ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2016/05/17
唐招提寺の奈良時代の立像は
唐招提寺の新宝蔵には、奈良時代の立像も展示されていた。
これらの像が、鑑真が連れてきた仏師たちが、当時の唐での最新の造像様式だったと聞いたことがある。
それらの像については、かなり以前に唐招提寺の木彫仏にみる翻波式衣文としてまとめたことがあるが、勘違いも多いだろうと思うので、今回は、翻波式衣文だけでなく、仏像全体としてみていくことにした。
伝薬師如来坐像 木造 像高160.2㎝
『新版古寺巡礼奈良8唐招提寺』は、木心を後方にはずしたカヤの一木より、頭頂から蓮肉の下方に伸びる軸(葺軸)までを含めて彫り出している。頭部は小さく、体部は幅広で量感があり、腰が高い位置にあることから伸びやかである。顔は頬が豊かに張り、微笑をみせる。肉付けを強調した大腿部と腹部の間には極めて密に衣文線が刻まれ、それが下方にいくと急に疎になるという、集中と拡散のリズムをみせる。またうねる衣端部には、生命感のある波状の衣文線が刻まれる。このような表現は、鑑真和上に随行した仏工の作であることを示しているという。
茶杓形衣文は膝のあたりに見られるが、翻波式衣文は左袖あたりに限られる。衣文はそれぞれが盛り上がって表されている。
伝衆宝王菩薩立像 木造 像高173.2㎝
同書は、失われた腕を復元すると六臂だったことがわかり、条帛に鹿皮様のものを結ぶことから不空羂索観音であったと考えられてきたが、近年では千手観音の可能性も浮上している。伝薬師如来立像と同じ構造で、表情に微笑がみられることも共通する。また、肉身のふくよかさに対して、局所的に細かく畳まれている衣や、天冠台・石帯などの稠密な彫りなど伝薬師如来立像に共通する独特のリズムがみられる。これらの彫り口は檀像を思わせるものがあり、その点で和上将来品のなかに彫白栴檀千手像が含まれることは興味深いという。
直立して、全体に左右対称につくられているのを、左肩から右脇に通った条帛とその結び目が破っている。2本の天衣が正面部分が失われているため、脚部の茶杓形衣文が交互に表されているのがよくわかる。裙の折返しでは、茶杓形衣文はあるものの、左右同じ高さになっている。
翻波式衣文はみられない。
伝獅子吼菩薩立像 木造 像高171.8㎝
同書は、額に一眼を表し、両腕の後方に各一腕が配され、条帛の上から大きな結び目を作った鹿皮と思われるものを懸けていることから、三目四臂の不空羂索観音と考えられている。小さめの頭部に雄偉な体軀というプロポーション、両肩が盛りあがり腰から大腿部への張りのある肉付けなど、伝薬師如来立像・伝衆宝王菩薩立像と同じ作風を示している。表情における微笑相や構造も共通する。その上で本像は全体におおらかさが目立ち、肉付の張りは伝薬師像ほどではなく、腕釧や臂釧の彫りも伝衆宝王菩薩像より大まかなところがあり、耳の彫り口も2像と異なることは、仏工の違いによるものと考えられるという。
左肩に浅い翻波式衣文がみられる。脚部の茶杓形衣文は、下にいくにつれ弧状としていくなど、この仏工独自の表現法がみられる。
伝大自在王菩薩立像 木造 像高169.4㎝
同書は、構造は先の3像と同じく、頭頂から蓮肉下の葺軸までを共木で彫り出す。裳の上部を折返して石帯で留め、天衣が2段に脚部を渡る表現、また天冠台・石帯・臂釧の形などは、伝衆宝王菩薩像に学んだと思われる。しかしすっきりとした卵形の顔に見開きの細い目を刻んだ面相や蓮肉・葺軸の形など、伝衆宝王菩薩像と異なる点も多い。瞳に別材を嵌める技法や、翻波式衣文を表す彫法などとも異なる。顔立ちやプロポーションのよさは天平彫刻の流れを受け継いでいることを示し、翻波式衣文も奈良・東大寺法華堂本尊不空羂索観音立像にみられる。古典的な仏像表現の中に、和上がもたらした新様を取り入れた像であるといえようという。
他の像と比べると、量感も控えめで、茶杓形衣文も見られない。
翻波式衣文は、裙の折返しに見られる程度である。
なんと、翻波式衣文は、鑑真さんが当時(盛唐期)の最新流行の量感あふれる体軀と共に将来したものだと思っていたのに、それ以前にすでに日本に入っていたとは。
平安前期の立像は← →東大寺法華堂不空羂索観音立像に翻波式衣文
関連項目
翻波式衣文はどこから
唐招提寺の木彫仏にみる翻波式衣文
唐招提寺の四天王像
※参考文献
「新版古寺巡礼奈良8 唐招提寺」 西山明彦・滝田栄 2010年 淡交社