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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2006/11/01

アカンサスは東へ



ヘレニズム時代に東漸したアカンサスの意匠は、「文化遺産オンライン」にバクトリア時代(前250-145年)のアイハヌム遺跡に遺された柱頭彫刻にも表されている。アカンサスの葉よりも茎が立派な柱頭である。
バクトリアはアレクサンドロス大王の遠征に付いていった人々あるいはその後移民したギリシア系の人々がアムダリア(オクサス)川流域に建てた国である。アイ・ハヌムは現在はアフガニスタンとタジキスタンの国境となったオクサス川にコクチャ川が合流する地点に位置している。


その後は紀元後2-3世紀のクシャーン朝時代になってしまうが、大英博蔵のガンダーラのコリント式柱頭で、同展図録は、実際に柱として機能するものではなく、装飾効果として浮彫のようになった見せかけの柱で、本作品はその円柱形片蓋の柱頭部分。中心には蓮肉に坐し、施無畏印を結ぶ仏陀坐像が表されているという。

アイ・ハヌムでもこの柱頭を戴いた柱の列柱廊が見つかっており、その影響を受けたガンダーラの浮彫中にも数多く登場している。本作品はギリシアのモデルに忠実に表現されているが、すらりとした原型に比べ、高さを失い、横に広がりを見せている点が特徴である。その中に人物像を表すのはオクサス河流域からの影響ということだ。
また、同じガンダーラでも、下図の「初転法輪図」には、アカンサスの葉を並列にしたような帯装飾が表されている。上図と比べると、同時代でありながらずいぶん浅浮彫で、平面的な表現である。
下図は同じくガンダーラの柱頭装飾である。力強いアカンサスの葉の中央に仏が上半身を現している。上の装飾帯はブドウ唐草なのだろうが、その葉はブドウというよりアカンサスのように見える。
同じ頃に、ウズベキスタンのカラ・テパ(オクサス河流域でアイ・ハヌムの200㎞下流)で仏教寺院跡より出土した下図の柱頭装飾は、上図と良く似た構図で、仏が上半身を現している。地理的にはバクトリアの地で受け継がれたアカンサスの装飾ということになるのだが、仏教美術の伝播となると、ガンダーラから将来された図様ということになる。
また、アイルタム(カラ・テパの少し上流)の仏教寺院跡より出土した下図の浮彫には仏像ではなく、楽人が表されている。
このように、中央アジアでアカンサスの柱頭装飾や装飾帯はあったが、アカンサス唐草は見つけることができなかった。
しかし、キジル石窟に描かれた紀元500年頃のアカンサスの装飾帯は、かなり写実的で力強いものである。よく見ると蔓がない。翻るアカンサスの葉を交互に組み合わせている。その起源はこれらのアカンサスの葉を組み合わせた柱頭装飾やフリーズではないだろうか。

※参考文献
「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展図録」2003年 NHK
「シルクロード大美術展図録」1996年 読売新聞社
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」1999年 小学館