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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2022/04/08

古代ローマ オスティア・アンティカの消防士の宿舎


ネットゥーノ浴場のパレストラを出て奥の建物へ。
オスティア・アンティカの遺跡地図 『ANCIENT OSTIA A PORT FOR ROME』より


『古代ローマ人の危機管理』によると、ネットゥーノ浴場の東側には貯水槽があったという。
それは、消防士の宿舎通りとパレストラ通り(下写真の通行止めの柵がある街路)の交差点から消防士の宿舎通りに沿ってあるので、この写真に写っている。

ディアナ通りに面したテルモポリウムの中庭にあった貯水槽と似ている。


消防士の宿舎へ。

消防士の宿舎平面図
『古代ローマ人の危機管理』は、四面を街路に囲まれたこの独立建物は周辺からの類焼の心配は低く、計画的かどうかは不明であるが、南側に「ネプチューン浴場(ラテン語ではネプトゥヌス)」があり、すぐ向かい側には水汲み場と大きな水槽がある。

もちろん、消防署の中庭隅にも自前の泉があり水を汲むことができる。また建物の東西の隅にはトイレもあり、兵士に近い消防署員の詰所になっていたことがうかがえるという。

オスティア・アンティカ 消防士の宿舎平面図 『古代ローマ人の危機管理』より

北側の遺構


西側の遺構 アウグステウム(皇帝崇拝の祭壇)
円柱以外に四角い台座のようなものが祭壇上にいくつか、祭壇前に4つ。神格化された初代皇帝アウグストゥス像以外にはローマの神々の像が祀られていたのかな。


中庭正面から見た消防士の宿舎とアウグステウムの想像復元図
『古代ローマ人の危機管理』は、さらに中庭に面する皇帝崇拝の祭壇(アウグステウム)は、周辺の建物とは路地で隔てられており、いわば二重に独立の建物となっている。最悪の場合、たとえ消防署の中に火が燃え移っても、祭壇だけは類焼しにくい平面となっており、祭壇と建物の間の路地にはヴォールト天井が架かっており二階ではつながっていたが、少なくとも地階では独立した区画になっているという。
オスティア・アンティカ 消防士の宿舎とアウグステウム 『ANCIENT OSTIA』より

アウグステウムと西側の部屋を隔てる通路、火除地
同書は、オスティアには、巨大な複合街区が存在するが、内部に公的にアクセスできる、つまり門や出入口が施錠されていない路地(火除地)があり、街区内の火元へのアクセスはポンペイよりもはるかに容易であるという。

(参考写真)粉挽き場近くの火除地。この先に小さいながらも貯水槽もあった。


アーチ門近くに南北2つの四半円形の泉
泉というからには、深くないところから水が湧き出ていたのだろう。

南側の泉(隠れている)が😉


回り込むと円筒形に見えたが、実際は平面図にあるように1/4円形。
『ANCIENT OSTIA』は、中庭で訓練を行った兵士の沐浴のための2つの大きな泉があったという。
消火用ではなかった。そうか、ポンプ車は各所の水槽から水を汲んだのだ。


東北側の遺構

同書は、
ぐさ(リンテル)において、レンガによる緩やかなアーチを構成していることに気が付く。オスティアのリンテルは木材を渡すのが一般的で、レンガで水平アーチ(形状は水平だが、レンガを弧状に並べ、目地が放射状に走るアーチ)を造ることもあるが、消防署のように、レンガでアーチを造る形式は、他にも見られるものの、手間がかかるため、決して一般的とはいえない。消防署では、現在確認できるリンテルのすべてがアーチ状の形式で、相当な手間をかけた構造といえる。これは、火災が発生した場合、木製のまぐさはひとたまりもないが、耐火材のレンガを、水平でなくアーチ状に積むことで、炎の熱によって目地の漆喰が脆くなっても崩壊を防ぐことができたと思われる(極端にいえば、目地の接着強度がゼロになっても乾式アーチ、つまり積み木のように積んだアーチとして荷重を負担できる)。とくに東端の部屋では、さらに壁体の中にアーチを埋め込み、より頑丈な出入口を造っているという。
まぐさは楣のことで、ずっと後の時代のロマネスク様式の教会入口には石材を渡し、その上に浮彫のあるタンパンがある。

古代ローマ時代には半円アーチが一般的だが、ここの2つのアーチは、弧を描かず確かにほぼ水平である。
また、右側の水平アーチの上は壁がほとんど失われているが、少しだけ埋め込みアーチが残っている。ロマネスク様式の建物にも補強のための埋め込みアーチは見られる。
しかしながら、素晴らしい古代ローマ建築の技術は異民族の侵攻、統治によって失われてしまい、盛んに教会が建てられるロマネスク様式の初期の頃は、アーチやヴォールトを架けるのも大変だったと、昔々読んだ本に書かれていた。


東門のアーチも半円よりは浅い。


同書は、51番の部屋の敷居には、ポンプ車が走った痕跡といわれる車輪跡が残っているという。

ポンプ車が素速く火事場に行けるように、敷居には最初から切込を入れていたのでは?

オスティア・アンティカ消防士の宿舎51室の轍 『古代ローマ人の危機管理』より

同書は、西側はもともとは店舗であったが、ハドリアヌス帝の時代に、内側の路地に向かって開口をもつ倉庫群に改築されたという。

内側の建物がアウグストゥスの祭壇ということになるのかな。

オスティア・アンティカ 消防士の宿舎南西面 『古代ローマ人の危機管理』より

同書は、おそらく、同時に南側の部屋の窓も閉じられ、明かり取りの穴だけに改築されている。

街路側の開口を小さくするのは、防火には有利であるが、正面の壁体は閉鎖的でまるで要塞のような重厚なレンガ造建築物であるという。

オスティア・アンティカ 消防士の宿舎南面 『古代ローマ人の危機管理』より


『古代ローマ人の危機管理』は、すべてが残っているわけではないが、おそらく地階の天井は不燃材のコンクリートによって造られたヴォールトあるいは交差ヴォールトとなっている。ちなみにオスティアのヴォールト天井には、ほとんどの場合、平レンガ(薄い板のようなレンガ)によるライニング(内張)が施されており、レンガの断熱効果によってコンクリートに熱が伝わるのを遅らせることができ、崩落の危険を低減する効果があったと考えられる。

さらに想像を巡らせれば、芯部のコンクリートが砂のように脆くなってしまっても、レンガが形状を保てば、崩壊は免れるかもしれない。オスティアに限らず古代ローマのコンクリートは、骨材(セメントに混ぜる石)の比率が大きいだけでなく、骨材そのものも大きいため、骨材を固着させるセメントが強度を失っても、骨材どうしがかみ合って、持ちこたえられる可能性があるという。

果たして消防士の宿舎にも地階はあったかどうか。

オスティア・アンティカ ディアナの家地階の平レンガ内張 『古代ローマ人の危機管理』より

『ANCIENT OSTIA』は、
クラウディウス皇帝はすでにオスティアに消防団員を駐屯させており、都市の守備隊から切り離されていたが、後137年にハドリアヌスが、今日でも見ることができる二階建ての複合施設を建立した。ここには400人の当直の男性がいて、柱状のアーケードに囲まれた広々とした中庭に並ぶ部屋に住んでいた。
東側には入口があり、西側の中央にはアウグステウムがあった。実際、彼の定義によれば、皇帝は軍の指揮官である帝国の唯一の所有者として、軍事部門の最大の権威だった。
消防士の装備は、斧、鎌、つるはしで、記録によると、火を消すために、汲み上げられた水に加えて、酢に浸した毛布を使用したことがわかっているという。
人々が集中して暮らす都市では、こんな風に火災から建物を守り、人々を守る体制と工夫がなされていたのだ。

                  →古代ローマ オスティアのインスラ(集合住宅)

関連項目

参考文献
「古代ローマ人の危機管理」 堀賀貴 2019年 九州大学出版会

「ANCIENT OSTIA A PORT FOR ROME」 VISION S.r.L. 2015年