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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/03/03

山田寺の伽藍址を歩く


山田寺は四天王寺式伽藍配置で南門(下図には描かれていない)から講堂まで中門・塔・金堂が一直線に並んでいる。南門の前に石の板が石積みの溝の上に渡してある。 建物がないといまいち実感できないが、南門・中門とくぐって境内に入ると塔がある。小さい塔やなあ。同展図録によると、金堂より遅れ、663年に完成する。方3間の平面で、一辺の長さは6.53mあり、法隆寺五重塔の6.42mとほぼ等しいが、中央間の柱間は法隆寺が2.68mなのに対し、山田寺は2.38mと小さいということだ。 塔の基壇から金堂を眺める。建物のない敷地は実際よりも狭く見えたのに、写真に写すとその時感じたよりもずっと広いなあ。『護国寺本諸寺縁起集』には、内部には東南に石川麻呂の御影像が祀られ、仏像は半丈六の中尊と、脇侍と思われる3尺の金銀立像、7尺の立像が安置されていたという。半丈六ということは釈迦如来坐像やろうけど、脇侍が金銀の立像ってどんなんやったんやろ?7尺の立像は四天王像のことかなあ?
それと、いつの時代のものかわからないが、石川麻呂という俗人の肖像彫刻が造られ、しかも金堂に安置されていたとは。現存していたら、日本最古の肖像彫刻だったかも。 飛鳥資料館の山田寺東面回廊復元室のパネルによると、塔と金堂の間に燈籠の基礎や礼拝石が発掘された。燈籠台石は同展示室の隅に置かれている。蓮弁は8枚ということだが、わかりにくいなあ。燈籠は台石が原位置から出土し、周囲からは火袋の破片も出土した。火袋は上下2段に分かれていて、上段には連子を造り出し、下段には逆ハート形の猪目をくりぬく。火口が1面のみで、装飾性に富んだ精巧な造形は、他に類をみない。金堂と同時期の7世紀中頃のものとみられ、8世紀中頃に据え直されているという。7世紀中頃とというと、当麻寺金堂前の日本最古の燈籠と同じころとちがう?
それにしても火袋が大きすぎるように思う。当麻寺の燈籠と違って、笠は蕨手のある八角形やね。竿が胴張りなのは一緒。中台の下側の蓮弁も似ているように思う。金堂の南面階段の南には、犬走りに接して「礼拝石」とよぶ2.4mX1.2mの切石がある。金堂の前面に石を据えるのは、四天王寺の転法輪や鳥坂寺(大阪府、8世紀)にもみられるが、あまり例がなく珍しいそうだ。この石の上で石川麻呂さんが自害したんやったね。金堂の基壇は東西21.6mX南北18.5m、高さは1.8mあった。地盤を補強するために、造成時の整地土を約1.8m掘り下げ、粘室土と砂室土を3~5㎝ずつ交互につき固めていく版築によって積まれているという。5世紀中葉~後半の新沢千塚古墳群の221号墳も版築という技法で土がつき固められていたが、層が薄いのが似ている。 そして北回廊の中央部にも礎石が幾つかあった。12枚の蓮弁は風化したためか、よくわからなかった。北側はなにやらごちゃごちゃしていたので行かなかったのだが、講堂跡には礎石や地覆石が残っていたらしい。

※参考文献
「奇偉荘厳 山田寺展図録」(2007年 飛鳥資料館)