サンタ・コスタンツァ廟の周歩廊天井モザイクには6つのパターンがあった。
その中で、私が勝手にパターン4としたものは、葡萄唐草が四隅から渦巻きながら中心へ蔓を伸ばす。しかし、それとは別の蔓が中心の人物の胸像を取り囲んでいる。
『世界美術大全集7西欧初期中世の美術』は、牧歌的な情景の中央に描かれた女性胸像は、この墓廟に埋葬された皇女コンスタンティナと見なしてもよいであろう。いわゆる円形肖像(イマゴ・クリペアータ)形式の死者肖像は、当時のキリスト教徒の石棺浮彫りにも数多く認められるものであるという。
これはコスタンツァの円形肖像らしい。コスタンツァは斜め右向きに描かれている。額と鼻筋にハイライトが当たっているので、それがよくわかる。
同廟は暗い上に、周歩廊の天井が高いので、廟の照明だけではこの程度にしか写せない。どうにかピントが合っていたので拡大してみると、筆で描いたような描写だ。コスタンツァは若い表情をしている。
残念ながら、もう一つのパターン4は、ピントが合っていなかったが、やはり斜め右方向を向いているのと、衣服に赤い色がない程度はわかる。
書物にはこちらの胸像の方が多く記載されている。
『光は東方より』にこんな図版があった。上のコスタンツァ像に比べると、左頬と顎が赤いし、髪型も違うようだ。
『世界美術大全集7西欧初期中世の美術』に拡大図版もあった。右頬も鼻も赤く、とても同じ人物とは思えない。モザイク職人が違うからといっても、ここまで違うだろうか。ひょっとすると、別の人物を描いたのだではないだろうか。
『建築と都市の美学 イタリアⅡ』に周歩廊を入口から半分余り写った図版があった。そのコスタンツァの顔の周囲の葡萄の葉の位置から、最初の写真は向かって右側、次のピンボケの写真は左側にあることが判明した。どちらも頭を奥に向けている。ちょうど180度の対角線上にあるが、どちらも斜め右を向いているので、向かい合ってはいないことになる。
『イタリアの初期キリスト教聖堂』は、この聖堂は、最初はコンスタンティヌス帝の2人の娘、コンスタンツァとその姉ヘレナの洗礼堂として建てられたものであるが、コンスタンツァの没後、その霊廟として用いられるようになったというが、『世界美術大全集7西欧初期中世の美術』は、4世紀の著述家A.マルケリヌスの記述に従えば、354年没のコンスタンティヌス帝の娘コスタンツァ、さらに360年没のその妹ヘレナのための墓廟であったと思われるという。
ヘレナはコスタンツァの姉だったのか、妹だったのか。
一般にはコスタンツァ廟は、360年頃墓廟として建造されたとされているので、ひょっとすると、片方がコスタンツァで、もう一方がヘレナだったのかも。
コスタンツァ廟の周歩廊天井モザイクについてはこちら 1 2
※参考文献
「世界美術大全集7 西欧初期中世の美術」(1997年 小学館)
「建築巡礼42 イタリアの初期キリスト教聖堂」(香山壽夫・香山玲子 1999年 丸善株式会社)
「NHK名画の旅2 光は東方より」(1994年 講談社)
「建築と都市の美学 イタリアⅡ神聖 初期キリスト教・ビザンティン・ロマネスク」(陣内秀信 2000年 建築資料研究社)