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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2020/02/18

タルクイニア国立考古学博物館 骨壺葬


エトルリア文明 古代イタリアの支配者たち』(以下『エトルリア文明』)は、エトルリア美術は、一般に4つの時期に分けられている。東方化様式、アルカイック期、古典期、ヘレニズム期である。それに先エトルリア文化ともいうべきイタリア初期鉄器文化であるヴィッラノーヴァ文化の時代を加えることもある。前9世紀から前8世紀にかけて、後のエトルリア文化が栄える地域に、ヴィッラノーヴァ文化が普及する。円錐形を二つ重ね合わせたような特徴のある納骨壺を有するこの文化は、前8世紀になると、青銅製の兜、ひげ剃り、安全ピン形の留金などの副葬品や、ギリシア、サルディーニアからの工芸品をその墓から出土するようになる。
エトルリア人はこのヴィッラノーヴァ文化の延長線上にあり、同文化末期に顕著となる傾向をさらに明確にしていく。つまり小さな集落が結合して大集落を形成し、貴族のような支配者階級が出現する。前8世紀末から前6世紀初頭にかけての東方化様式期と呼ばれる時代であり、その名のとおり、東地中海世界や近東、エジプトからの影響が明らかになる。
東方からの請来品ばかりでなく、東方起源の装飾モチーフがエトルリアで制作される美術工芸品にも広汎に使用されているのがこの時代の特徴である。それらは東方からもたらされた美術品を模倣する場合もあるが、エトルリアに移住してきたギリシアからの工人や美術家による例も多く認められるという。

骨壺 ヴィッラノーヴァ文化期、前8世紀 テラコッタと青銅板製 カンパニア地方ポンタカニャーノ出土 フィレンツェ考古学博物館蔵
同書は、円錐形を2つ重ね合わせたような形の骨壺は、単純な幾何学文様で装飾されている。蓋が小鉢の場合は、女が実権を握っている家事全体を表すという。
金属製の兜は、戦いにおける典型的な男の価値を象徴しているという。
こういう状態で出土する。
別の展示室にあった出土時の説明パネル。残念なことに館内の説明のほとんどがイタリア語。
このような蓋付きの骨壺を、僅かな副葬品と共に地中に埋め、穴の上に石をのせて埋納した。中には大きな穴を掘ってその一部を更に掘り下げ、骨壺を埋めて石を載せ、その上方の大きな穴にも石で蓋をすることもあったようだ。
第62墓 15-25歳
日常に使う土器類が副葬されている。
埋葬されていた様子を再現したコーナーがあったが、ガラスに反射して目を凝らさないと分からない。
第108墓
成人女性の骨壺の埋葬

石製容器の出現 凝灰岩
従来の骨壺では多くの品々を副葬することができなかったためか?
第73男性墓
大きな石製容器に青銅製のフィブラ(衣服の留め金)なども副葬されている。
骨壺を円筒状の穴におさめ、石で蓋をするだけの埋葬法から、分厚い蓋付きの石製容器に骨壺を入れて埋葬するようになっていく。
骨壺の内部

タルクイニア考古博物館 石棺・陶棺

関連項目
タルクイニア 国立考古学博物館2

参考文献
「エトルリア文明 古代イタリアの支配者たち」 知の発見双書37 ジャンポール・テュルリエ 1994年 創元社