国立慶州博物館の野外展示で四方仏を見た後で堀仏寺の四面石仏を見ると、これが四方仏ではないことがはっきりした。
そうなると、西側の三尊像が阿弥陀三尊と言えなくなった。それにずんぐりした中尊と、三曲する細身の身体の両脇侍は、当初の組み合わせではないように思う。

そして頭部が大きいと感じるのは首が短いのとべったりした顔の作り、そして三面頭飾が縦に長いこからだろう。左手に持っているものが何かわからないが、宝冠には立像の化仏がついているので、観音像だろう。

左右の菩薩の衣裳が違いすぎるし、様式も異なるので、当初の組み合わせではないと思う。後世に壊れたりして別のところから持ってこられたものだろう。

統一新羅時代(8世紀)のもので、胸飾りはそんなに派手ではないものの、両太ももあたりは紐を結んだものだろうか、非常に装飾的な菩薩だが、着衣は薄く身に沿い、天衣も翻ることなく、腹部と膝に広がり、それが背中に回ったのか、両肩から腕へと垂れて、膝のところにも延びている。どこが端なのかわからない。
頭部は左脇侍に似ていて、足の開き方は右脇侍に似ているようにも思える。
