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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2018/02/02

ギーラーン2 土偶と金製品、装身具


殊に思い入れのあるギーラーンでの出土品は円形切子碗だ。
(写真はタブリーズのアゼルバイジャン博物館にて)

『ギーラーン』は、故深井晋司先生が1959年ノウルーズの頃テヘラーンに滞在中、とある骨董屋の店に置かれていた正倉院の円形切子装飾瑠璃碗とよく似たカットグラス碗を見付けたことがきっかけとなっている。当時テヘラーンの骨董屋の間にアムラシュ出土と称されるおびただしい古物が流れこみ、興味をもった先生がそれらを見て歩いていてこのガラス碗に出会ったとのことであった。
その年の7月、調査団のうち4人がアムラシュに調査にでかけたのである。
その結果アムラシュはテヘラーンにあふれている古物の集散地にすぎず、出土地はここから谷ぞいに山深く分け入ったデイラマーン地方であるということが判明した。
一行はラバの背にゆられて2日がかりで現地に到着、ここが先史時代からパルティア・サーサーン朝時代にまでわたる種々な形式の古墓群が密集する地域であり、また村人により徹底的な盗掘が行われていることを調査確認したのであった。
集落の側に古代の墓域が存在するという。
『ギーラーン』は、デイラマーン盆地は西から東に流れるチャークルード川によって刻まれたゆるやかな谷から形成されている。谷の斜面はチャークルード川に流れ込む何本もの支流によって削られた多くの舌状台地が形成され、そこに無数の古墓が営まれていて、この地域が古くから多くの人々の生活の場であったことを物語っている。デイラマーンへは今こそ便利な自動車の通れる道があるが、かつてはラヒーマーバードからチャークルード川、アムラシュからはサールマーンルード川、スィヤーキャルからスィームルード川をそれぞれ徒歩あるいはラバの背で遡るしかなかった。したがってこの盆地は外界から隔絶した独自の文化を有した別世界であったという。
ギーラーン、特にデイラマーンについてこのようなことを知って、一度は訪れたいところの一つとなった。しかし、今では「隔絶した世界」へも道路ができているとはいえ、ホテルから往復する時間はとてもない。それに出土地はすでに埋め戻されてしまっているし。
円形切子碗については、すでに記事にしたことがある。それは天理参考館は、所蔵する切子碗の分析調査で、ローマ製ガラスに特有の成分を確認した。ササン朝ではなく東ローマ帝国で造られた可能性があるということで、成分分析の結果、円形切子碗の中には、地中海域で植物灰の代わりに使用されたナトロン・ガラスのものがあったということだ。
それについてはこちら
こんな僻地でサーサーン朝の当時の高価なガラス器が入っていたことも驚きだが、東ローマ帝国からはるばる将来されたガラス器までも入手していたとは。
しかしながら、デイラマーンでは、現在に至るまで墓しか発見されていない。ひょっとすると、もっと交通の便の良いカスピ海南岸の平野部に拠点を置いて、交易で財をなした人々が、盗掘を避けて、奥山に分け入って墓域を築いたことが想像される。

円形切子碗についは以上で、今回は他のギーラーン州出土品について。

『ギーラーン』は、セフィードルード川流域に展開する古代遺跡のうち、革命前イランの考古当局が調査した重要遺跡のひとつにキャルラーズ遺跡がある。それはラシュトの南55㎞、マールリーク遺跡の対岸に位置し、1967、68、69年の夏の3シーズンの発掘調査によって、前8-6世紀、および前3世紀に年代付けられる古代墓が見出された。発掘者ハーキャミーの報告によれば、岩盤を抉った楕円形墓と石造の矩形墓があるいう。

『ギーラーン』は、発掘時の出土状況について詳細な報告がないのは残念だが、キャルラーズ遺跡出土の「古拙なつくりの女性像」と呼ばれる副葬土製品は「アムラシュ土偶」の名で今日多く流伝している同製品の形象土器の、あるいは唯一確たる出土事例かも知れないという。
三重の同心円状のものは目だけにとどまらず、肩、膝、臍などにもある。手は重ねることなく、上下にして胸に付けている。碗釧も刻まれていて、金属の耳飾りまで付けている。頭上のものは髪だと思っていたが、冠か帽子かも。
タブリーズのアゼルバイジャン博物館にも似た女性像が展示されていた。

女性像 テラコッタ 前1千年紀 ギーラーン州ロスタマバード(Rostamabad)出土 
渦巻形の目に見えたが、キャルラーズ出土の古拙なつくりの女性像と同じく三重の同心円文だった。他にも3箇所に同心円文がある。
やはり手は上下にし、碗釧や耳飾り、そして冠のようなものを付けている。

土偶 前1千年紀 高45.0幅15.1㎝ 中近東文化センター蔵
目と他に5箇所に二重の同心円文。
顔はフクロウのようなつくり。耳は見えない。

土偶 前1千年紀 高42.4幅14.0㎝ 中近東文化センター蔵
三重の目は他の同心円文よりも大きい。大きな耳には飾りはついていない。
腕はややずれているが上下に置いている。
同じ時代、同じ地方なのに、作風の異なった女性像もあった。

土偶 前1千年紀 高13.0幅7.5㎝ 中近東文化センター蔵
小像だが、腰がもっと強調されている。腕はなくフクロウ形の顔は鳥形と言えるほど幅がない。頭上には冠らしきものはのせている。

土偶 前1千年紀 高34.8幅16.7㎝ 中近東文化センター蔵
顔には目だけでなく、鼻梁の下には穴と口、更に顎が表される。腕も少し出ている。

土偶 前9-8世紀 高18.3幅7.8㎝ 中近東文化センター蔵
小像で耳と口に穴があいている。頸は異様に長い。

金製容器 キャルラーズ出土
『ギーラーン』は、金製、金銀製容器はその形状、あるいは装飾にマールリーク遺跡出土の金製容器との類似が注目される資料であったという。
下部には大角鹿が器表をめぐり、その上にはガゼルを倒したライオンのような肉食獣などが表されている。

動物装飾杯 前1000年頃 エレクトラム 高17.5径13.0㎝重225.4g ギーラーン州マールリーク出土 イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、金と銀の天然合金であるエレクトラム製のゴブレット。口縁部と底部に組紐文様を配置し、胴部の2段の文様帯にそれぞれ四足獣の行進する姿が描かれている。引き締まった体軀、すらりとした頸や足から、一見すると馬のようにもみえるが、尾などみる限り牛を表した図像にもみえるという。
マールリークはコブウシ形象土器が発掘によって出土している遺跡である。ギーラーン州のアスタラでは、牛の群が通り過ぎるのを傍で見ていたが、コブのない牛に混じってコブウシもいたが、どちらかというと少数派だった。だからコブのない牛を表すのは不思議なことではない。
金製ガゼル装飾杯 前1000年頃 金 高20.0径13.7㎝重229.0g ギーラーン州マールリーク出土 イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、胴部にガゼルの生涯を4段構成で表した金杯。最下段から、母ガゼルの乳房にすがる子ガゼル、立ち上がって生命の樹をはむ若ガゼル、ガゼルの敵である猪、猛禽についばまれるガゼルの死体、と4つの情景が浮彫と繊細な線刻で表現される。マールリーク遺跡からは15点にのぼる金杯が出土しているが、本作は当時の死生観や精神性をうかがうことのできる点で貴重であるという。
高杯 ギーラーン出土 金製 前1千年紀前半 高8.9㎝ 中近東文化センター蔵
『古代イラン秘宝展』は、主なモチーフとなっている組み紐文は古代オリエントで頻繁に使用された文様であり、マルリーク出土品にも類例が見られる。ただ、組み紐文のみが主要なモチーフとされているものは存在しない。また脚部を有する小金杯は比較的珍しいという。

かなり以前に組紐文についてまとめた時に取り上げた作品。

耳飾り:前1千年紀 装身具:前7世紀-紀元前後 金 出土地不明 中近東文化センター蔵
金冠は、葉形と壺形に切ったものを帯に取り付けてある。
これまで見てきた歩揺冠(1世紀第2四半期 ティリヤ・テペ6号墓出土)とも異なるし、アレクサンドロス大王の父フィリポス2世が被っていたかも知れないマケドニアの花冠(前4世紀後半 ヴェルギナ第2墳墓出土)とも違う。この地の独自の文化の賜物かも。

首飾り 前1千年紀 金 重45.0g キャルラーズ出土 イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、円筒形56珠、卍形3珠、球形31珠のビーズを綴った首飾り。ギーラーンでは金製品の出土が数多く報告されるという。
薄板に打ち出しで粒状の列を作った円筒形の珠、そして粒金で菱形文や輪郭を象った卍形の珠という、細密な技法を駆使した装身具である。
残念だが、実物は同館見学時には展示されていなかった。
首飾り 前1千年紀 瑪瑙、ガラス ネスフィ出土 イラン国立博物館蔵
トルコ石の代替として使われたのはファイアンスではなくガラスだった。結び目近くの目玉が目立つ。
緑色のものは透明ガラスのようだ。透明ガラスは、西アジアでは前8世紀中頃たら製作が始まった(『MIHO MUSEUM 古代ガラス展図録』より)ということで、それ以降の作品だろう。
首飾り 前1千年紀 瑪瑙・ガラス・土製品 ネスフィ出土 イラン国立博物館蔵
途中から2連になり、しかもその間に梯子のような仕切りがある。どう見ても左右対称ではない上に、大きなペンダントトップは施釉の土製品に見える。

    ギーラーン1 コブウシ

関連項目
新沢千塚出土カットガラス碗は白瑠璃碗のコピー?
正倉院の白瑠璃碗はササンかローマか
黄金のアフガニスタン展2 ティリヤ・テペ6号墓出土の金冠
組紐文の起源はシリア

参考文献
「ギーラーン 緑なすもう一つのイラン」 1998年 中近東文化センター
「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝 図録」 2006年 朝日新聞社・東映事業推進部
「古代イラン秘宝展-山岳に華開いた金属器文化-」 2002年 岡山市オリエント美術館
「MIHO MUSEUM 古代ガラス展図録」 2001年 MIHO MUSEUM