当初はハーレム(現地ガイドのアイシャさんはハレームと言っていた)はなかったことが、『イスタンブール歴史散歩』の、メフメットⅡ世が建てた当時の宮殿にはハーレムはなかった。その後の何代かのスルタンたちも妻妾は旧宮殿(エスキ・サライ)に住まわせていた。
シュレイマン大帝が初めて寵妃ロクセラーナをトプカプ宮殿に入れたとされているが、当時は木造のパヴィリオンに住まわせていたらしい。
現在のハーレムはムラ卜Ⅲ世(在位1574-95)の時代に完成し、メフメットⅣ世(1648-87)とオスマンⅢ世(1754-57)の時代に増改築が行われているという記述で知ることが出来た。
ドラマなので仕方のないことだが、「オスマン帝国外伝」ではハーレムは石造りの建物だったし、皇帝以外は黒人宦官しか出入りできないはずの禁裏に、スレイマンの部下たちが入り込んでいた。
このハーレムの中にもミマールスィナンが設計した建物がある。それがスレイマンの孫ムラート三世の間である。
ハーレム平面図(記憶と文献より部屋や通路の場所を判断したので、間違いもあります)
①
車の門 ② 黒人宦官の守衛室 ③ 黒人宦官の中庭 ④ 皇子の学校 ⑤ 黒人宦官の居住区 ⑥ 建物の中の通路 ⑦ 配膳室 ⑧
オダリスクの中庭 ⑨ ヴァーリデ・スルタン(母后)の居間 ⑩ スルタンの浴室 ⑪ スルタンの広間 ⑫ ムラート三世の間への控えの間 ⑬
ムラート三世の間 ⑭ アフメット一世の図書室 ⑮ フルーツの間またはアフメット三世(在位1703-30)の食事室 ⑯
カフェス ⑰寵姫たちの中庭 ⑱ 寵姫たちの個室 ⑲ 黄金の道 ⑳ ヴァーリデ・スルタンの中庭 ㉑ 鳥籠の門(ハーレムの出口)
ムラート三世の間は見学したものの、ロープが張られていたり、結界があったりして、部屋の中を自由に歩き回れなかったので、写真もごくわずかしか撮れなかったので、『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN』(以下『SINAN』)の図版は貴重だ。
ムラート三世の間平面図
右の小さなドームは⑫控えの間、大ドームの⑬ムラート三世の間。
平面図では上側、入口からは右手にあるのが暖炉側で、左手にあるのが三層の泉側となる。
ムラート三世の間平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN より |
『望遠鏡』は、この部屋には建設当時のままの素晴らしい装飾が残っている。壁はイズニックのタイルで覆われている。満開のプラムの木の絵柄が青銅の暖炉を取り囲み、見事であるという。
暖炉上部
暖炉上部脇のタイルパネル
暖炉の両側には天蓋があるが、それ以外のタイル装飾や壺のような形の壁龕、そして戸棚の鼈甲と螺鈿の扉は当時のままという。特に、平天井のレベルと窓の上辺の間の青地のタイルは、高さがあるので、白でコーランの言葉を記したカリグラフィーとのコントラストが、淡い色のタイルが多いこの部屋の良いアクセントになっている。
満開のプラムの木は暖炉の付近以外にも、⑫ムラート三世の間への控えの間と⑬ムラート三世の間の間のトンネル状のところにあった。
三層の泉側の壁面
『イスタンブール歴史散歩』は、三層になった大理石の泉は、水音で涼感を誘うと同時に、会話の盗聴を防ぐ目的もあったという。
壁龕
これがイズニークタイル最盛期のトマトの赤と呼ばれる色。下部に赤い釉薬が盛り上がっているのが分かる。この頃は黄色い釉薬はまだなかった。黄色い釉薬が使われたタイルは時代が下がったもの。
三層の泉の上のタイル装飾とステンドグラス
トプカプ宮殿ハーレム ムラート三世の間 三層の泉上のタイル装飾 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN より |
タイル装飾も良いがステンドグラスもモスクのものとは文様も色調も異なっていて、タイルの色とよく似合っている。
トプカプ宮殿ハーレム ムラート三世の間 三層の泉上のタイル装飾 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN より |
そして、『SINAN』にはこんな平面図もある。
トプカプ宮殿ハーレム ムラート三世の間の下のプールのあるレベルの平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN より |
この平面図を見て思い出した。部屋を出て、⑱寵姫たちの個室を眺めながら⑰寵姫たちの中庭を奥まで進むとガラタ塔の見える場所があった。写真ではわずかに写っているだけだが、結構広く外が見える場所だった。
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参考文献
「図説イスタンブール歴史散歩」 鈴木菫著・大村次郷写真 1993年 河出書房新社