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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/03/04

焼成レンガによる装飾 


ウズベキスタン、ブハラのサーマーン廟(943年以前)は、焼成レンガによる様々な文様の美しい建造物である。
サーマーン廟の焼成レンガの文様についてはこちら

このような焼成レンガの組み合わせによる建造物はどのようなものがあるのだろうか。

アラブ・アタ廟 977年 ウズベキスタン、ティム
外観は、ファサードにピーシュターク(門構え)ができて、サーマーン廟よりも墓廟風になっている。
この画像しかないので細かな点は不明だが、サーマーン廟の外壁とよく似た横2縦1という焼成レンガの積み上げ方がほとんどのよう。

ミル・ザイド・バフロム廟 1020年頃 ウズベキスタン、カルマナ町
同書は、ピーシユターク(ファサード)とドームのある立方体の建物である。細部には浮彫焼成レンガを用いた豊かな装飾があるという。
浮彫焼成レンガは入口上のタンパンにあり、透彫の幾何学文となっている。
入口の尖頭アーチにはテラコッタによるアラビア文字の銘文、それを囲むコの字形の文様帯には、小さな正方形を囲む2種類の文様が交互に配される。両端の付け柱状のものには、サーマーン廟で多く使われた横2縦1という焼成レンガの積み方が採られている。

ブラナのミナレット 11世紀前半 高さ40m以上、現高24.6m キルギス、バラサグン遺跡 
『BURANA』は、イスラームの中央アジアへの到来はイスラーム建築という新しい型の建物をもたらした。焼成レンガは、記念物や公共の建物の基本的な建築材料となった。
ブラナのミナレットは人々にお祈りを呼びかけるためのものであり、また街の見張り塔 となった。現在の高さは24.6m。当初は40m以上あった。書物によると、ミナレットはモスクとメド レセの双方に使われたが、どちらも現在まで残されていないという。
このページをまとめたずっと後、ブラナのミナレットの焼成レンガを他の遺構のものと比べていると、ウズゲンのミナレットよりも以前で、ミル・ザイド・バフロム廟と同じ頃かそのすぐ後に建造されたのではないかという結論に至った。
それについてはこちら
それはこのように平レンガを4種類くらいの大きさに切り、それを各所にはめ込むことで幾何学文様を構成していること。そしてその文様が2つの建物のものと似ていることである。

ウズゲンのミナレット 11世紀 高さ40m(現在は13mのみ)基部の直径9.4m キルギス
『LUMIERE DE LA PROFONDEUR DES SIECLES』は、全面イスラーム文様のタイル装飾があるという。
様々な文様を、ほぼ同じ規格の平レンガを組み合わせることによって作り出している。
幅のある文様帯には菱文繋ぎなどがあり、狭い文様帯には円文繋ぎの他に、斜めの十字形とX字形を交互に並べたものなど。

ラバティ・マリクのキャラバンサライ 11世紀 ウズベキスタン、カルマナ付近
同書は、重要なラバティ・マリクのキャラバンサライはサマルカンドとブハラを繋ぐ道のカルマナ町付近に建てられた。
U字形の枠には8点星がずらりと並んでいる。入口の高いアーチは焼成レンガによるアラビア文字の銘文帯で飾られているという。
日本語ではコの字形と呼ぶものをフランス語ではU字形というらしい。もっと適当な用語はないものか。
8点星と十字形の組み合わせだが、文様帯に幅がないために、十字形が現れているのは、頂部の両端から2つ目だけ。8点星の中に文様浮彫があるらしい。

3つの廟 カラハン朝、11-12世紀 キルギス、ウズゲン
同書は、3つの廟はそれぞれ異なった時期の様式で、カラハン朝の時代を反映している。ピーシュタークとドームを持つ廟が3つ並ぶという。
なるほど、細部が少しずつ異なっているのは時代によるものなのだ。
中央 11世紀
同書は、昔はジャラトハナという名所で、焼成レンガと石膏による装飾の豊かな2つのファサードがあるという。
どれが石膏なのだろう。ひょつとすると、今は焼成レンガの装飾のない面に見えている箇所には、かつて石膏の浮彫装飾があったのかも。

マゴキ・アッタリ・モスク 12世紀 ウズベキスタン、ブハラ
『中央アジアの傑作ブハラ』は、1930年に、考古学者は12世紀にさかのぼるモスクの南入り口を発掘した。入り口は、レンガ及びマジョリカでできたユニークな飾りで飾り付けがされているという。 
同書は、入り口端の4分の1の二重コラムがプレイスラム教のソグド建築の古風な跡であるという。
上から魚の骨(矢筈文様、英語でヘリンボーン、フランス語でシェヴロン)。
長方形と正方形、菱形、ゾロアスター教の善悪を表した形を規則的に配置。
平レンガを横2枚にゾロアスター教の善悪を表した形を1単位に横に並べ、上には交互に配置。
右側は漆喰装飾と思っていたが、石膏だったのかも。
イーワーンの中にも焼成レンガの装飾がある。
中央は正方形を組み合わせていろいろに見える。
その両側は六角形の蜘蛛の巣のよう。
マゴキ・アッタリ・モスクの焼成レンガについて詳しくはこちら

ムハンメド・イブン・ザイド廟 12世紀 トルクメニスタン、メルヴ
外壁には装飾はないが、内部の2室に焼成レンガの組み合わせによる装飾があった。
北西の部屋
ブハラのマゴキ・アッタリ・モスクと同じゾロアスター教由来の文様に見えるものは、もっと単純な正方形を斜めにして縦に二つ並べたもの。
尖頭アーチ頂部と左下尖頭アーチ、中央の小さなアーチに、これまでにない幾何学文様の浮彫があった。
移行部下の四壁上部にアラビア文字の銘文帯や、その上下に文様帯が焼成レンガで造られていた。
ムハンマド・イブン・ザイド廟の焼成レンガ装飾について、詳しくはこちら

スルタン・サンジャル廟 Mausoleum of Sulatn Sanjar 12世紀 トルクメニスタン、メルヴ
『LUMIERE DE LA PROFONDEUR DES SIECLES』は、建築家ムハンマド・イブン・アジズ・セラフシによって建てられた。
階上廊が上部をめぐる立方体の建物は、二重殻ドームを頂いている。階上廊は焼成レンガと浮彫石膏の組み合わせの装飾があるという。
ピーシユターク(門構え)もなく、ドームと立方体の簡素な形の廟というと、ブハラのサーマーン廟(943年以前)が思い浮かぶが、そこにも階上廊がめぐっていた。その系譜にある廟ということになるが、その間にドームは二重殻となり、階上廊も二階建てのように見える。
修復されたものだが、外壁にも焼成レンガの装飾があった。
尖頭アーチには幾何学的な浮彫装飾、その上にはアラビア文字の銘文帯。
廟内左右の壁には同じ大きさだが開口部のないイーワーンがあって、上部には焼成レンガの帯があった。
そこには、浮彫で表されたアラビア文字の銘文と蔓草文の文様帯が巡っていたらしい。

ジャルクルガンのミナレット 1110年 高さ21.6m直径5.4m  ウズベキスタン南東部
『LUMIERE DE LA PROFONDEUR DES SIECLES』は、16の半円柱形の装飾があり、高さ20mにアラビア文字の銘文帯がある。上の階は崩壊し、現在は21.6mの高さで、基部は直径5.4mであるという。
16の半円柱には魚の骨(ヘリンボーン、杉綾織文)状に平レンガを組んである。
アラビア文字の銘文帯には、文字だけではなく何かが表されているようだが、蔓草には見えない。
八角形の基部にあるアラビア文字の銘文帯には、半パルメット状の葉があちこちに潜んでいる。

3つの廟うち左(北) カラハン朝、1113年 アリ・キリチの墓 ウズゲン
ピーシュタークの頂部には4段くらいの鋸歯文が持ち送りになって、軒のよう。
イーワーンの尖頭アーチ外縁には蔓草とアラビア文字の銘文帯、その頂点には空色嵌め込みタイル。両側の円文には幾何学的な文様。その外側は、密に配置した十字形の陰刻にも見え、十字形の中央には正方形の小片が出ている。
イーワーン内は不思議な文様。これは焼成レンガというよりも石膏っぽい。
その下の楣石にも、あまり見たことのない幾何学文様が、象嵌のように平面的に表されているように見える。
イーワーン下の柱頭は文様はなく、その下付け柱には植物文のような浮彫がありそう。

シャレ・マシュハドのメドレセ 1165-66年 アフガニスタン
焼成レンガだけの建築装飾。
おそらくファサードピーシユタークにコの字形があって、そこにアラビア文字の銘文と、幾何学文様だが飾り紐のような装飾的な文様が焼成レンガで表されている。
内側のイーワーンはかなり奥行があり、それぞれの場所に焼成レンガによる様々な幾何学文様を嵌め込んでいる。
おそらくイーワーンの尖頭ヴォールトの曲面を飾る焼成レンガ片による幾何学文様と、その内側に嵌め込まれた浮彫焼成レンガの小さなタイル。

3つの廟うち右(南) カラハン朝1187年 ウズゲン
3つの廟のうちこの廟だけが軒飾りがない。
僅かに尖頭となったアーチにはアラビア文字の銘文帯の縁飾りがありその下の柱頭と円柱には装飾がないか後補。
イーワーン上左右の円文は僅かに残るが、壁面には平レンガの広い面(あるいは石)が見えている。イーワーン内の装飾もうっすらと残る程度である。それは、石膏の浮彫装飾が剥落したためだろうか。
楣石の装飾はなくなっているようで、白い地が見えている。
とろが、同書には、このような外観の図版とともに、2つの精緻な焼成レンガの浮彫のある写真が2枚あって、いずれもが南の廟とされているのだ。
そして、中央アジア2001年夏/Takaウズゲンの霊廟とミナレットというページにも楣石以外の、濃密な浮彫装飾が写っている。

おそらく扉口側壁の柱頭の高さにある装飾
私が勝手に呼んでいる一重に渦巻く蔓草文を地にしたアラビア文字の銘文。
下の画像から、おそらくイーワーン側面、柱頭と同じ高さにある装飾帯だろう。
扉口外の右付け柱
柱頭は石を彫刻したのではないだろうか。レンガの継ぎ目が見られない。その下の付け柱にしても、まるで円筒形に焼いたレンガを浮彫したかのよう。これって、14世紀半ば以降に見られるシャーヒ・ズィンダ廟群の大型の浮彫施釉タイルに繋がるのかな?

ヴァブケントのミナレット 1197年 高さ38.7m地盤の直径6.2m、先端の直径2.8m ウズベキスタン
『LUMIERE DE LA PROFONDEUR DES SIECLES』は、カリャン・ミナレットは、ブハラオアシスでその後20世紀初頭までの間に建造された全てのミナレットの原型となった。
その最も古いミナレットはヴァブケント・モスクの近くにあるミナレットで、1197年にさかのぼる。カリャン・ミナレットとほぼ同じ構造だが、もっとほっそりして優美な姿であるという。
『中央アジアの傑作ブハラ』は、建築家バーコの弟子のひとりによって建築されたという。
幅広の文様帯には、サーマーン廟で見られたような、横2縦1という焼成レンガの組み合わせのようだが、狭い方には様々な文様が表されている。

ハリザ・チャシュマ・アユーブ 1208年 ウズベキスタン、ヴァブケント地方
同書は、アユーブの名をもつ泉の傍に、11世紀の偽墓(カダム・ゴフ)があり、その隣に壁龕-ミフラーブ型の記念モスクがある。石膏と浮彫焼成レンガの素晴らしい装飾、そして青釉タイルの幾何学的な意匠で溢れている。タンパンはイスラーム的なシンボル-鉤十字と歯形-で装飾されているという。
斜めからの図版しかないが、おそらイーワーン内頂部は、ブハラのマゴキ・アッタリ・モスク南入口上のイーワーン頂部と同じ構造になっているようだ。そしてそれは、サーマーン廟内部のスキンチと同じ構造でもある。
コの字形には大小の八角形を組み合わせて8点星を作り出したような浮彫焼成レンガの文様帯が巡る。そして、その中には8点星の青釉浮彫タイルが嵌め込まれている。
青釉浮彫タイルについては次回。

ジャームのミナレット 12世紀後半 アフガニスタン
『COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』は、東方イスラーム建築において、浮彫ストゥッコが、その絶頂期に青色タイルにその地位を譲る、決定的なターニングポイントの証拠であることがわかった。ミナレットを巡るトルコブルーの銘文と円文の輪は、東方イスラームでの、青色系のタイル装飾の広大な伝播がやってくることの前触れであるという。
一部空色嵌め込みタイルが見られるが、ほぼ全面が焼成レンガで装飾されている
特徴的な角張った字体のアラビア文字の銘文が帯状に、大きな焼成レンガの装飾の周囲を、交差しながら巡る。
円形の中には、8点星から出た線が、正方形や十字形など様々な幾何学文を構成していく。
その下の長方形の文様帯には、六角形を三重の同心円状に配置し、その中心の小さな6点星から出た直線が三角形をつくっていく。マゴキ・アッタリ・モスクのイーワーン内の文様に似ている。

土色の素材を様々な形や文様を構成したり刻んだりしてできあがった壁面には、陰影によって浮かび上がる豊かな表情がある。

関連項目
ブラナのミナレットの建造時期は
ムハンマド・イブン・ザイド廟の焼成レンガ装飾
メルヴ5 ムハンメド・イブン・ザイド廟
サーマーン廟4 平たい焼成レンガを重ねた文様
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの

※参考サイト

中央アジア2001年夏/Takaウズゲンの霊廟とミナレット

※参考文献
「COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE」 1996年 Thames and Hudson Ltd.London
「LUMIERE DE LA PROFONDEUR DES SIECLES」 1998年 Charque
「中央アジアの傑作 ブハラ」 SANAT 2006年