ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2006/10/18
トユク石窟にアカンサスはあった
昨夏新疆に旅行することになった時、シルクロードについていろいろ調べていると、くるーぞのお気に入りにも入れている「写真でつなぐシルクロード」のトルファンの中に吐峪溝付近という写真を見つけた(クリックすると大きな写真と、下に解説文が出てきます。後は>>をクリックしていくと解説を読みながら大きな写真が見られます)。
火焔山の中に開かれた石窟の入口の穴とそれを結ぶ足場に興味を惹かれた。次々に出てくる写真に、小さな村や、ダム、そして川筋に少し紅葉の始まった草や木、ススキなどを見ていて、こんなところが火焔山の中にあるのかと思うと、是非行きたいと思うようになった。
そんなところに、利用した風の旅行社から「何か希望はありますか?」という申し出があった。それで驚くほどたくさん要求して、びっくりする程夢が叶うというすごい旅行となったのだが、もちろんその中にそのトユク石窟も入っていた。
北京時間8時という、西域では早朝に、トルファンのホテルを出発して約1時間でトユク村の入口にある駐車場に着いた。車を降りると、まだ山に阻まれて日の差さないトユク村の家並みと緑色タイルのこぢんまりしたモスクが見えてきた。現在はイスラム教徒のウイグル族が住んでいる。 村の中をしばらく歩くとやがて木道となる。崩壊した石窟の壁の一部に千仏が描かれているのが露出したままだったりして、痛ましかった。木道は、日本のように滑りやすい板ではなく、木を割ったままのごつごつした感触がトレッキングシューズを通して感じられた。なんとものどかな空気が漂っていた。暑い、熱いと言われる火焔山の中にあっても、朝で渓谷に日が差し始めたばかりだったせいか、そんなに暑くはなかった。小川の西側を通っていたが、「写真でつなぐ・・」で見た通りの小さなダムの上を渡ってまだ日陰の東側の木道を通ることになる。下の写真はそのダムサイト?から撮ったもの。この景色も実際に見たかった。ものすごい色の山肌を撮ったり、花を撮ったり、ヤツガシラを撮ったがピントが合わなかったり、そして崩壊の進んだ石窟とその上に通された道路をガンガン通るトラックなどを見ながら歩いて行くと、やがて向こうの崖の上の方に石窟の穴が点々と見えてきた。木道はいつの間にか階段となり、石窟の入口へと続いていた。見学できたのは3つの窟だけだったが、後日見る予定のキジル石窟と、かつて見た敦煌莫高窟をつなぐものが見られるということで期待していた。時期でいうと高昌郡から高昌国時代(327から640年)、漢族の麹氏(きくし)が唐に滅ぼされるまでのものである。
仏教美術が好きだが、その周辺に描かれているものを見るのも好きなので、仏・菩薩を囲む帯状の枠の中に描かれた装飾文様にも目が行った。偏袒右肩の仏立像の足元には丸い足ふきマットのような蓮台が描かれていた。
そして第41窟で注目したのは、ノコギリ状の葉がジグザグに並んだ文様だった。アカンサスがトユク石窟にあったのだ。この窟は伏斗式天井のため、四方の隅になるほど低くなり、上図の小さな仏立像の右側には下図の仏交脚像が描かれている。この交脚像が坐る蓮台はふっくらした蓮華として表されていた。
そして、その下には、アカンサスの葉繋ぎ文とでもいうのだろうか、上図のジグザグの続きがある。図版が切れているのが残念だが、白い茎の上や下に葉が描かれているのがよくわかる。かなりダイナミックな文様で、葉のギザギザの先にトゲのようなものまで表されている。アカンサスという西方起源の植物文様が西域にも伝播していたのだ。
※参考文献
「中國新疆璧畫全集6 栢孜克里克・吐峪溝」1995年 新疆美術攝影出版社