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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/07/04

アカンサスと人物の柱頭は


アカンサスの葉を表した柱頭はコリント式柱頭と呼ばれ、古代ギリシア時代に誕生した。それが東漸していくうちに、葉の間に人物、あるいは人頭が出現する。中央アジアで2から3世紀の頃である。 
そして、アカンサスと人物という組合せは雲崗石窟では中期(470-494年)にあらわれる。
この時空間を埋めるものは見つけられるのだろうか。数少ない蔵書を探してみたが、雲崗石窟が影響を受けたといわれる河西回廊の石窟は、壁画も浮彫も、建物に関する写真を見つけることができなかった。
そこで、敦煌莫高窟の初期窟を探してみた。

14 敦煌莫高窟第248窟南壁上部 天宮伎楽 北魏(439-535年)
鴟尾付きの屋根のある建物に楽人、アーチに伎天という配置が交互に並んでいるが、柱は見えない。上部にアカンサスの葉や半パルメットの帯状装飾はあるのに。 15 敦煌莫高窟第257窟西壁中層 鹿王本生部分 北魏(439-535年)
小さな屋根にも1対の鴟尾があるが、柱は線程度にしか描かれない。建物の周囲に矢狭間や望楼のある壁が巡っている。望楼には1対の白いギザギザがあるが、これがアカンサスではないだろう。16 敦煌莫高窟第275窟南壁  北涼(397-439年)
敦煌莫高窟で最も古い北涼時代の窟の1つだが、敦煌は前漢より漢族が居住していた町だけあって、建物は漢族風で斗栱まで表現されている。
下に四門出遊のうち2つが描かれ、上には並ぶ闕形龕の中にそれぞれ交脚菩薩像が表されている。 異国風なものと言えば、中層の忍冬文帯くらいだ。17 克孜爾(キジル)石窟第77窟左甬道外壁上部 天宮伎楽部分 3世紀末-4世紀中
敦煌莫高窟より西にあるトルファン郊外のトユク石窟にもアカンサスの柱頭の写真はなかったので、キジル石窟で探してみた。
『中国新疆壁画全集 克孜爾1』(中国語のため、適当に訳した)によると、
一条の忍冬文帯飾りは上の菱形の禅修図と分割するもので、その下には円形の垂木の先が出ている。下部には一条の欄干が台のようである
ということで、この段には交脚菩薩像を中心に菩薩や伎楽天などが並んでいるのだが、軒を支える柱は全く描かれていない。 ということで、私の持っている本からは探し出すことができなかった。

※参考文献
「中国新疆壁画全集 克孜爾1」  段文傑主編 1995年 新疆美術撮影出版社
「中国石窟 敦煌莫高窟1」 敦煌文物研究所編 1982年 文物出版社