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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/04/17

ティリヤ・テペの細粒細工は金の粒だけを鑞付け

 
新羅の金冠に似ているとされるティリヤ・テペ6号墓出土の王冠にも粒金細工があった。
ティリヤ・テペは北アフガニスタン、アレクサンドロス大王が遠征したバクトラ(現バルフ)とアレクサンドリア・マルギアナ(現メルヴ)の中程に位置している。粒金細工の装身具が出土したサルマタイの住むクラスノダルやロストフよりも東南方にある。
『アフガニスタン遺跡と秘宝』は、出土品にはヘレニズム、パルチア、バクトリア、スキタイ、インド、中国、匈奴など、ユーラシア各地の文化の影響が見られる。1世紀のクシャン朝初期か大月氏の墓と見られる。なかで、シルクロードの各地に見られるものが、スキタイ系の黄金製品である。
スキタイは、黒海の北の沿岸にいた騎馬民族であった。紀元前7世紀頃、ギリシャ民族がこのあたりに植民地を開き、ふたつの民族の交流がはじまった。ギリシャは穀物や毛皮・奴隷を求め、スキタイは工芸品や葡萄・オリーブ油を求めた。スキタイの特色とされる金銀工芸品は、スキタイ貴族の要請に応えて植民地にいたギリシャの工人が作ったものであったといわれる
という。
へえー、スキタイの金工品はギリシャ人が作ったものやったんや。その後のサルマタイの金工品はサルマタイが作っていたのかなあ。  ティリヤ・テペは、6基の墓はいずれも構造は簡単なものという。

5号墓の首飾りは華麗だ。前1世紀ともなるとスキタイではなくサルマタイの工芸品か、あるいはヘレニズム美術かだろう。
象嵌されているのは赤と青の石あるいはガラスだろうが、形も大きさもよくそろっている。 
そして大小の金の粒。台座に金の粒を鑞付けしたのではなく、金の粒どうしを鑞付けしているように見える。 1号墓出土の黄金飾板は10個の金の粒を鑞付けで平面的な三角形に仕上げている。何か帯状のものにでも取り付けてあったのだろうか。 3号墓出土の金製粒金の空玉は底が見えているのだが、金の粒どうしを鑞付けすることによって、中空の玉を作り上げたようだ。この技術ってすごくないのだろうか。ティリヤ・テペの小規模な墓群で出土したものが、その土地で作られたものか、他の国から将来されたものか全くかわからないが、今までにはない、金の粒どうしを鑞付けするという技術が特異である。

ティリヤ・テペ6号墓出土の王冠については、歩揺冠は騎馬遊牧民の好み?剣菱形飾りは新羅?-藤ノ木古墳の全貌展よりをどうぞ



2016年6月に、東博で開催されていた「黄金のアフガニスタン展 守りぬかれたシルクロードの秘宝展」を見学した。ここで紹介した作品が展示されており、実物を見ることができて幸いだったが、その図録によって、粒金細工と確認しながら見ていったものが、粒金にみせる技術によって制作されたものだと判明。
それについては、黄金のアフガニスタン展1 粒金のような、粒金状は粒金ではないをご覧下さい。

関連項目
黄金伝説展2 粒金だけを鑞付けする

※参考文献
「アフガニスタン遺跡と秘宝 文明の十字路の五千年」 樋口隆康 2003年 NHK出版
「偉大なるシルクロードの遺産展図録」 株式会社キュレイターズ
「世界文化遺産12騎馬遊牧民の黄金文化」 2001年 島根県立並河萬里写真財団