ノートルダムデュピュイ司教座聖堂 La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay の西ファサード。聖堂はアニス山の頂部に築かれている。
平面図(ただし聖堂内は天井の見上げ図 『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より、以下『Notre-Dame du Puy』)
①フォルの玄関 ②聖具室・宝物殿 ③鐘楼 ④聖ヨハネの玄関 ⑤回廊 ⑥参事会室 ⑨石落としの建物 ⑪聖ヨハネの洗礼室 ⑫聖十字架礼拝堂 ⑬聖母マリアの内陣 ⑭聖ヤコブ像
この司祭がミサを行う内陣が十字交差部の下にある。
交差部のクーポルは19世紀、オリジナルとは異なる形に再建されている。
今日交差部は、四面に円柱を備えた大きな長方形の柱に囲まれている。この柱の土台は巨大で、高さ2mもある。
という。
それは19世紀にオリジナルとは違った形に再建されたものらしいが、見ても明らかな通り、整然と切石が積まれた他の所も、19世紀の修復によるもの。
南側から見た断面図(●数字は建造された順)
身廊について『ロマネスク散策』より
➊➋ 最初の教会堂は2柱間の単身廊だった
そこに6世紀、側廊が造り足された
➌ 9世紀、3番目の柱間が造り足された
➍T 次に11世紀に、トランセプト(十字交差部)と4番目の柱間が追加された
➎❻ 12世紀後半に西ポーチと共に、5・6番目の柱間が完成した
交差部の上には、ドームで覆われた八角形の塔が聳える。2層からなるランタン型のこの塔は、「天使の鐘楼」とも呼ばれるという。
この断面図を見て、驚いた。なんとも不思議な構造に造ったものだ。
19世紀、大修復工事が行われた。唯一3・4番目の柱間がオリジナルの姿を残すのみで、その他の部分はほぼ完全に再建されている。
身廊と側廊の間には、尖頭型の大アーケードが並ぶ。アーケードの上には3つ連続したアーチがあり、更にその上に半円筒型の開口部がひとつある。
身廊の各柱間を隔てるアーチは、東側では半円筒型で、西側では尖頭型になっているという。
東側はロマネスク様式、西側はゴシック様式ということだろう。
そして、北側から見た聖堂
交差ヴォールトやドーム状の天井も、その上に切り妻の屋根が葺かれている。
西ファサード側
➎西の端にパイプオルガンのある柱間と、続く❻が12世紀後半に西ポーチ
➊最初に聖堂が建立されたときの柱間 ➋同じく最初期からある柱間より撮影
身廊のクーポールは八角形だが、正八角形はなく横長。四方にはスキンチ(フランス語ではトロンプ trompe 日本語では入隅迫持)があり、その間には開口したアーチがあるが、その大きさも同じではない。
1040-50年にギリシアで建立されたオシオス・ルカス聖堂の主ドームは正方形プランからスキンチとアーチで架構されているが。というよりも、他のフランスのロマネスク様式の聖堂では、正方形平面の四隅にスキンチの扇形をつくり、八角形にしているように思う。
身廊の八角形のクーポールには南北2箇所だけが外部の光が入る。この天井は、おそらく➊と➋の柱間だろう。
東西南北の中央の小さなアーチから光が入るこの天井は➌か➍。
このクーポールは四隅のスキンチが切石でどんな風に造られているかが見える。
『Notre-Dame du Puy』は、複数の支柱を備えたこの、合計 500以上の柱頭が収められている。これらは二つの大きなグループに分けることができる。一つは比較的地味な11 世紀の柱頭、もう一つはより華やかな12世紀の柱頭である。
11世紀の柱頭は主に翼廊と「天使の鐘楼」の下部にある。すべてが元の場所にあるわけではなく、一部はコピーで、オリジナルはクロザティエ美術館に収められている。それらはほとんどがうねる茎で覆われており、枝分かれする前に巻き毛があり、驚くべき多様な構成で繁茂する。
12世紀の柱頭は大聖堂の西側にある。植物のモティーフもあれば、動物や人物のモティーフもあるという。
残念ながら聖堂内部の柱頭彫刻は、写した枚数も少ない上に、高いところにあるために大半がピントが合っていなかった。何でもっと低う造ってくれへんかったんやろ😥
おそらく11世紀につくられた十字交差部や翼廊あたりの柱頭で、白い色のものはコピーだろう。
今となっては、どの柱頭か分からないが、蔓草が縦横無尽に隙間なく彫り込まれ、中には透彫になっていて、レース編みの生地のようなものもある。
左は人物の頭部と複雑に絡むパルメット、右はアカンサスの葉。
こんな風に二つ並んでいても、全く同じにはつくらない。それぞれの寄進者の好みなのか、職人の腕の見せ所なのか。
ピンボケ
アカンサスの葉由来の葉文様だが、角には鳥に見えるものがいるみたい。左は尖った葉形の帯状モティーフがクリクリと横に繋がっている。珍しい文様
アカンサスの茂みから出ているのはおっちゃんの顔。
左 柱頭の半分以上を占めるバスケットの縁を握る手が表現され、その上では口からパルメットが出ている
右 バスケットの代わりにアカンサスの葉になっている
人物や架空のものも含めて動物が出てきた。
ピンボケ
これらは、十字交差部よりずっと西側にある。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂身廊西半の柱頭彫刻 『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より |
蔓をかいくぐって出てきた人物は折り畳んだ布を両手で持っている。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂の柱頭彫刻 『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より |
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂の柱頭彫刻 『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より |
香油の坏を掲げた四人の老人
『Notre-Dame du Puy』は、物語の柱頭に属するもので、小羊への崇拝を呼び起こす黙示録の第4章と第5章のイメージである。
柱頭の3つの顔は、正面でこの出来事を物語っている。メダイヨンに刻まれた「神の子羊」は2人の天使によって運ばれ、4人の長老は「聖人の祈りである香油で満たされた黄金の杯」を持っている。彼らがこれらの坏を覆うベールは、これらの品が神聖なものであることを証明するものだ。オルガンの後ろに立つと、その右側にこの柱頭が見えるという。
メダイヨンに刻まれた神の子羊の図版がないのは残念だが、香油を掲げた四人の老人の図版があった。
老人たちの足は地についていない。
また、位置は不明だが『Notre-Dame du Puy』には以下の柱頭彫刻もあった。
同書は、4つの西の柱間、柱頭、クーポールの柱が復元されている。その後、多色の彩色の痕跡が発見されたという。
アカンサス葉の表現としては簡素なものの方だが、暖色系の彩色が柱頭彫刻全体に施されている。また、柱身には文字が書き込まれている。
現在では白いギリシアの神殿も、建立当初は彩色されていた。神殿も教会も一つ一つの柱頭を彫り、彩色することが、建物内を荘厳することだったのだ。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂の柱頭彫刻 『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より |
北翼廊の柱頭 11世紀
その柱頭があるのは、北翼廊の二つのアーチの間。断面図の➌と➍の間である。
この聖堂の特徴として、内陣から後陣を囲むように周歩廊があり、その外側に幾つかの小祭室が付属するという一般的な構造になっていない。そしてこの翼廊自体に二つの小祭室があるのもまた特異である。小祭室にはフレスコ画が残っている。
フレスコ画については後日
北から眺めると、東西に長い聖堂の北側に付属する建物がよく見える。
平面図の⑥参事会室、低いところに⑤回廊、高くて大きい⑨石落としの建物などが見える。
北から眺めたノートルダムデュピュイ司教座聖堂 『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より |
⑨石落としの建物の下の階は、尖頭の横断アーチが並んで、交差のないヴォールトだった。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂付属の建物 『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より |
⑥の参事会室も尖頭ヴォールトの簡素な部屋で、キリストの磔刑図が南壁にあり、他には司教などの石棺の蓋が並んでいた。磔刑図については次回
そうそう、フォルの玄関 Porche du For の装飾もここでまとめておこう。
尖頭アーチの窓の幾筋もの弧帯(ヴシュール)の集合体である飾り迫縁(アーキヴォルト、フランス語ではアルシヴォルト)。それらを受ける一塊の柱頭はアカンサスの葉文様の形骸化したゴシック様式。しかしながら、軒下飾り(モディヨン)は人や動物の頭部になっていて、ロマネスク様式。
南側
その下は3本のリブのある交差天井、外側の飾り迫縁は複雑な構造。こんな複雑アーチは見たことがない。
それらを受けている柱頭も複雑に入り組んでいるが、柱頭彫刻は広がらない二段のアカンサスが多くを占めている。外側には複雑で不思議なものがある。なんと表現してよいものか・・・
旧約聖書のダニエルと獅子かな。ライオンらしくないけれど。
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参考サイト