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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2023/08/29

ルピュイ ノートルダムデュピュイ司教座聖堂 La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay 3 壁画


ノートルダムデュピュイ司教座聖堂断面図 『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』(以下『Notre-Dame du Puy』)
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂断面図 「La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」より


西ファサードのポーチを入って階段を上っていくと、三つ目の柱間へ入るアーチ➑➒の間には頂部に大天使、両側の面に司教らしき人物が描かれる。
Notre-Dame du Puy』は、このポーチは、ルピュイの二人の司教でなければ、二人のローマ教皇を表す壁画がアーチの下にあるため、「教会のポーチ」と呼ばれているという。

ローマ教皇またはルピュイの司教図 12世紀
同書は、6つの黒い十字架が刻印されたラムウールの白い帯である「パリウム」を身に着けている。
このポーチはビザンティンの壁画の影響を受けている。おそらく、エフェソスのマリアの家とルピュイのノートルダムという2つの聖域を結び付けるつながりのためだろう。東方カトリックの伝統を持つ多くの巡礼者がここに巡礼に来たという。
パリウムとは、教皇の両肩に掛け、下に長く垂らした帯のこと。


大階段のポーチ
サン・マルタン礼拝堂とサン・ジル礼拝堂の壁画(どちらか不明)

キリストの変容
やや尖頭アーチのタンパンに描かれているのは、山上での祈りに始まり、ペテロ・ヤコブ・ヨハネに伴われたイエズスがそこで神性を示した。恐怖にとらわれ、使徒たちは彼の前にひれ伏していた旧約聖書の預言者たちは、モーゼやエリヤと共に現れたキリストを称賛したという場面(『Sculpures Romanes』より)。

部分
キリストの頭部が欠失しているが、キリスト・モーゼ・エリヤの頭光は金箔か金泥のよう。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂第3ポーチキリストの変容図部分 「La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」より

聖ステファヌス(フランス語ではサンティエンヌ)像
wikipediaによると、キリスト教における最初の殉教者、すなわち信仰のために自らの命を犠牲にする者であったとされているという。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂第3ポーチキリストの変容図脇の聖ステファヌス像 「La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」より

聖ステファヌス頭部
これくらい大きいと頭光の凹凸までを知ることができる。金泥ではなく、金箔を貼り付けていること、そして細い凸線の間の卵形は金箔が剥あるいは別の貴石のようなものが剥がされたような痕跡もある。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂第3ポーチキリストの変容図脇の聖ステファヌス像 「La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」より


玉座のキリスト・聖母子像・神の子羊他
これは見損ねた。その上頼みのNotre-Dame du Puy』の図版は小さくて解像度が良くない。上のアーチには神の子羊のいる光輪を二人の天井が掲げている。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂第3ポーチ 玉座のキリスト他 「La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」より 


栄光のキリスト図、聖人あるいは殉教者図、玉座の聖母子図など
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂大階段のポーチタンパン、玉座の聖母子図 『The treasure of Romanesque Auvergne』より

タンパンは尖頭アーチでその縁を文様帯が区切っている。
玉座の聖母子の玉座の左右には天使たち、両端には頬のこけた聖人か使徒が椅子に座っている。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂大階段のポーチタンパン、玉座の聖母子図 『The treasure of Romanesque Auvergne』より

マリアも天使たちも、先ほどの聖ステファヌスと同じ頭光で荘厳されている。幅広の玉座の背もたれ、そして長いクッション。背もたれはないが、イスタンブルのアヤソフィア(アギア・ソフィア)後陣の聖母子像にも似た長いクッションが描かれている。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂大階段のポーチタンパン、玉座の聖母子図 『The treasure of Romanesque Auvergne』より

残念ながらマリアも幼子も顔は残っていない。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂大階段のポーチタンパン、玉座の聖母子図 『The treasure of Romanesque Auvergne』より

タンパン上の尖頭アーチ頂部 栄光のキリスト図
キリストは右手をあげて祝福している。キリストを囲むマンドルラは二人の天使が支えている。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂大階段のポーチタンパン上の尖頭アーチ頂部、栄光のキリスト図 『The treasure of Romanesque Auvergne』より

玉座のキリスト
頭光は金箔か金泥のよう。かろうじて目が分かる。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂第3ポーチ 栄光のキリスト部分 「La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」より


聖堂内北翼廊の
二つのアーケードで分けられた小祭室
断面図のの間である。
『Notre-Dame du Puy』は、上には階上廊があり、その壁は壁画で覆われている。12世紀初頭に作られたもので、大聖堂がフレスコ画で荘厳されていた当時の様子を想像することができるという。
この聖堂の特徴として、内陣から後陣を囲むように周歩廊があり、その外側に幾つかの小祭室が付属するという一般的な構造になっていない。そしてこの翼廊自体に2つの小祭室があるのもまた特異である。
その2つの祭室がある。小祭室にはフレスコ画が残っている。

➌ 上部に大きな半ドーム、下に小さな半ドームが二つ 12世紀

三人の聖女たちのキリストの墓参り
『Notre-Dame du Puy』は、聖マタイの福音書に登場する墓の前聖女たちのエピソードが描かれている。彼女らは、天使が指して墓は空だというのを聞いた。
この墓は2階建てで、教会のように見えるが、聖墳墓を表している。それは中世の墓を描いている。白い聖骸布の上には福音書からの引用が記されている「彼はここにはいない!」という。

三人の聖女たち
マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、キリストを取り上げた助産婦のマリア・サロメらしい。キリストの母マリアは行かなかったの?
三人とも、頭光というか、後光というか、ハーローというか、光輪があり、金箔が貼られている。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂北翼廊のフレスコ画 La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より

空の墓を指し、キリストが復活したことを知らせる天使。
翼が鳥のようではなく、凹凸さえ感じられる表現で興味深い。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂北翼廊のフレスコ画 La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より


➍ アレクサンドリアのカタリナの殉教
ロマネスク散策は、13世紀に制作されたアレクサンドリアのカタリナの殉教場面が描かれているという。

『Notre-Dame du Puy』は、カタリナが押しつぶされた鋭い先端を備えた拷問の車輪がはっきり描かれている。カタリナは中央で、両手を合わせて穏やかな顔で空を見つめ、神聖な配偶者に敬意を表している。上部では、2人の天使が車輪の先端をひねろうとしているという。

『The treasure of Romanesque Auvergne』(以下『Romanesque Auvergne』)の少し角度の違う図版には、右(東)壁に人物が描かれていたり、アーチの壁面にパルメット蔓草が描かれていたりと、現地で気がつかなかったものが描かれていることがわかった。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂北翼廊、聖カタリナの殉教 『The treasure of Romanesque Auvergne』より

右壁の人物教皇や司教の立派な衣装を身につけているのではないので、殉教者の一人だろうか。
右上の天使は消えた箇所があるが、右手で棒状のものを持ってカタリナを助けようとしている。
車輪衲衣に赤い炎のようなものが見える。炎が2箇所で車輪を突き抜けて、回転を止めようとしているのだろうか。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂北翼廊、聖カタリナの殉教部分 『The treasure of Romanesque Auvergne』より

カタリナの左上の天使は、左手で車輪を止めているのだろうか。右手は細長い棒のようなものを持っている。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂北翼廊、聖カタリナの殉教部分 『The treasure of Romanesque Auvergne』より

ノートルダムデュピュイ司教座聖堂北翼廊、聖カタリナの殉教 『The treasure of Romanesque Auvergne』より

Notre-Dame du Puy』は、左端でローマ皇帝マクセンティウスとその一行がこの場面を眺めているという。
車輪の下で殉教する人々の上にも炎のようなものが二つ降っている。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂北翼廊、聖カタリナの殉教部分 『The treasure of Romanesque Auvergne』より

こちら側にも殉教する人たち。そして炎が一つ。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂北翼廊、聖カタリナの殉教部分 『The treasure of Romanesque Auvergne』より


全く気づかなかったが、この翼廊の上に短い階上廊がある。そしてそこに描かれていたのは、ロマネスク期で最も大きな大天使ミカエルの壁画だった。
『Notre-Dame du Puy』は、12世紀初頭に作られたもので、大聖堂がフレスコ画で荘厳されていた当時の様子を想像することができるという。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂北階上廊壁画 12世紀  La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より

同書は、西壁には主要な人物である大天使聖ミカエル、 (高さ 5.55m、幅 2.17m) は、ロマネスク時代にフランスで描かれた人物像としては最大のもの。
当時、聖ミカエル崇拝はシャルルマーニュによって広まっていた。彼はビザンチン皇帝のマントとロロスを着ており、右手にはドラゴンを刺す槍を持っている。それは黙示録で、悪に対する善、死に対する命、罪に対する愛の勝利を表している。
彼の「象徴的」で深みのある顔は、彼が絶えず神を観想している神への親近さを表しており、彼の服装は彼が神の力そのものを身に着けていることを思い出させる。「ミカエル」は確かに「神のような人」を意味するという。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂北階上廊壁画 12世紀  La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より

大天使ミカエルの左側のアーチ内
その中に聖人と、小さなアーチ、さらにその中に半円アーチのステンドグラスの窓? それとも壁画の一部?
本物の窓だと思えるのは、窓の縁の厚みと、窓から入る光をより多く取り込む工夫で、斜めに壁を切り込んでいる箇所が、壁画が剥がれているように見えるからだ。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂北階上廊壁画 12世紀  La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より

ソロモンの判決
同じ子供の母親であると主張する2人の女性に、玉座に座るソロモンは手を挙げて、これから裁きを宣告する。
ソロモンは、子供を半分に切って、二人がそれぞれ自分の取り分を得るようにすることにした。そのとき、女性の一人が「子供は渡してください、でも殺さないでください」と叫んだ。するとソロモン、今いったのが本当の母親であることを知り、息子を返したという。
大岡裁きで似たようなものがあったのでは。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂北階上廊壁画 12世紀  La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より


参事会室壁画
マリアと聖ヨハネに囲まれた十字架上のキリスト 12世紀 

こちらは実写より図版の方がよく分かる。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂付属参事会室壁画キリスト磔刑図 La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より

十字架の横木の上に二人の天使がいて、それぞれ太陽と月を掲げている。ここでも太陽と月が出てきた。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂付属参事会室壁画キリスト磔刑図 La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より

それそれの福音書の言葉を白い帯に記された四福音書家。ここではその象徴の動物ではなく、人物が描かれている。

尖頭アーチのタンパン頂部
中央に片方の翼をあげて対面した天使たちが両手を差し出している。その後ろには聖人あねいは殉教者たち、最後尾には天使がいる。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂付属参事会室壁画キリスト磔刑図 La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より


また回廊には、廊下にフレスコ画が残っていたりした。

時代もわからないが、右は司教杖を持ち、帽子を被ったうえに頭光もあるという高位の聖職者。一方左の人物は頭光があるものの聖職者には見えない。

右端の消え入りそうな人物はマリアのよう。とすれば抱えている幼子はキリストということになる。右手で棒状のものを持って、左下の頭光のある人物に渡そうとしている場面だろうか。





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参考サイト

参考文献

La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」 Emmanuel Gobilliard et Luc Olivier 2010 Édition du Signe
「Musée des Augustins Guide des collections Sculptures Romanes」 1998年