お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2023/08/08

ルピュイ ノートルダムデュピュイ司教座聖堂 Cathédrale Notre-Dame du Puy 1 ファサード


かつては門前町で、商店が並んでいたであろうターブル通り Rue des Tables を上り詰めたところに聳えているのだが、ここからまだ階段がある。

何故聖堂内でも階段が続くかというと、この聖堂は、サンミシェルデギュイユ礼拝堂や聖母子像のような尖峰に建てられているのではないが、やはり火山のアニス山の上に建てられているからだ。
L'ART ROMAN』は、この建物(ロマネスク芸術の中で最も独創的なものの一つ)は、ドーム型の屋根の技法からペリゴール派と結びついている。 しかし、これらはもはやペンデンティヴ(穹隅)の上のドームではなく、スキンチ(入隅迫持)の上の八角形のドームである。
スペインのイスラム美術の影響は、多葉のアーケードを通るファサードや黒石と白石が交互に使用されることから明らかであるという。
下図では分かりにくいが、身廊の天井に並ぶドームは、正八角形ではない。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂断面図 L'ART ROMAN  LA GRAMMAIRE DES STYLES より


西ファサード
La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』(以下『Notre-Dame du Puy)は、ファサードはほぼ幾何学模様である。暗い色の石と明るい色の石を交互に配置し、中央にモザイク文様を置くイスラームの装飾が特徴である。これらのモザイクは、赤、黒、白の杉綾文様で構成される場合もあれば、黒と白の市松模様で構成される場合もあるという。
多くのロマネスク様式やゴシック様式の聖堂は、ファサードの両脇に鐘楼が聳えているのだが、この聖堂はここには鐘楼はない。


ファサード上部のこれは何だろうか。建物としての役目のないただの装飾にわざわざ造るかな。
その後訪れたアルランド Arlampdes のロマネスク様式のサンピエール教会 L'Église St-Pierre や、バラズュック Barazuc のロマネスク様式のノートルダム教会 Église romane Notre-Dame にも同じような装置があった。
ひょっとすると、ルピュイのノートルダム司教座聖堂でも、かつては鐘が吊されていたのかも。

アルランドのサンピエール教会にはファサードの頂部に4つのアーチがあって、今でも鐘が吊されている。 

バラズュック Barazuc でもロマネスク様式のノートルダム教会にも鐘が吊されていたようなアーチ列(アーケード)があった。


Notre-Dame du Puy』は、幾何学模様は中央のブラインドアーケードを囲んでいる。上部には赤と白の襞のあるリボンが展開されるという。
紅白のリボンはどこだろう。

頂部から探してみよう。

リボンよりも四弁花の造花のようなものが3本、そして長い旗。金属でできているのだろう。その下、建物としては一番上には十字架がある。どちらも現地では気づかなかった。
同書は、黒と白の市松文様 damiers noirs et blancs というが、少し赤めの石もある。


暗いところで高い柱頭を一所懸命写してもピントが合わないことが多かったが、あまり明るいとは言えない天候でも、外で写すとぴったりとピントが合っていたので、これくらい拡大してもはっきりと分かる。
アーチの外枠は黒い石で重層の歯形装飾になっているようだが、これも市松文様、ダミエ damier の一種のよう(『L'ART ROMAN』より)
こんなところにまで人の顔を彫り込んだ柱頭があるとは。しかもにらみつけている。これって、ひょっとすると、仏教寺院の屋根の鴟尾や鬼瓦のような魔除けの意味があるのかな。
そうそう、「赤と白の襞のリボン」というのは、中央のブラインドアーチの周囲やタンパンの下の楣石のような箇所の文様のことらしい。ギリシア彫刻以来、仏教美術でも表される着衣のギザギザの端の表現とも思える。

例えば、アクロポリスのコレー682(盛期アルカイック時代、前525年) アテネ、アクロポリス美術館蔵のシンメトリーを外したキトン(短い上着)の襞。このようなものが装飾のモティーフとなって、平面的な文様になっているとか。
アクロポリス美術館蔵アクロポリスのコレー682 前525年 『archaic colors』より


下の段、ステンドグラスの右に並ぶブラインドアーチが2つ。太い矢筈文様が横並びになっていて、一本石(モノリス)衲衣の柱頭はアカンサスの葉由来の葉文様だが、人の顔のような、花の蕾のようなものがある。
色石のアーチの上には、黒い石のパルメット文が並んでいる。


その下の段は見上げても見えないところがあるので、ずんぐりしたアーチに見える。
大小のアーチ(弧帯)を受ける柱頭は、どれもアカンサスの葉由来のもの。その両側には三葉のブラインドアーチがある。

この段を隔てるフリーズにはパルメット文の間に人が登場する。葉をかき分けて出てきたような。
各アーチを受ける柱頭はアカンサスの葉由来のもの。人の顔ではなく花のよう。

中央の四角形の出っ張りには、神の子羊が刻まれていた。みあげて気付く人はあるのだろうか。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂西ファサード上部 神の子羊 『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より


同書は、ファサードの3つの垂直レベルは、2つの側廊に囲まれた中央の身廊に対応している。水平レベルについて、上のレベルは大聖堂の床に相当する。
3つのアーケードはそれぞれ上の階の側廊と身廊の下にあたるという。

上の文はこのノートルダムデュピュイ司教座聖堂平面図で理解し易い。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂平面図 『世界美術大全集8 ロマネスク』より


階段を上って最初のポーチ。
3つのポーチの奥に木の扉が見える。朝のミサの後、身廊のグリルが開くと階段になっており、この扉が開かれて、巡礼者たちが下りてくる。
それについてはこちら


翼のある牛、四福音書記者ルカの象徴。
同書は、最初のポーチに入る。4人の伝道者を表す彫刻が存在することから、ここは「御言葉のポーチ」と呼ぶことができる。
それぞれの彫刻の下には、聖ヨハネが鷲、聖マタイが男性、聖ルカが雄牛、聖マルコが獅子というように、それぞれの彫刻の下に名前が示されている。「テトラモルフ」と呼ばれるこの象徴的な表現は、聖書のエゼキエル書と黙示録にその起源が見出されるという。
名前が記されているのは広げた巻物。
その下のものは砲弾型と呼ばれているもので、朝散歩で意図せずに入り込んでしまったフォル広場に面したフォルの玄関の飾りと同じようなもの。

獅子、聖マルコの象徴。
獅子には見えないが。

そして鷲、聖ヨハネの象徴
ドバトと比べると、この柱頭彫刻の大きさがわかる。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂ファサードの柱頭鷲 『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より

マタイの象徴男性を写し忘れた。


他の柱頭彫刻
切石積みの角柱や一本石の円柱とアーチの間にある柱頭彫刻は、アカンサス由来の葉文様がそれぞれ趣向を凝らして石に刻まれている。中には人の顔が出ているものも。

聖書の物語とは思えない人物の胸像や頭部などが、蔓草の間に表されている。



2番目のポーチ
次のアーチには教会のポーチにはフレスコ画、北側奥には木製の扉が残っている。

木製の扉北側 12世紀 キリストの幼少期
ロマネスク散策 Balade dans l'Art Roman en France というページは、この2つのヒマラヤスギの扉にはそれぞれ、キリストの生涯のエピソードを描いたロマネスク期の彫刻装飾が残っていて、北の扉にはキリストの幼少期、南の扉にはキリストの受難が表現されている。
この2つの扉は、フランスにおいて、唯一ロマネスク期の彫刻が施された木製の扉ですという。

また『Notre-Dame du Puy』は、扉には驚く。両端にアラビア語のクーフィー体の文字がある。これらはアッラーに向けられた賛美である。アフマド・フィクリーとキャサリン・ワトソンは、これらの碑文と福音書の場面の特定のモチーフを、イスラム美術の影響下でピレネー山脈以南で実践されていたものと比較した。 この技術、特に木材を平らにする技術は、モサラベのスペインやアフリカの地中海の海岸で使用されているものと同じであるという。
モサラベは、イスラーム治下のキリスト教美術を指す。このカテドラルにはモサラベ美術はあちこちに見られるので、当時の人たちは特に気にならなかったのだろう。


アーチのフレスコ画
同書は、ルピュイの2人の司教または2人の教皇を表す壁画がアーチの下にあるため、「教会のポーチ」と呼ばれているという。

アーチの頂部に描かれているのは大天使ミカエルかな。


ロマネスク散策 Balade dans l'Art Roman en France というページは、西ポーチでは、12世紀後半又は13世紀に制作された、ビザンティン風のフレスコ画を見ることができる。フレスコ画は2004・2005年に修復されているという。

キリストの変容図(3つの福音書に記述がある)
Notre-Dame du Puy』は中央にはマンドルラの中にイエスが描かれている。背景の青色と対照的な白い衣服から光線が放射されている。彼の周囲にはモーセとエリヤが見え、足元にはその場面を目撃した三人の使徒がいる。ペテロはイエスを見つめ、ヤコブは手をついたてにして目がくらんでいる様子を示し、ヨハネはひれ伏すという。
このヤコブの遺体がスペインの北西部に流れ着いた、一説によると墓が発見されたことから巡礼が始まったという。その巡礼路の出発地の一つが、このノートルダムデュピュイ司教座聖堂。


南の聖マルタン礼拝堂 祝福のキリスト
同書は、聖母が子供に母乳を与えている。彼女は、花輪をかぶって右足に勝利の十字架を持っている過越の子羊に見守られている。二人の天使が横顔でこのキリストの象徴を伸ばした手で支えており、その両側には十二使徒がその場面に出席しているように見えるという。

このポーチには複数回来たが、見逃したものは多い。




関連記事
ルピュイ Le Puy-en-Velay 朝散歩2

参考文献
La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」 Emmanuel Gobilliard et Luc Olivier 2010 Édition du Signe

「L'ART ROMAN  LA GRAMMAIRE DES ATYLES」 FLAMMARION 1946年 HENRY MARTIN