ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2007/05/23
MIHO MUSEUMの山東省の仏像展は蝉の菩薩の見納めか
MIHO MUSEUMは今年開館10周年ということだ。その記念特別展の第一弾として『中国・山東省の仏像 飛鳥仏の面影』展が開催されている(6月10日まで)。
何年前になるだろうか、NHK特集でMIHO MUSEUM所蔵の「菩薩立像」はロンドンの骨董商から当館が買ったものだが、実は中国で盗まれたものだったという番組があった。その事実を知った当館の「無償でお返ししましょう」と申し出に、中国側も「では、数年間そちらで展観して下さい」と応えたという結末だった。
私はこの菩薩立像が何時返還されるのだろうと気になっていた。何度かMIHO MUSEUMには足を運んだが、まだ展示されているなと思ったものだ。今回の特別展があることを知って、展覧会が終わったら中国に持って帰るのだろうなと、勝手に想像している。
さて、この度同展を見に行くと、いつもは平常展の中国美術の部屋で見ていたこの菩薩立像が、特別展として出品されていた。解説には「山東省蔵」となっていた。はて、今まで所蔵がどのようになっていただろうか?
1 菩薩立像 北魏~東魏(6世紀) 石灰石・彩色 像高97.2cm 博興県崇徳村龍華寺遺跡出土 山東省蔵実際のところどうなるのかわからないが、これが見納めと思ってこの菩薩立像を見てきた。宝冠の前面中央に蝉が表されているため「蝉の菩薩」とも呼ばれていたものだ。
しかし、それだけではない、シンプルな同心円の線刻を施された頭光は、頭部の周囲に蓮華の花弁を表しているのだが、その花弁の1枚1枚の表現の柔らかいこと。浅浮彫なのにかなり立体的な曲面に見える。そしてその頭光はこのように細い身体に大きすぎ、重すぎるような分厚さだが、裏面にも同様の蓮華が表されてる。
また、同展には他に2体、蝉が表された菩薩が2体展観されていた。
2 「釈迦三尊像」の右脇侍菩薩 東魏、天平3年(536) 像高49.7cm 1996年青州市龍興寺遺跡で発見 青州市博物館蔵
これは他の像のように浮彫ではなく、線刻で表されている。蝉を浮彫にするのを忘れていたか、装飾のない宝冠に蝉を線刻したかだろう。紀年名があり、時代が特定できる。
こちらの頭光の蓮華は肉厚で、花弁には見えない。3 菩薩立像 北魏から西魏時代(6世紀) 現状高113.0cm 1996年青州市龍興寺遺跡で発見 青州市博物館蔵
非常に明るい表情の菩薩である。身につけた衣の表現が線刻に近い。お腹の辺りの衣のたるみも、妙に平坦に表されている。
では、何故蝉が菩薩の宝冠に表されたのだろうか。同展図録には、1979年所収の戸川芳朗氏の文を引用している。
山東省で北魏末期から東魏時代にかけて造られた中国風の作風を示す菩薩のなかに、頭上に頂く宝冠に蝉の飾りを付けたものがある。
このような像は仏教には本来なく、おそらく戦国時代以来、皇帝の近臣や高級宦官が清廉、節倹の証として冠の正面に蝉の飾りを使用するようになった伝統に由来していると思われる。 ・略・ 冠に化仏を頂いた崇仏の貴人が現実に存在し、同じ墓から蝉の冠飾りが出土している事実は、蝉の冠飾りを付けた貴人になぞられて、このような菩薩像が誕生した可能性を伺わせる。 ・略・
仏・菩薩といえども俗人の衣服の流行に影響を受けているので、不思議ではない。短い期間に国が次々と変わり、また仏の作風も変わっていくこの時代に一時期だけ流行ったのだろうか。
同展ではまた、その短期間にどんどん変わっていく様式が分かり易く配置され、そして解説されている。
※参考文献
「中国・山東省の仏像 飛鳥仏の面影展図録」 2007年 MIHO MUSEUM
「MIHO MUSEUM南館図録」 1997年 MIHO MUSEUM