
ムシャッター宮殿外壁 ウマイヤ朝、8世紀前半 石灰岩 ヨルダン ベルリン国立博物館イスラーム美術館蔵
『世界美術大全集東洋編17イスラーム』は、イスラーム世界で文様は、まず建築の装飾の手段として展開した。初期には、まだイスラーム独自の文様はなく、アカンサス、パルメット、葡萄、石榴、翼など、イスラーム以前の古代ギリシア・ローマ美術、ビザンティン美術やサーサーン朝美術などの伝統文様を借用していた。それらの文様のモティーフは、時には写実的に、時には多少形式化した形態で、蔓草文様、帯状文様、または充填文様として構成された。ムシャッター宮殿外壁は、イスラーム以前の諸美術の文様が共存している典型的な作例であるという。
大きな鋸歯文には、一重の蔓草が渦巻く文様が地文となっている。これはアカンサスの葉から出た蔓草が渦巻ながら左右に伸びていくという、前4世紀前半に遡る後期クラシック期にその萌芽が見られる唐草文が変遷し、伝播していったものが、この地で受け継がれてきたものだろう。
葡萄唐草には動物や鳥がおり、天上の楽園を表しているのだろうか。
岩のドーム ウマイヤ朝、687-692年 エルサレム
『イスラーム建築の世界史』は、ハディースには、ムハンマドがある夜、遠隔地(アクサー)の礼拝堂に導かれ、天馬にまたがり天国への旅に出かけたとあり、遠隔地の礼拝堂とはエルサレムの神殿の地であるとされる。夜の旅をイスラー、昇天をミーラージュと呼び、地上から天に向かってムハンマドが飛び立った岩がエルサレムのソロモン神殿の跡地の岩だとする。
イスラーム軍はエルサレムを638年に征服、カリフ・ウマルはエルサレムに赴き、ソロモンの丘でその聖なる岩を発見、傍らで礼拝したといわれ、矩形のモスクが建立された。ウマイヤ朝期に、カリフ・アブドゥルマリクが聖なる岩を囲う岩のドーム(691年)を、彼の息子のワリードがアクサー・モスク(705-15年)を建設する。
岩のドームは、聖なる岩を覆う直径20mを超えるドームを架け、二重の周廊で取り巻き、全体を八角形平面に納める。これには集中式教会堂との類似性が指摘されるという。
同書は、最初のドームは木造で、船大工の技術が使われた。ドームの内側には煌めくガラス・モザイクの装飾が残り、アラビア語で銘が記されている文字を通して意図を伝える装飾化された文字文様は、幾何学文と並んでイスラーム装飾の基本となるという。
幾つかの蕾から出たアカンサス唐草が壁面に隙間なく繁茂している。
金地のモザイク自体がキリスト教の教会堂を荘厳するものだった。しかも、アカンサス唐草で壁面や床を装飾するのは初期キリスト教会にもあり、更に言えば、キリスト教以前のローマ時代にも見られる。
ドームの下辺にはアラビア文字の銘文を、赤や緑の葉の出た蔓草文の文様帯が表されている。
アラビア文字の銘文の地文に蔓草文が入り込むのは、自然なことだったのかも知れない。
→一重に渦巻く蔓草文の起源はソグド?
関連項目
渦巻く蔓草文はキリスト教美術にもイスラーム美術にも
蔓草文様のモザイクタイル
イーワーンの上では2本の蔓が渦巻く
シャーヒ・ズィンダ廟群3 アミール・ザーデ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群4 トグル・テキン廟
シャーヒ・ズィンダ廟群5 シャディ・ムルク・アガ廟
※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン展図録」 2001年 岡山市立オリエント美術館
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 1999年 小学館
「イスラーム建築の見かた」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版
「イスラーム建築の世界史 岩波セミナーブックスS11」 深見奈緒子 2013年 岩波書店