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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/06/02

慶州博物館野外展示の石仏は統一新羅ばかり

国立慶州博物館の野外展示には、頭部のない仏坐像がたくさんあった。様式からほぼ同時代のもののようだった。
『慶州で2000年を歩く』には頭部の欠けた仏坐像が横一列に並んだ写真があり、芬皇寺から発見されたという説明があった。同じ時期に首を切られたような感じだ。 石造如来立像 月城、獐項里寺址 統一新羅(8世紀) 250㎝
右手を胸前に置く、珍しい仏像に見える。 石造観音菩薩立像 統一新羅時代(8世紀)
この菩薩像は、もともと頭部は国立慶州博物館に、胴体部は慶州市の狼山にあった。宝冠の彫刻ははっきりしないが、左手に浄瓶を持っていることから観音菩薩であることが分かる。ふくよかな頬を持つ細長い顔や、左足に身体の重心をかけ腰と肩を自然にくねらせた三曲の姿勢などから、8世紀の作と思われるという。
この菩薩立像については掘仏寺(クルプルサ)の四面石仏、西側の二菩薩はへ。  石造仏頭 慶州南山鉄瓦谷(チョルアゴル) 統一新羅(8世紀末-9世紀初) 高さ153㎝
1959年に国立慶州博物館に移された。頭部は素髪で、頭頂部には大きな肉髻が表現されている。固く閉じた口のせいか、表情がたいへん謹厳に見える。両耳を彫刻していないが、その理由は不明である。8世紀の仏像のような生動感は見られないが、大きな目、鼻、口と謹厳さが感じられる表情は、8世紀代の余韻を感じさせるという。大きな白豪やね。 石造如来坐像 慶州南山茸長里 統一新羅(8-9世紀) 高さ305㎝ 
慶州南山の仏像のうち、数少ない完全な丸彫彫像のうちの一つで、茸長谷(ヨンジャンコル)にあったものを博物館に移したものである。二重の蓮花台座上に結跏趺坐したまま、触地印の姿勢で左手に薬壺をもっており、首には三道が表現してある。光背は舟形であり、頭光と身光の内区には唐草文を、その外側には唐草文状の火焔文が陽刻されているが、化仏は省略されている という。慶州博物館の図録には光背をつけた格好で野外展示してある図版があった。 石造如来坐像 統一新羅(8-10世紀)
身体、特に膝の薄さに比べて、頭部が高浮彫になっている。 石造如来立像 統一新羅(9-10世紀)  
衣のドレープがウエストから下にだけ表されている。襞が陽刻になっている点が時代が下がった様式なのかなあ。 このように野外展示の仏像は統一新羅時代(676-911)のものばかりだった。館内にも石仏はあったはず。 

※参考文献
「国立慶州博物館図録」(1996年 世光印刷公社)
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)