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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/10/15

三徳山投入堂は登山靴で


投入堂は、慶雲3年(706)、役の行者が法力で岩屋に投げ入れたといわれ(三徳山三仏寺のしおりより)ているらしい。一体どんなものか一度は目にしてみたかった。
『三徳山とその周辺』は三徳山は、古くは美徳山とも呼ばれ、三朝町東方に位置し、因伯の国境に近い竣岳である。大山火山系に属するトロイデ状の山容は、南側を小鹿川に、北側を三徳川に囲まれた、ほぼ独立した山岳形態を示しているという。火山やったんや。 

道路を曲がろうとするといきなり急な階段になっていた。昔山男は元気よく駆け上っているのではないが、走っているように見えるくらい急傾斜だった。  2本の長い階段を上ったら左に曲がり、短い階段を上ると参詣者受付案内所がある。ここで入山志納金を払うが、それだけでは入山することはできない。
受付の人に靴を見せる。どの程度の靴から駄目なのかわからないが、我々の前のグループは、自分の靴で入れる人と、ワラジに履き替える人がいた。我々は登山靴なので問題なく入山できた。
更に幾つかの階段を上って本堂(工事中)の奧に行くと、登山事務所がある。ここで再度靴の裏を見せてタスキを掛けて、やっと投入堂まで行くことができる。 まずは宿入橋を渡る。 大木が並ぶ平らな道を行く。 しかし、すぐにかずら坂の急登が始まった。三徳山投入堂参拝登山路の地質見学は、このあたりの岩を熔結凝灰岩としている。  登山道はかなり荒れていて、登りにくかった。写真の枯れ木の下から登ったが、右の坂から登った方が楽だったようだ。木の根道はまだ登り易い方だった。 やがて岩場の急登になる。上の方に建物が見えてきた。 その先はクサリ場になっていた。「清水の舞台」のようなのは文殊堂の懸造り。『三徳山とその周辺』 は、正面3間、側面4間の入母屋造りで、背面妻中央に軒唐破風をつけたこけら葺の建物である。厨子扉の飾金具に、「檀那南条備前守天正8(1580)年三月吉祥日」の銘があることから建立の時代がわかる。全体が地蔵堂とよく似ており、この時代に模して造られたものと考えられるという。ここまで35分。残念ながら全体の写真はありません。三徳山三仏寺の境内図です。
※参考文献
『鳥取の自然と歴史-4-三徳山とその周辺』(2005年 鳥取県立博物館)
三徳山三仏寺のしおり

※参考サイト
岡山大学 地球物質科学研究センターの三徳山投入堂参拝登山路の地質見学