もちろん、消防署の中庭隅にも自前の泉があり水を汲むことができる。また建物の東西の隅にはトイレもあり、兵士に近い消防署員の詰所になっていたことがうかがえるという。
オスティア・アンティカ 消防士の宿舎平面図 『古代ローマ人の危機管理』より |
北側の遺構
オスティア・アンティカ 消防士の宿舎とアウグステウム 『ANCIENT OSTIA』より |
(参考写真)粉挽き場近くの火除地。この先に小さいながらも貯水槽もあった。
東北側の遺構
同書は、まぐさ(リンテル)において、レンガによる緩やかなアーチを構成していることに気が付く。オスティアのリンテルは木材を渡すのが一般的で、レンガで水平アーチ(形状は水平だが、レンガを弧状に並べ、目地が放射状に走るアーチ)を造ることもあるが、消防署のように、レンガでアーチを造る形式は、他にも見られるものの、手間がかかるため、決して一般的とはいえない。消防署では、現在確認できるリンテルのすべてがアーチ状の形式で、相当な手間をかけた構造といえる。これは、火災が発生した場合、木製のまぐさはひとたまりもないが、耐火材のレンガを、水平でなくアーチ状に積むことで、炎の熱によって目地の漆喰が脆くなっても崩壊を防ぐことができたと思われる(極端にいえば、目地の接着強度がゼロになっても乾式アーチ、つまり積み木のように積んだアーチとして荷重を負担できる)。とくに東端の部屋では、さらに壁体の中にアーチを埋め込み、より頑丈な出入口を造っているという。東門のアーチも半円よりは浅い。
同書は、51番の部屋の敷居には、ポンプ車が走った痕跡といわれる車輪跡が残っているという。
ポンプ車が素速く火事場に行けるように、敷居には最初から切込を入れていたのでは?
オスティア・アンティカ消防士の宿舎51室の轍 『古代ローマ人の危機管理』より |
同書は、西側はもともとは店舗であったが、ハドリアヌス帝の時代に、内側の路地に向かって開口をもつ倉庫群に改築されたという。
内側の建物がアウグストゥスの祭壇ということになるのかな。
オスティア・アンティカ 消防士の宿舎南西面 『古代ローマ人の危機管理』より |
同書は、おそらく、同時に南側の部屋の窓も閉じられ、明かり取りの穴だけに改築されている。
街路側の開口を小さくするのは、防火には有利であるが、正面の壁体は閉鎖的でまるで要塞のような重厚なレンガ造建築物であるという。
オスティア・アンティカ 消防士の宿舎南面 『古代ローマ人の危機管理』より |
『古代ローマ人の危機管理』は、すべてが残っているわけではないが、おそらく地階の天井は不燃材のコンクリートによって造られたヴォールトあるいは交差ヴォールトとなっている。ちなみにオスティアのヴォールト天井には、ほとんどの場合、平レンガ(薄い板のようなレンガ)によるライニング(内張)が施されており、レンガの断熱効果によってコンクリートに熱が伝わるのを遅らせることができ、崩落の危険を低減する効果があったと考えられる。
さらに想像を巡らせれば、芯部のコンクリートが砂のように脆くなってしまっても、レンガが形状を保てば、崩壊は免れるかもしれない。オスティアに限らず古代ローマのコンクリートは、骨材(セメントに混ぜる石)の比率が大きいだけでなく、骨材そのものも大きいため、骨材を固着させるセメントが強度を失っても、骨材どうしがかみ合って、持ちこたえられる可能性があるという。
果たして消防士の宿舎にも地階はあったかどうか。
オスティア・アンティカ ディアナの家地階の平レンガ内張 『古代ローマ人の危機管理』より |
『ANCIENT OSTIA』は、クラウディウス皇帝はすでにオスティアに消防団員を駐屯させており、都市の守備隊から切り離されていたが、後137年にハドリアヌスが、今日でも見ることができる二階建ての複合施設を建立した。ここには400人の当直の男性がいて、柱状のアーケードに囲まれた広々とした中庭に並ぶ部屋に住んでいた。