ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2017/03/24
キュクラデス石偶 古代ギリシャ-時空を超えた旅展より
ギリシアを旅して残念だったのは、キュクラデス石偶をほとんど見られなかったことだ。だからこの特別展には期待して神戸市立博物館へ出掛けた。
3階の「エーゲ海の揺籃」のコーナーには、まず男性と女性の土偶があったが、キュクラデス石偶の材料である大理石でつくられた像の方が古かったりした。しかもそれはキュクラデス石偶ではなかった。ほかの出土物に混じって展示されているので、やや混乱気味に見ていったが、ここでははやり年代順に並べることにする。何といっても、千年単位では前後してしまうのだから。
今回の記事に出てくる地名はこの地図(『古代ギリシャ-時空を超えた旅展図録』より)で。
男性像 初期新石器時代(前6500-5800年) ギリシア本土マグネシア地方、セスクロの集落出土 粘土 高5.3幅4.2長7.2㎝ ヴォロス考古学博物館蔵
同展図録は、椅子に腰掛ける人物の像である。椅子は後ろの2本の脚だけ大まかに示されている。頭部は失われて、曲げた腕は突き出た腹に触れている。指とつま先は溝によって表されている。
当時支配的であった2つの傾向、すなわち身体全体の詳細な描写と、身振りやポーズの表現が、この像では完全なまでに融合している。性別が表現されるのはより稀なことであった。全体的に見て、像の造形と表面仕上げは精巧なものである。十分な焼成がなされ、珍しい赤色の彩色と、磨きが施されているという。
椅子の後ろ側の脚と人物の脚を一繋ぎに省略して造形しているわりに、足の指を刻んでいる。
ずっと後のいわゆる「ギリシア文明」の時代に盛んにつくられた、赤絵式や黒絵式のギリシア陶器は実は土器に彩色し研磨されているが、それと同じ技法がすでにあったのだ。
女性像 初期新石器-中期新石器時代(前6500-5300年) ギリシア本土ラコニア地方スクタリ浜出土 大理石 高8.7幅5.0㎝ アテネ、水中考古学監督局蔵
同展図録は、自然な形で立つ女性を表した小像。首元から脚までが現存する。足は欠損。性別の特徴を強調する自然主義的な彫りは、新石器時代初期もしくは中期という年代を示唆している。同型の女性小像が、ラコニアで出土しているという。
キュクラデス石偶以前に、すでに大理石が用いられているということが驚き。
サリアゴスの太った女性像 後期新石器時代(前5300-4500年) サリアゴス島、アンティパロス出土 大理石 高5.8㎝ パロス考古学博物館蔵
同展図録は、座る女性の小像。頭部と右肩が欠損。表面は著しく摩耗している。
右脚を交差させて、左脚(ほとんど見えない)の上に斜めに載せて座る姿が表されている。両腕を肘で曲げて胸元に水平に置き、指先が細い胴部に触れる。前面では現存する左腕が立体的に形つくられているが、背面では肩と腕は曲線によって区別されているに過ぎない。厚い肉の皴は、前面では腕の下に、背面では背中の下の方に、深い溝で分けられている。どっしりとした丸い左右の臀部は、背中の下部から小像の底部まで続く深い溝で分けられている。
同型の小像は、エーゲ海のほかの島々でも発見されており、新石器時代初期から中期につくられた小像作品に起源をもつという。
風化が進んでいるので、土偶かと思った。右肩がないので、体を捻って座った姿に見えた。
以前は太った女性は多産・豊穣を願う地母神とされてきたが、今では神像と特定しなくなったのだろうか。
両腕を肘で曲げて胸元に水平に置いているというのも分かりにくいのだが、後のキュクラデス石偶の腕と同じ表現がもう出現している。キュクラデス諸島では、それが長い間祈りのポーズででもあったのかな。
男性像 後期新石器時代(前5300-4500年) ギリシア本土アッティカ地方バリーニ、バッラーナの集落出土 粘土 高12.3幅4.4㎝ ブラウロン考古学博物館蔵
同展図録は、手捏ね。頭部は円筒状の頸部と同化し、鼻は軽く突き出ている。胴は矩形であり、両腕は三角形の突起として表現されている。
この時代の図式的な小像は、自然な人体を表した小像と、数の上でも多様性においても互角である。新石器時代の小像はおもに集落から発掘されるもので、規格化からはほど遠かったという。
やっと頭部の残った像があったが、それは目も口もない円筒状のものだった。腕もほとんどなく、省略が進んだ造形である。ヴァイオリン形キュクラデス石偶の特徴に通じるものだが、ギリシア本土で出土している。
女性像 末期新石器時代(前4500-3800年) クレタ島イエラペトラ、カト・ホリオ出土 粘土 高14.7幅10.0奥行10.5㎝ イラクリオン考古学博物館蔵
同展図録は、座る女性を表した粘土の小像。エーゲ海で出土した新石器時代の小像の中でも、最大かつ最高の保存状態のものの一つである。堂々たる大きな女性像は腹部に両手を置き、脚を組んで座っている。刻線によって身体的特徴や衣服、そして時には刺青や傷による身体装飾が表されている。
素地とよく研磨された表面は、クレタ島で新石器時代につくられた土偶に似ている。
身体のいくつかの部分が強調されているのは豊穣性との関係を思わせ、新石器時代の女性小像は豊穣の女神ではないか、あるいは自然の生産サイクルに関係する儀式で用いられたシンボリックな像ではないかという解釈がなされているという。
頭部の表現は省略が進んでいるが、目鼻口はある。体がこれだけ大胆に表現されているのに、顔がこれ。顔をはっきりと表さないのは、人智を超えたものへの畏怖かも知れない。
人物像 末期新石器時代(前4500-3200年) ギリシア本土ラリッサ地方ティルナヴォス、カストリの丘出土 大理石 高9.0手の幅3.5頭部の幅4.3厚1.6㎝ ヴォロス考古学博物館蔵
同展図録は、人間を図式的に表した、完形の像である。逆三角形の頭部が強調されており、身体の他の部分と比べて大ぶりである。2つの三角形の突起は手を表わしている。
この像は、特に細部の表現が省略されているという点で、新石器時代後期および末期に特徴的な様式を示している。この時代の像には動きが欠けており、その前の「自然主義的な」時期の表現とは対照的である。像の制作に石、おもに大理石を広く用いることは、紀元前5000年以降にテッサリア東部とマケドニア中部で広まったという。
この像は頭部が巨大で、脚部がない。座っている人物を表しているのだろうか。
アッティカ地方で出土した後期新石器時代の像と共通するものがある。人間を図式的に表していること、腕が三角形の突起として表現されていること。それは同時代の島嶼部での造形とは全く異なっているのだが、この2点だけで、ギリシア本土に特有のものと見て良いのだろうか。
やっとキュクラデス文化の時代になった。
『エーゲ文明-クレタ島紀行-』は、キクラデス諸島は、紀元前3200年ごろに新石器時代が終わりを告げ、初期青銅器文明が芽生えると、独自の物質文化が形成された。この青銅器文明をギリシアの考古学者クリストス・ツシタスは<キクラデス文明>と名付けた。
本土のヘラディックおよびミケーネ、クレタ島のミノア文明とほぼ並行して発展し、紀元前3000年ごろの初期キクラデス時代はエーゲ海域で最も華麗をほこっていた。その要因のひとつは航海技術の進歩と海上交易によって多大な利益を得ていたからである。
彼らが使った船には帆柱がなく、24から28本の櫂で漕ぐ高速船で、木材、青銅、銀、大理石、黒曜石などを運んだ。
初期キュクラデス社会にあって注目すべきは、白大理石製の容器や女性小像と刻線文様のフライパン形土器である。これらはエーゲ海東・西部の沿岸部やクレタ島にも分布する。こうしたシンボリックな品々は、その他の上層階層により好まれ、レプリカがつくられ、副葬品として葬祭儀式に使われた。アッティカ地方やエウボイヤ島では、葬祭時や供物として墓に安置されたという。
ヴァイオリン形女性像 初期キュクラデスⅠ期(前3200-2800年) アンティパロス出土か 大理石 高9.8幅2.7㎝ アテネ、キュクラデス博物館蔵
同展図録は、表面に摩耗が認められる。図式的な小像の最も一般的な型の一つで、輪郭がヴァイオリンの形に似ていることから「ヴァイオリンの形」と呼ばれている。
小像は板状で、上部に首や頭部を表わす長い突起が、両脇に腰のくびれを示す2つの幅の広いくぼみがある。首には平行する2つのV字形のモチーフが、胴の中ほどには4本の水平線が線刻されている。
こうした「ヴァイオリン形」はむしろ、両手を胸の下に置き、腰を下ろした女性の姿を単純化し抽象的な方法で表わしたと考えた方がよいだろうという。
天まで届きそうな頭部。特別な能力や役割を与えられた女性を象ったもの?
プラスティラス型男性像 初期キュクラデスⅠ期 出土地不明 大理石 高23幅8.3㎝ ナクソス考古学博物館蔵
同展図録は、プラスティラス型の小像。右脚の一部が欠損している。非常に長い首が小さな円筒形の頭につながっている。頭に水平の溝の入った円錐形のピロス帽をかぶる。指とつま先も刻線で表わされている。
キュクラデス諸島の多くの島々、特にナクソス島で豊富に産する白大理石は、大理石彫刻の成立に重要な役割を果たした。プラスティラス型の名称は、パロス島プラスティラスの初期キュクラデス時代の墓地に由来する。この自然主義的な型式の小像は、初期キュクラデスⅠ期の間、様式化したヴァイオリン形小像の型式とともにつくられていた。プラスティラス型は、臀部が極度に肥大した新石器時代の小像から進化してきたもので、前2000年代における最初の自然主義的人体表現であったという。
省略的に表しながら、帽子の皴、指先などは刻んでいる。
彩色スペドス型女性像 初期キュクラデスⅡ期(前2800-2300年) ナクソス島出土か 大理石 高33.0幅8.5㎝ キュクラデス博物館蔵
同展図録は、標準型の小像で、スペドス型の後期にあたり、「グーランドリスの彫刻家」に帰されている。「グーランドリスの彫刻家」という名称は、数多くの彼の作品がN.P.グーランドリス財団のキュクラデス博物館に収蔵されていることから、通称として名付けられた。彼の作品の典型的な特徴としては、竪琴(リラ)形の顔と輪郭と長い円錐形の鼻、急角度に傾斜した肩が挙げられる。
円錐形の鼻の上部には赤い彩色跡が残っているという。
キュクラデス石偶という言葉から連想するのはこのタイプの顔である。後のギリシア文明の時代につくられた大理石像と同じように彩色されていたとは。
スペドス型女性像 初期キュクラデスⅡ期 クフォニシア群島出土か 大理石 高74.3幅16.0㎝ キュクラデス博物館蔵
同展図録は、標準型の中のスペドス型に属する大ぶりの小像。スペドス型のほかの作品と比べて強くカーブした輪郭を持つ。
竪琴形の頭部はやや後ろに傾き、鼻は幅広の円錐形である。両肩は水平である。
胴部は不釣り合いに短い。キュクラデス型小像には珍しく、手首と指が刻線によって表わされているという。
同じタイプの石偶でも、大きさはいろいろ。この像は上のものよりも2倍近く大きい。
その1/3の高さの像
キュクラデス型女性像 初期ミノスⅡ期(前2700-2700年) クレタ島メサラ、クマサ墓地出土 大理石 高23.5幅6.5㎝ イラクリオン考古学博物館蔵
同展図録は、作品の質やきめの細かい大理石、および珍しい腹部の表現は、クレタ島の初期青銅器時代において極めて稀である。こうした特殊な物はキュクラデス諸島からの輸入品と考えられる。
クマサの豪華な墓地で発見された。地上に石で構築されたモニュメンタルなクマサの円形墓は、何度も埋葬が行われており、何世代にもわたって使用され続けた。クマサの墓地では、島内で最大級のキュクラデス型小像のグループが出土している。
キュクラデス型小像が装身具や武器のように個人の所有物だったのか、それとも集団による葬祭儀礼や記念儀式の一部だったのかは、いまだに明らかではないという。
祭儀の時などに、両腕をこのように平行にして胸にそわせるのが島々の習慣だったのかも。
ヴァイオリン形が坐像を表しているなら、以上3体の女性像は立像ということになるが、すべて爪先立ちで、支えなしには立つことができない。立像ならば立てるようにつくることはできたはずなので、立てることを目的とせずに、おそらく何かの上に横にして安置していたのだろう。伸身像と呼べばよいのかな。
女性坐像 初期ミノスⅡ期 クレタ島クノッソス、テケス出土 大理石 高8.5幅4.0奥行3.8㎝ イラクリオン考古学博物館蔵
同展図録は、前で腕を組むキュクラデス型の姿勢で彫られている。北海岸に近いテケス地区という、海上貿易において地理的に非常に重要な場所で発見された。
テケスでは、キュクラデス型小像7体と銀製の短剣2本が一緒に出土した。銀は稀少な金属でクレタ島では産出しないため、おそらくキュクラデス諸島から輸入されたのだろう。この貴重な遺物群の出土状況に関する詳細な記録はないが、素材からして葬祭コンテクストではないかと思われるという。
坐像でも伸身像でもない、倚像があった。こんな風にしていると、一般の人ではなく、神に近い人を表しているようだ。
『図説ギリシア』は、大理石はエーゲ海地域に広く産出し、古代の人たちが上質の大理石の鉱脈を求めて採掘した鑿の跡が残るパロス島の採掘坑をおりていくと、今もなお薄闇の中に白く光る大理石がしっとりと息づいてるのを見ることができる。先史時代のキクラデス文化の人たちも、そのような大理石の神秘的な生命感に魅せられて、そこから死後の世界への伴侶となる石偶のかたちを彫りだしたのかもしれないという。
白い大理石というものを、彫刻し易い素材、見た目が美しい、白いから彩色が映えるなどという見方しかしていなかった。当時の人々にとっては、薄闇に光る石でこそ、信仰なり祭儀、或いは副葬品としての像をつくるに値するもののだったのかも。
→縞大理石をまねる 古代ギリシャ-時空を超えた旅展より
関連項目
泣女 古代ギリシャ-時空を超えた旅展より
※参考文献
「古代ギリシャ時空を超えた旅展図録」 2016年 朝日新聞社・NHK・東映
「エーゲ文明-クレタ島紀行-」 関俊彦 2016年 六一書房
「図説ギリシア」 周藤芳幸 1997年 河出書房新社