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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/12/12

レンガの組み積み(ハザールバーフ)と埋め木


『ペルシアの伝統技術』は、セルジューク朝時代、10世紀から12世紀にかけて装飾的な要素の強い建築技法がイランで盛んに用いられるようになり、それ以後のイラン建築の特徴となった。この技法、つまりイランでハザールバーフ(hazārbāf、「千の交織の意)として知られる装飾的な煉瓦積みは、すでに8世紀にはイラクで出現していた。
この新しい建築技法は、さまざまな煉瓦の組み積みが用いられるようになったのを機に始まった。なかでも、地模様積みは明暗の効果を生み出し、装飾としての文字の使用を促すこととなった。この技法のなかで最もすぐれた例は、セルジューク朝の偉大な宰相ニザーム・アルムルク(1017-1092年)によって建設されたエスファハーンの金曜モスクにある小さなドームの部屋に残されているという。
その幽かな凹凸によって、ドームには金箔が貼られているのかと思ったほどだった。
ここは大ドーム室と呼ばれているのだが。
『ペルシア建築』は、インスクリプションが語るところによれば、広間はニザーム・ウル・ムルクの命にもとづき、マリク・シャーの治世の初期(1072年以降、たぶん1075年以前)に建設されたという。
この広間-宏壮で気品があり侵しがたい威厳をもつ主礼拝室-は直径15.2mという巨大なドームをいただくが、その場合、ドームを支えるために彫りの深い三ツ葉形のスクインチ(この形はヤズドにあるブワイフ朝時代のダワズダー・イマーム廟のスクインチから発展したもの)が使われている
という。

ドームに明かり取りがないために、インスクリプション帯辺りが最も見難かったが、装飾としての文字にはピントが合っていた。
ドーム移行部にもレンガの組み積みによる凹凸で文様が表されている。

『ペルシアの伝統技術』は、この時期には漆喰の継ぎ材が用いられるようになったが、豊かな装飾が好まれたため、これらの漆喰の継ぎ材にも浮き彫りが施されるようになった。その後、煉瓦と煉瓦の間に浮き彫りを施した埋め木が嵌め込まれるようになった。最終的には豊かな浮き彫りが全面に施された漆喰の壁が用いられるようになった。この技法はソルターニエのウルジャーイトゥー廟のドームやヴォールトの建築においてその頂点に達した。とはいえ、古くはゴルパーイェーガーンのモスク(1104年)で、またエスファハーンの金曜モスクの古い時期に建てられた部分(1122年頃)でも、主としてこの技法が用いられているという。

確かにレンガの間に装飾的な浮彫のあるものは、イスファハーンのマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)南東礼拝室で見かけた。
しかしながら、レンガ自体が風化していて、継ぎ材との境目がわからないほどのものもあった。
この写真の下方に継ぎ材がすっぽりと抜けている箇所があるお陰で、レンガとは別材の埋め木が嵌め込まれていたことがわかるのだった。
焼成レンガの形も一様ではないが、漆喰の埋め木は特に状態が良くない。木材の埋め木なら浮彫したものを嵌め込んだだろうが、漆喰の埋め木の場合は、漆喰を隙間に充填してかに型を押したため、漆喰が固まるまでに圧力がかかったものは潰れてしまったということかな。
南東礼拝室の50・51の区画辺りにこのような柱が見られた。
とはいえ、以前に旅したウズベキスタンで見たソグドの文様に似たものがここにもあった、ゾロアスター教由来の文様だなどと思いながら撮影していた。
入口近くの礼拝室(96-98)では、遠くから見ると、石材をジグザグに浮彫したように見えたどれが焼成レンガに見えた円柱だったが、近寄ってみるととんでもなかった。
焼成レンガを段々に刻んだものの広い隙間に漆喰を充填し、文様を型押ししているのだ。
こちらの円柱も大きなジグザグ文様で、上写真のような構成に、更に十字文の漆喰の埋め木を配している。技術はともかく、なんという凝りようだろう。
この円柱も焼成レンガの占める割合は小さい。
焼成レンガの短手の間に漆喰を押し込んで型で押したが、職人が未熟だったのでこのような出来栄えになってしまったのかも。

ヤズドのマスジェデ・ジャーメ(1364年完成)でも、主礼拝室の側廊に埋め木はあった。
レンガの壁面にしては継ぎ目が見えない。全体に漆喰壁で、乾燥後埋め木をする部分を彫り込んで、型押ししたように見える。インスクリプションの文字なども嵌め込まれているが、これも型押しかな。
こちらはレンガ壁だろうか、縦に筋が見える。

このように焼成レンガの間に小さな文様が嵌め込まれているのは、ウズベキスタン、ブハラのカリャン・ミナレット(カラハーン朝、1127年。高さ46m)でも見かけた。
この文様について現地ガイドのマリカさんによると、ゾロアスター教由来のもので、善と悪の2つの顔が上下反対に付いていて、それが魔除けになっていったらしい。

文様としては、ヒトが二人並んでいるような、星形が2つと表現した人もいた。
しかしながら、当時はこのような文様の由来に興味があったことと、修復されたものを見てテラコッタだと思ってしまったので、オリジナルのものもテラコッタなのか、漆喰の埋め木なのかはよくわからないが、イスファハーンのマスジェデ・ジャーメと同時代のものなので、漆喰かもしれない。

トルクメニスタンのクニャ・ウルゲンチにそびえているクトゥルグ・ティムールのミナレット(イルハーン朝、1320年代 高さ67m)でも埋め木はあった。
下から見ていくと、ヤズドのマスジェデ・ジャーメにも受け継がれた文様、羽を広げた蝶のような、四弁花のような。
インスクリプションの上にはS字やそれが左右反転した文様が嵌め込まれている。
ここのは漆喰ではなく、テラコッタの埋め木のように見える。
ずっと先の方には、空色タイルの埋め木がある。それは星形一つのもののよう。
同じ文様のタイルは、ヒヴァでもあちこちで見かけたが、ヒヴァの建物は古いものは少ない。
こんな風に違う国で見たものが、互いに関連性があったり、別の素材で作られたりして続いていったことが分かることもある。

今回まとめていてわかったことは、「埋め木」とは、木材に浮彫したものではなく、レンガの継ぎ材として用いられた漆喰に浮彫したものということだ。木材の傷んだ部分を補修するために、新しく木材を埋め込む日本の技法としての「埋め木」を訳語にしているのだろう。



関連項目
スルタニーエのオルジェイトゥ廟(ゴンバデ・スルタニエ)
イスファハーン、マスジェデ・ジャーメ1 南翼
イスファハーン、マスジェデ・ジャーメ 南ドーム室

※参考文献
「ペルシアの伝統技術 風土・歴史・職人」 ハンス・E.ヴルフ 大東文化大学現代アジア研究所 2001年 平凡社
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会