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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/05/22

竹中大工道具館3 大鋸(おが)の登場



展示室には「柱を繋ぐ、材を継ぐ」というコーナーがあり、力の流れをいかした、梁の継ぎ方などが再現されていた。

『竹中大工道具館常設展示図録』は、普段見ることができない木と木の接合部にこそ、大工の技が凝縮されている。継手仕口と呼ぶこの接合部の精緻さと多様さに、日本建築の発達を支えた技が秘められる。
二つの材を一定方向に接続させるのが仕口であり、材と材をつなぎ合わせて長材とする技法を継手と呼ぶ。その形には鎌継ぎ、蟻継ぎ、腰掛といった力学的に理にかなった形状がある。長持ちし、地震にも耐えうる丈夫な建物にする工夫だ。さらに継手によって、限られた長さの部材からでも、大きな建物を築くことができるという。
同書は、内部で複雑な加工を施しながら、外部は極めてシンプルな形を見せる。つまり微塵の隙間もない単純な見た目にこそ、大工の心意気が秘められているのである。精緻な隅掛け、鋸の部材つくり、鑿の刻み、鉋の仕上げと、まさに大工道具が総動員され、木が組まれていくという。
その前の台には幾つかの継手仕口があり、「どのような仕組みでガチっと留まるのだろうか?手にとって形と力の加わり方を確かめて見よう」と書かれていたので、いろいろ試してみたが、実際に展示室に置かれていたものと、図版とでは違うような。

追掛大栓継ぎ
台持継ぎ
宮島継ぎ
腰掛鎌継ぎ
腰掛蟻継ぎ
結構複雑な「四方鎌継」も試してみたが図版にはない。
このような継手仕口も中国から将来されたもの?それとも日本独自のものだろうか。
いつ頃からこのような細工が行われるようになったのだろう。

展示室には、絵巻で寺社を建てる場面のパネルがあり、登場人物の台詞がところどころ現れては消えるようになっていた。
同書は、平安時代の終わり頃から高僧の伝記や寺社の縁起をまとめた絵巻が数多く制作され、この中にしぱしぱ寺社の造営の場面が描かれた。それらの絵画資料からは、道具の形だけでなく、用途や作業姿勢などを読み取ることができる。
ここで紹介する『松崎天神縁起』では、木材の運搬から、加工して組み上げるまでの場面が一通り描かれている。木材はある程度製材されたものが牛車で運ばれてくる。そして画面中央では、鑿で材を削り、材の表面を釿ではつり、ヤリガンナで仕上げる、という打割製材の一連の工程を確認できるという。

『松崎天神縁起』巻4第3段 応長元年(1311) 山口県防府天満宮蔵
中央部  
ヤリガンナを持つ一人などは「こっちは節ばっかりで割りにくいな」と言い、鑿で木材を割る人物は「これはきれいに割れる木だな。ありがたい」などという台詞が出現した。
ヤリガンナ(復元) 興福寺北円堂 鎌倉時代
釿(復元) 広島県草戸千軒遺跡 13-14世紀
大きな材の加工にしては華奢な大工道具のように思える。 
右側
木の葉型鋸は積み重ねられた板の横ら置かれているだけで、使われていない。

右上の場面は『伴大納言絵巻』を彷彿させる。子供のケンカに親が入ってきて、他所の子を蹴る職人という構図は、絵描きが同絵巻を見ながら描いたのではないかと思われるほどよく似ている。
そして、左からヤリガンナを持って駆けつける大工は、蹴られた子の親だろう。
牛車の手前では、子供たちが横に置かれたカンナ屑を持って遊んでいたりと、絵巻には周縁の光景も描き出されて、当時の日常生活を垣間見る面白さがある。
左側
そうかと思えば、建造中の建物の上で木の葉型鋸で木材を切る者もいれば、「ん~、このあたりに打てばいいのかな」などと言いながら小さな金槌で大きな釘を打つ大工もいる。

木の葉型鋸(復元) 広島県草戸千軒遺跡 13-14世紀
木の葉型鋸(復元) 三重県上野下部遺跡 15-16世紀
墨壺と墨サシ(複製) 東大寺南大門 13-14世紀
この頃のノコギリは現在のものと形が違うだけでなく、包丁程度の大きさだったようだ。
小さい方が、足場の安定しない建築中の建物の上でも使い易かったのかな。

挽割製材への転換
同書は、打割製材では木目の通って割りやすい杉や檜が好んで用いられたが、次第に良質な材は枯渇していった。そこに中国から伝わってきたのが二人挽きの大型縦挽鋸「大鋸(おが)」で、15世紀頃から広く使われるようになった。この縦挽鋸による新たな製材法を挽割製材というという。

『三十二番職人歌合』 15世紀 サントリー美術館蔵
同書は、縦挽鋸の使用によって、木目のねじれた松や堅い欅など、打割製材では使いにくかった樹種を扱えるようになった。また、薄い板や細い角材などを容易につくれるようになった。その影響は建築にもあらわれ、それ以前の太く大きな部材を用いた建築に比べ、細く薄い材が多用されるようになる。障子や引き戸など軽い建具の普及や、今の和室の原形である書院造の成立などにも、その影響の一端をうかがえるという。
材を斜めに固定して、一人は地上から、もう一人は材に乗って、二人がかりで大鋸を挽いていた。軽業師のよう。

同書は、大鋸は製材法を革新する画期的な道具であったが、それほど長くは使われなかった。日本独自の進化を遂げた一人挽きの製材用鋸「前挽大鋸」が16世紀に登場すると、大鋸にとってかわり、その後近年に至るまで製材用縦挽鋸の主流となる。
大鋸・前挽大鋸が登場した時代は、大鋸挽・木挽という製材専門の職人が登場した時代でもある。木挽は重労働を担うだけでなく、木取りをする職人としても技術をきわめ、一方で大工は製材の重労働から解放されることになったという。
大工道具館では、大きな大鋸(奥)と前挽大鋸で木材から板を切り出す所が再現されていた。
前挽大鋸
木の葉型鋸は小さくて華奢に感じるが、この大鋸は迫力がある。
『匠家必用記』 宝暦6年(1756)
坐った姿勢で材の下から木を挽いていた。こんなんで力が入るのかなと思うが、ちゃんと挽けていたのに違いない。でも、肩が凝りそう。

台鉋の登場
同書は、現在一般にイメージされる鉋、すなわち木製の台に刃を仕込んだ「台鉋」が普及したのは、16世紀頃とみられる。それまでのヤリガンナによるさざなみ状の仕上げに比べて、台鉋ではより平滑な仕上げができるようになった。
その効果は、違棚や付書院など、この頃に進化した座敷飾に見られる薄く平滑な板の表面にあらわれているという。
台鉋(複製) 大阪城跡出土 16世紀末
同書は、部材接合部の精度が良くなり、より密着させられるようになったことで、継手仕口の強度の向上にも大きく貢献したとみられるという。
台鉋は思ったよりも新しい道具だった。

      竹中大工道具館2 大工道具の発達
                   →竹中大工道具館4 大木を板にする

関連項目
竹中大工道具館7 海外の建築と大工道具
竹中大工道具館6 土のしらべ展
竹中大工道具館5 道具で知る建築史
竹中大工道具館1 古代の材木と大工道具
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※参考文献
「竹中大工道具館 常設展示図録」 2014年 公益財団法人 竹中大工道具館