以前に南イタリアを旅したものをまとめたものの、集中力が途切れて頓挫していたオスティア・アンティカ編だが、『古代ローマ人の危機管理』のおかげで、やっとまとめるきっかけができた。
見学の様子は旅編にて。
オスティア・アンティカのローマ門へ至る道には、ローマや他の街と同様に墓域が設けられている。市壁の外に墓地が造られたのだ。
『ANCIENT OSTIA』は、ネクロポリスは、社会的レベルの低い市民はあまり使用されていない。ポルタロマーナの墓地遺跡は、前2世紀から後3-4世紀まで、植民地の裕福な階級と役人によって使用されていた。通りの北側は港湾専用だったので、墓地は通りの南側だけを占めていた。最も古い墓は前2世紀の可能性があるが、壺に故人の遺灰を納める単純な構造で、装飾は浮彫がある程度だった。
前1世紀から、凝灰岩のブロックで作られた最初の墓域の囲壁が登場し、そこで火葬の儀式が行われ、その後壺に納められた。前1世紀の終わりに最も普及したのは納骨堂だった。これは家族の墓であり、二階建ての場合もあり、壁に沿って多数の壁龕が存在するのが特徴とであるという。
時間があればこれも見学したかったが、通りから写したアーチのある墓所がこの納骨堂だった。
ポンペイやエルコラーノでさんざん見てきたが、時をおいてオスティア・アンティカの写真を見てみると、ローマン・コンクリートの壁面はやっぱりすごい。
強度のためか、デザインなのか、網目積みとレンガ積みが入り組んでつくられている。
表面の網目積みの石を、赤と黒を交互に配しているのも洒落ている。
遺跡なので、壁体が部分的に残っていて、その上面が保護のために何かで充塡されているのが大半だが、この壁面の切石やレンガの間からのぞいているのは、当時のローマン・コンクリートである。ポッツォーリ産の火山灰が石の間からのぞいている。石の剥がれたところでしっかりと見えていた🤩ポンペイやローマだけでなく、オスティアでも、ローマン・コンクリートで建造物は造られた。
2枚のに沿って外側の石を並べ、その中に石のかけらなどの骨材を入れたコンクリートを流し込んで、固まったら板をはずすというのがローマン・コンクリートの技法である。
現代では、先に造られた壁面にタイルを貼るという2段階の作業が、古代ローマでは一度にできたともいえる。
以前にまとめたことがあるが、『望遠郷 ローマ』ではとても分かり易い解説があった。
同書は、ローマの建築は長いあいだ 大きな四角い石を使ってきたが、早くから壁の表面仕上げの石積みと壁の内部とを別々にする組積法を採用していた。
壁の内部の充填材、 オプス・カエメンティキウムは、割石をモルタル、石灰と混ぜたもので、非常に堅固だが美的ではないため、表面の仕上げが必要である。
はじめは❷割石積み、続いて❺網目積みが表面仕上げとして用いられたが、すぐに❸レンガ積みの表面仕上げに替り、ローマの市壁の表面を覆ったという。
❶ 内部充填材(オプス・カエメンテキウム) ポッツォーリ産の火山灰と石灰、骨材となる割石を水で混ぜ、表面となる割石やレンガの内側で固まったもの。表面の石が剥がれると、この
❷ 割石積み(オプス・インケルトゥム) 不定型な割石を表面に積んだもの
❹ ある程度は形を整えた石を斜格子に積んだもの
❺ 網目積み(オプス・レティクラトゥム) 割石を斜格子に積んだもの
❸ レンガ積み(オプス・テスタケウム)
❻ 切石レンガ積み 切石をレンガの積み方で積む 以上『望遠郷 ローマ』より
また、複数の積み方をすることもあった。
A:隅を大型の石組みにし、壁のほかの部分は表面を網目積み
B:隅をレンガ積みとし、壁は表面を網目積
C:レンガ積みの壁にトラヴァーチンの扉枠 以上『望遠郷 ローマ』より
では、石材はどのように切り出したのかというと、
『望遠郷 ローマ』は、表面を覆っている岩を取り除いた後、石工が壁につるはしで溝をつけて、切石の形と大きさを決める。切石は、採掘の段階から、建築家が必要とするものに近い形と大きさで切り出されるという。
A:階段状の切出し B:採石面 C:天井をささえるように掘り残した石柱
D:掘進面 E:石目 F:ころを使った古墳石の運搬
トラヴァーチン:ティヴォリ近郊でと れる白っぽい石灰岩
凝灰岩:火山岩の塊で、色はさまざまである 以上『望遠郷 ローマ』より
古代ローマの石切場 『望遠郷 ローマ』より |
切石の運搬と据えつけの方法
左端:浮彫で残っている。巻き上げクレーンで石を挙げる作業図
1. 運搬用のロープを引っ掛けるための「ほぞ」を石の表面につくる
2. 切石の左右の側面に小さなくぼみをつくり、金属製の石ばさみの「爪」で挟む
この機械ではてこを用いた手動ウィンチによって、石を移動させることができる
3. 切石上部に蟻ほぞ状にあけられた穴に吊り楔を差しこむ 以上『望遠郷 ローマ』より
切石の運搬と据え付けの方法 『望遠郷 ローマ』より |
おまけ
オスティア・アンティカでは円柱はモノリス(一本もの)の石柱だったが、ポンペイなどでは、白い漆喰からレンガが露出した円柱を見かけた。
写真は市民広場西列柱廊
一般的な円柱と溝彫りのある円柱
同書は、ローマ人は、ついにはレンガ積みの円柱を立て、それに溝彫りの外観を与えた。柱は、化粧漆喰で仕上げられたという。
古代ローマ レンガ積みの円柱 『望遠郷 ローマ』より |
割りそろえられるレンガ
『望遠郷 ローマ』は、こうした定尺ものの正方形レンガは、オプス・カエメンティキウム(充填剤)の壁の表面仕上げのためのものである。表面は、刻み目で分割されていて、切断できるようになっている。定尺の大きさにより、2、4、8あるいは18というように、三角形の仕上げ用レンガに分割されるという。
古代ローマ レンガ積みの円柱 『望遠郷 ローマ』より |
関連項目
参考文献
「ANCIENT OSTIA A PORT FOR ROME」 2015年 VISION S.r.t
「望遠郷 ローマ」 ガリマール社・同朋舎出版編 1995年