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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2022/04/29

古代ローマ 共同浴場


古代ローマの公衆浴場について『古代ローマ人の危機管理』は、古代ローマに登場したテルマエは、お風呂そのものよりも、お風呂以外の機能、例えば体操場などのレクリエーション、あるいは教育、社交、さらに治療・養生などの副次的な機能が期待される場合に使われる。テルマエの出現によって、入浴が一気に娯楽化し、生活や文化の一部を形成するようになったのであ る。首都ローマでは後4世紀には1日で数千人が利用できる大規模なテルマエが11箇所も存在し、呼び名は別としてもオスティアにも公衆浴場が少なくとも17箇所で確認できるという。
そんなに多かったとは。

オスティア・アンティカのフォロの浴場を見学した際、温浴室で当時としては大きいと感じた湯船や、

南面のパレストラ(運動場)側にアプス状の出っ張りに並ぶ2本の円柱などが残っていた。

そして『ANCIENT OSTIA A PORT FOR ROME』で、その張り出し部にも湯船があったことを知った。現在では取り除かれて、上の写真のように、排水口のようなものが露出している。
オスティア・アンティカ フォロの浴場の温浴室 『ANCIENT OSTIA』より

しかしながら、その想像復元図には疑問があった。南側の列柱が並ぶところには壁がなかったとは思われないし、まして大きな板ガラスが嵌め込まれていたとも思えない。
これでは外気が入ってきて、夏以外は寒かったのでは?
オスティア・アンティカ フォロの浴場温浴室の想像復元図 『ANCIENT OSTIA』より


そう思ったが、『古代ローマ人の危機管理』には、エルコラーノ(ヘルクラネウム)郊外浴場温浴室についての詳しい記述があり、また、窓ガラスが嵌まった写真も掲載されていた。
エルコラーノ郊外浴場外観 『古代ローマ人の危機管理』より

そこで、エルコラーノを見学した時の写真を見直すと、後79年に溶岩流で埋没した街ヘルクラネウム(現在のイタリア語ではエルコラーノとhを発音しない)の南東角を見下ろした時、四角い天窓がいくつかある平たい建物の遺構があった。
その時は何かわからなかったが、浴場の天窓だった。
『古代ローマ人の危機管理』は、「一日中陽光を入れることのできない浴室は、虫の喰った穴と呼ばれるだけであろう。皮膚を入浴でしめらせ、同時に日焼けさせなければならないのだ。また窓の外には田園風景や海が広がり、眺望も楽しむことができなければならない」(セネカ、Sen. Ep. 86)という新しい浴場が登場してくる。その実例として、ヘルクラネウムの「郊外浴場」がある。海岸沿いの崖下にあり、ヘルクラネウムの街ではもっとも低い場所に位置する。水道の供給を考えると、十分な水圧が確保できたはずである。南側の海に面する部屋には広い窓が穿たれ明るい浴室を実現していた。
熱効率を優先する以上に、伝統的、慣習的にバルネア、テルマエの窓は小さく、中は暗いものとして造られたと解するほかないだろう。しかし、後1世紀半ばころに発明された板ガラスをはめた広い窓によって浴室空間は劇的に変化し、セネカが求めた明るく景色のよい浴場が実現したのであるという。

回り込んで写した写真には、天井に四角い天窓がある階の南面には、確かに透明なガラスが嵌まっている。
『HERCULANEUM RECONSTRUCTED』は、この建物は、屋根がそのまま残っている数少ない建物の一つで、よく保存されているという。

拡大してみると、ほとんどの窓にガラスが嵌まっていて、アプスのような出っ張りの右の開口部のガラスは、横の方に立てかけてある。
でも、当時のものとはとても思えない。

同書は、天井の丸く大きな天窓(オクルス)によって光が入る前庭につながる当時の木製の①階段から入る。それぞれの部屋はローマ浴場では普通だった暖かさになっていたという。
しかしながらこの郊外浴場は閉まっていて、見学はできなかった。


『古代ローマ人の危機管理』の郊外浴場平面図(レーザースキャニングによる)
1:出入口階段 2:ホール 3:例浴室 4:プール 5:焚口(地下) 6:サウナ室 
7:ボイラー室 8:待合室 9:温浴室 10:浴槽 11:微温浴室 12:プール付温浴室          
エルコラーノ郊外浴場 平面図(レーザースキャニングによる) 『古代ローマ人の危機管理』より

同書による解説
③冷浴室(フリギダリウム)
アーチ型の天井の天窓から光が入る。砕いたレンガとモルタルで覆われた大きな浴槽と、第4様式の壁面装飾がある

⑥サウナ室
ラコニクム(サウナ)に蒸気を通して床や壁を暖める装置があった。また、直下にボイラーがない場合には、浴槽の底にある大きめの穴がボイラーにつながっていて追い焚きをしていたという。

⑪テピダリウム(微温浴室) 
テピダリウムには、中央に7人の神話の英雄が描かれた白い漆喰の壁がある。それは男性用であることを表している。木枠は当時の物で、注目に値する

⑫温浴室(プール付温浴室)
大理石の床と床板がある
それだけではなく、ほぼ部屋いっぱいにつくられた大きなプールの底には丸い穴がある。
同書は、直下にボイラーがない場合には、浴槽の底にある大きめの穴がボイラーにつながっていて追い焚きをしていたという、その穴だろう。
エルコラーノ郊外浴場プール付微温浴室 『HERCULANEUM RECONSTRUCTED』より

想像復元図
『古代ローマ人の危機管理』は、やっと温泉のようにふんだんに水が使えるようになったのであろう。後1世紀は、まさに「明るく」、「温かい」そして「清潔な」 新しい浴場、テルマエが登場する時期といえる。その中でも、トピックの窓でも取り上げたヘルクラネウムの「郊外浴場」は 、 テルマエの原形として、後の帝政期の大テルマエを想起させる「新しい浴場」である。
想像上のテーマの漆喰壁の装飾は、第4様式の装飾では一般的なものという。
エルコラーノ郊外浴場プール付微温浴室想像復元図 『HERCULANEUM RECONSTRUCTED』より


『古代ローマ人の危機管理』は、南側に広がるナポリ湾の眺望を楽しめる広い窓をもつヘルクラネウムの「郊外浴場」では、テピダリウム(微温浴室)やカルダリウム(温浴室)の浴槽に排水口があり、お湯はきちんと交換されていたようであるという。
これはオスティア・アンティカのフォロの浴場カルダリウムの写真。これを見た時に大きな排水口だと思ったが、やっぱりこれは排水口で間違いなかった。


古代ローマのハイポコースト
『古代ローマの危機管理』は、これは後のほとんどすべてのテルマエにいえることであるが、ボイラーは浴槽だけでなく、建物全体を暖めており、壁中に埋め込まれたチューブ状のレンガは壁の中に空気層を作ってボイラーからの熱気を循環させていた。おそらく壁を触ると人肌ほどには暖かかったはずであり、逆にボイラーを止めてしまうと、建物全体を暖めるのにずいぶん時間がかかったはずである。もし、お風呂のお湯を抜いて空焚きをすれば、 衛生上もかなり効果があったと思われる。
こうした仕組みの登場は、セネカ(後1世紀半ば)や小プリニウス(後1世紀末から後2世紀はじめ)の時代と考えられる。セネカはのちにハイポコースト(hypocaust)と呼ばれる壁暖房のシステムのことに触れている (Sen. Prov. 4.9)という 。
共同浴場微温浴室と温浴室のハイポコースト想像復元図 『望遠郷 ローマ』より 

『望遠郷 ローマ』は、「微温浴室」と「温浴室」では、浴室の床や浴槽の底を素焼きのレンガを積んだ支柱で高くし、火室で加熱された空気が床下に広がるようになっている。つまり、床下暖房のなされた空間なのである。壁の仕上げ材の下には、厚い上塗りをされ、断面が矩形の陶製の導管が通っていて、熱い空気や煙を通しているという。
オスティア・アンティカのフォロの浴場でも、側壁にテラコッタの管が並んでいた。

それが側壁に沿って並んでいたり、


管を接ぎながら、漆喰で固定して、おそらく天井に近いところまで壁面を暖めていたのだろうと想像した。
『望遠郷 ローマ』の想像復元図では、上部から蒸気が噴き出しているところまで再現されている。


最後になったが、共同浴場の大きな窓ガラスについて藤井氏は『古代ローマの危機管理』で、光は通しつつ開口部自体は防ぐ画期的な透明板の発明は、室内にいながらより明るく開放的で清潔な空間を求めた当時の人々のニーズに応え、一日中光をもたらすワイドな側窓を誕生させた。その萌芽は、ポンペイの中央浴場やヘルクラネウムの郊外浴場など1世紀後半の公共浴場に見ることができる。おそらく邸宅と異なり、人がいないときはむしろ盗むものがない公共浴場は、防犯よりも温めた温度と湿度を保ちつつ大きな開口部からの採光を得る必要性の方が高かったため、いち早く流行が取り入れられたのだろう。
ただし、セネカや小プリニウスが述べている「窓の景観」機能については、疑問が残る。なぜなら、鉱物製にせよ、ガラス製にせよ透明板を開口部にはめない方がよく見渡せたはずだからだ。当時の透明板はプライバシー保護の意識もあってか、消色した無色透明な高級ガラスも製造できる技術はあったにもかかわらず、ぼんやりと外の光が見える程度の半透明なものが多いからだという。
光も入るし、外の景色が何となくわかる程度だったのかも。



関連項目

参考文献 

「ANCIENT OSTIA A PORT FOR ROME」 VISION S.r.L. 2015年

HERCULANEUM RECONSTRUCTED」 ARCHEOLIBRI

「古代ローマ人の危機管理」 堀賀貴 2019年 九州大学出版会
「望遠郷 ローマ」 1995年 ガリマール社・同朋舎出版・編