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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/09/07

唐の順陵3 石人と石獣の列



しかし、タクシーの通る道は未舗装で、轍が凸凹にあるひどい道だった。タクシーなら通れるが、バスは無理だろう。こんな空港にも近く、面白い遺跡がツアーにないのは道路のせいかも。
次の交差点で降ろしてもらい、順陵の見学を続けた。

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未舗装だか割合広い道を歩いて行くと、広い麦畑の右向こうに順陵の墓山とその前に並ぶ石像群が見えて来た。
かなりの数があるようで、人物の立像の他動物の石像もありそうだ。
左手には珍しくブドウ畑。家屋の外で老人が一服していた。
遠くには闕門模した高速道路のゲート、そして順陵の参道両側にあった陪葬墓などが見える。
石像群の南側の樹の生えた小山も陪葬墓だろう。
こちらの陪葬墓も参道の両側に対で築かれていて、その間には石碑が複数ある。
参道も付近の人たちにとってはただの道路のようで、バイクがやってきた。
広い参道の左右に石人が7体、現在は中央の1体が欠け、頭部のないものが2体並んでいる。ここの石像には説明板がなかった。
それぞれに顔は異なるが、衣装や前で手を組む姿勢は同じだ。
両手で長い剣を立てているので、武人の列だろう。剣の柄が出ているがどんなものかわからない。
7体の石人像を過ぎると、坐ったった石獣が4体と一番向こうに石人、更に空間をあけて左右対称に並んでいる。
一番南の獅子は口を開いているので雄獅子かな。全体につるんとしていてたてがみは表されていないようで、南門前の走獅とはずいぶん違った獅子の姿だ。
次の獅子は口を閉じた雌かな。前肢の付け根に渦巻がある。尾は下から左後足の内側を通って胴体に密着している。
続いて石羊が2体。何故羊なのだろう。強そうには見えない。則天武后の母楊氏が未年だったのかな。
目が飛び出している割に鼻が穴しかわからない。無表情なようで、口の横の短い曲線の皺のせいで笑っているようにも見える。
石獣の列とは少し離れて、門吏が一対。こちらのは3mはありそうだ。
環刀の上に両手を置いている。衣の襞が数本、左右対称に真下に垂れている。
よく似た像を『新シルクロード展』で見たことがある。

門吏図 唐・乾封元年(666) 壁画 縦211.6㎝横73.5㎝ 咸陽市礼泉県韋貴妃墓
同展図録は、韋貴妃墓の墓道西壁の端で、墓室の門を守るような位置に置かれ、長剣を地に据えて直立した姿に表されていることから、門吏図といわれる。門の番人という性格からか、動きの少ない静的な描写に特色がある。
この手前に続く長い墓道の壁面には、入り口方向から、白虎と儀仗兵などの図が続いて描かれていたという。
石人の沓がどんなものだったかがわかる。
動きはないが、目玉が右に寄っている。門の外から魔物が入ってこないように睨みを利かせているのだろうか。いや、西壁だと左側が墓道の外になるはずだ。白虎を見ているのかも。
盛唐期の恵陵でも墓道に青龍と白虎が描かれていたが、初唐期にすでにそのような墓道壁画の形式が整っていたようだが、順陵の墓道にも門吏・青龍と白虎・儀仗隊などが表されていたのだろうか。
つづく

※参考文献
「新シルクロード展図録」 2005年 NHK・産経新聞社