ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2008/04/09
吉備路のつくりやま古墳は作山
吉備路には大きな古墳がある。こうもり塚古墳や国分寺の西方、総社市の作山古墳もその1つである。後円部が正面に見える道から近づいていったら、段々に整地されているようだった。 横から見ても段々がわかる。 前方部も段々だ。後世段々畑になっていたのかも。環濠はどうなっているのだろう。 登り口に駐車場があった。 1段上ってみると、もう2段あり、方形の角に道がついている。 前方部は端が一番高く、後円部へ向かって下りていく。 振り返るとこのように、大きな古墳なのに前方部の平らな部分は狭い。その部分で祭祀が行われたのだから、大人数では行われなかったのだろう。 このあたりが一番幅がなく、低いところである。後円部は平らで広いが、円形であることが実感できない。ここにはどんな人物が、そしてどんな副葬品が葬られていたのだろう。しかし、説明板には、この古墳の築造は、発掘調査がおこなわれていないのであきらかではありませんが、墳丘の形態や円筒埴輪の研究から、5世紀中葉頃と考えられているという。
5世紀後半の橿原市新沢千塚126号墳より少し前というところか。 後円部の頂点から下を眺めるとなるほど丸い。そしてやっぱり3段だ。三段に築成され、格段には密接して円筒埴輪がたち並び、斜面は角礫でおおっているという。後円部の後方から前方部を見る。やっぱり後円部は丸いね。歩いていてわからなかったが、つなぎ部は平たくないのだ。後円部の古~い説明板に上空からの写真があった。造出しは北側には存在しますが、対照的に南側にもあったかどうかは疑問です。外周には周濠がなく、複数の残丘を残すなど巨大な墳丘のわりには端正さを欠く面もあるという。 戻ると駐車場にある少しましな説明板があった。つくり山と称されるほど、雄壮で巨大な前方後円墳です。独立した小丘陵を削り、整形、加工したもので、一部に後世の改変を受けているものの、全長約285m、後円部径174m、同高さ24m、前方部長さ110m、同幅174mの規模をもっているという。 作山古墳の規模は、全国的にみても第9位に相当し、 ・・略・・ 古墳の規模が豪族権力の反映または象徴であることからすれば、本墳の被葬者が吉備に君臨した大首長であることが想像されるという。吉備氏族の首長の1人かと思っていた。