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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2020/05/08

ローマ国立博物館(マッシモ宮) オプス・セクティレ


同館にはオプス・セクティレの作品もあった。
『完全復元2000年前の古代都市ポンペイ』は、四角形や円形の内側を彩色大理石で埋め尽くし、エンブレーマとする技法もあり、オプス・セクティレとよばれているという。

太陽神アポロの顔 オプス・セクティレ 大理石 3世紀初頭
顔や首は色の混じった大理石を大きく切って、縮れた髪は曲線の細いパーツをうまく組み合わせている。
まつげはさすがに印象に刻み目をいれて表現している。

執政官行進図 オプス・セクティレ 後325-350年頃 ローマ、ユニウス・バッススのバシリカ出土 大理石・石・ガラス ローマ国立博物館蔵
『世界美術大全集5古代地中海とローマ』は、後331年の執政官ユニウス・バッススが謁見の間として用いた大広間の壁面は豪華なモザイクで装飾されていた。その状態は16世紀まで維持されており、ジュリアーノ・ダ・サンガッロ(1445-4516)らが記録にとどめている。しかし、現存するのはコンセルヴァトーリ美術館のパネル2点とローマ国立博物館のパネル2点だけである。
色大理石と色石を用いてのこのモザイクはおそらくエジプトで制作されたもので、それをローマで壁面に貼りつけたのであろう。このようなオプス・セクティレによる壁面の装飾が流行するにつれ、壁画は次第に衰退していく
という。

フレスコ画のその後を知ることができた。
ほぼ左右対称で2頭立ての戦車に乗った執政官は正面を向く。
執政官の鎧には色石だけではなく、色ガラスや金箔ガラスも嵌め込まれている。

オプス・セクティレ 4世紀前半 ローマ、ジュニオ・バッソのバジリカ出土
主題はギリシア神話だろう。
その下や、両側の文様帯の間の人物などはローマ人の服装や生活を描いたものではなく、当時流行していたエジプト趣味による。
それぞれの衣服の柄などは、モザイク・ガラス片を集めて造ったとしか思えない細かさ。

ところが、これらの作品よりも前の後2世紀に、ガラスだけで、オプス・セクティレのような工芸があった。それは象嵌(intarsio)と呼ばれている。

植物文様のパネル ガラス象嵌 2世紀 ルチオ・ヴェロの別荘出土 ストロガノフ・コレクション
ガラス・モザイクは細かく切ったテッセラでつくるが、これはオプス・セクティレと同じように、色ガラスを文様に切って、漆喰の板に嵌め込んだもので、象嵌という言葉が用いられている。
細部を見るとミルフィオリの技法で造ったガラス板を切ったものも。

蔓草とライオンのパネル ガラス象嵌 後2世紀 ローマ、ルチオ・ヴェロの別荘出土 キルケリアーノ博物館蔵
蔓草とグリフィン。グリフィンの尾が蔓草になって、渦巻いて中に花を咲かせたり、葉や実のような粒を出したりしている。それに、左前肢も蔓草になっている。
蔓草の中心
大きな花弁から出た明石雌しべに色の違う葡萄の実が付いているようにも見える。
蔓草となった前肢の先には八弁花のロゼッタ文。これこそガラスでなければ出来ない文様。



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関連項目
ローマ国立博物館(マッシモ宮) ファルネジーナ荘
ローマ国立博物館(マッシモ宮) フレスコ画

参考文献
「完全復元2000年前の古代都市 ポンペイ」 サルバトーレ・チロ・ナッポ 1999年 ニュートンプレス
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」 1997年 小学館