原作は北周・大象2年(580)原作は石、彩色、金箔 高120.0㎝、幅240.0㎝、奥行97.0㎝原作は2003年陝西省西安市未央区大明宮郷井上村出土 中国絲綢博物館(原作は西安博物院)
同展図録は、石堂は2003年に西安で発掘されたソグド人の墓から見つかりました。以前にも西安や太原で北朝・隋代のソグド人墓が発掘されていましたが、この墓からは漢文だけでなくソグド語の銘文が見つかったことから、とくに注目されました。石堂の入口上部に記された銘文によれば、被葬者は北周涼州薩保の史君(諱は欠字)とその妻の康氏でした(ソグド語の名前はウィルカクとウィヤーウシー)。夫妻のために造られた石堂には精緻な浮彫が施されていましたという。
史氏はキシュ(ウズベキスタンのシャフリサブス辺り)出身、康氏は同じくウズベキスタンのサマルカンド出身のソグド人。中央アジアにソグド人の街と中国での姓の図はこちら
南側描きおこし図(説明パネルより)
門の左右に立つのは、仏教なら金剛力士(仁王)だが、拝火教徒の墓廟のにも採り入れられている。墓を荒らされないようにと願ってのことだろう。
左側
途切れ途切れの記憶を辿ってみると、中国で仁王像は見ていないような・・・
邪鬼を踏み、下の腕は腰に当て、上の腕は武具を持って髪の毛を逆立てている。日本の仁王像よりも四天王像に近いかも知れないが、四臂という点で異なる。中国に住むようになって、仏教の眷属を採り入れたのだろう。左枠の連子窓の上には様々な楽器を奏でる楽人たち。
右側
左側を反転させているが、細部は少しずつ違っている。窓の両端に人がいる。
下側は、南面する入口の左右には、半人半鳥の神官が火の祭壇の前で儀式を行っている様子が表されていますという。確かに神官は足が鳥、鳥の尾と翼もあって、拝火壇に向かって何かを行っている。
向かって左側の壁(西側)から背面(北側)には、史君夫妻の生前の豊かな暮らしぶり(狩猟、 酒宴、ピクニック他)が時計回りに表されていますという。
西壁
右上には如来ではないが、眷属を従え蓮台に胡坐する神格(オレンジ色)。その前に来迎雲に乗ってやってきた墓主(ピンク)が礼拝している。周囲には動物や人物がいて、涅槃図で釈迦の周囲に集まる弟子や動物からヒントを得ているようにも思える。
もっとも動物が登場する涅槃図は日本に多いのだが。それについてはこちら
中央から生前の墓主の行いが描かれる。それで天国か地獄か判断されるのだ。屋敷で暮らしていた墓主。庭には馬と犬たちが準備されている。左上には狩りをする墓主と逃げまどう動物たち。下は複数のラクダと馬に乗った隊商が移動している。狩猟を楽しむ反面、危険を伴う仕事もしていたということも表しているのだろう。
下辺には渦巻いて流れる水流(水色)
基壇にも狩猟図が浮彫されている。
北面はまわって見ることはできなかった。その描きおこし図 『世界遺産 大シルクロード展図録』より
法隆寺金堂に用いられている人字形割束があった。
右側
移動中のユルタで酒杯を掲げる墓主は、次の場面では宮殿または大きな建物でやはり酒杯を掲げている。その左の女性は妻でやはり杯を持っている。周には音楽を奏でる楽人たち。
屋外の池では水鳥が浮かび、マカラが口を開いている。マカラについてはこちら
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中国絲綢博物館蔵北周史君石堂背面描きおこし図 世界遺産 大シルクロード展図録より |
続いて馬で移動する墓主夫妻
そして果樹の下で男性どうしで祝杯を挙げる墓主と池の縁で女性どうしで宴会するその妻。
最後の場面では、洞窟で暮らす人の下で飛来する天女と水辺で女性たちを助ける天女たち。ここにも仏教美術の影響が見られる。
右側の壁(東側)の下方には橋を渡る史君夫妻の姿が認められます。この橋はゾロアスター教徒が死後に渡るとされるチンワト橋(選別の橋)であると考えられていますという。
何故もっと正面からこの壁面を写さなかったのだろう。
東壁の浮彫については『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉』に詳しく記されているので、それを参考にしながら物語の順に見ていくと、
① 右図下から中図下 墓主夫妻がチンワト橋(草色)を渡る場面
ゾロアスター教の神官二人は半人半鳥ではなく人間の姿で表され橋の手前にいる。呼気で聖なる火を穢さないように口の前に白い布を垂らしている。
墓主夫妻は橋を渡っている。
② 右図上 神格に迎えられる場面
三頭の牛の台座に座る神格の前で、墓主夫妻が三人の女性と対面している。
③ 左図上 天馬に乗って昇天する場面
天馬に乗って昇天する墓主夫妻を飛天たちが取り囲み、それぞれの楽器を奏でている。
そして同書は、史君石槨東面の浮彫は、当初はゾロアスター教の終末観を視覚化したものとして解釈することができると考えられたが、一部をマニ教の終末観と結びつける解釈が出され、現在ではこの新しい解釈は複数の研究者によって支持されているという。
東面右上では、3頭の牛の台座に座る神格の前で、墓主夫妻が3人の女性と対面している。ゾロアスター教の終末論では、生前の行いが正しければ、チンワト橋において、自分の魂の象徴であり美しい女性の姿をしたダエーナによって迎えられるとされるが、浮彫には3人の女性が登場しているという。
ゾロアスター教だけでは解決できない図像になっているのだった。
一方大和文華館蔵マニ教絵画は、死後に行われる判決の様子を表し、右側に裁判官の姿が見える。左上部から3人の女性が雲にのって飛来している。
この構図は、史君墓石槨の、神格の前で墓主夫妻が3人の女性と対面している場面と一致している。敦煌で発見された『下部讃』と呼ばれるマニ教文献の中では、裁判官は「平等王」と呼ばれることから、牛の上に乗る神格は「平等王」を表している可能性があるとしているという。
結論として同書は、史君はマニ教に改宗したが、立場上ゾロアスター教徒として振る舞っていたため、このように二つの宗教の終末観が混在した図像を残したとする見方がある。もしくは、史君はゾロアスター教徒であったが、マニ教の図像を借用したという可能性もあるだろうという。
基壇の浮彫には、飛天に口を大きく開いた架空の動物たち、
中央には正面を向いた有翼の大角羊の左右に葡萄の葉と実があって、この蔓は葡萄唐草だった。羊文はソグドでは多用されているが、このように正面向きのものは初めて見た。
続いて架空の動物たちと天女がうねる葡萄の蔓の間に配されている。
また、正面の階段には階段にいるのは子供たちかと思っていたら大人だった。
しかも、前の二人は墓主を拝んでいるようなのに、後方の二人は邪鬼?と揉み合っていた。邪悪なものが墓室に入り込まないように排除している場面だろうか。
ペルシアもイスラームのアッバース朝に倒される前のサーサーン朝期まではゾロアスター教が信仰されてきて、ゾロアスター教では遺体が風・土・火・水を穢さないように鳥葬が行われていた。鳥葬の場は山の上に築かれ、現在でもイランのヤズド近郊には沈黙の塔と呼ばれる鳥葬の場が残っている。
現地ガイドのレザー氏は、石の上に遺体を置きました。ワシやタカが食べに来て、1週間たつと、大司祭が来て、残った骨を真ん中の穴に入れました。骨も風化するため、大地を穢しませんという。ということは、ペルシアのゾロアスター教徒は墓はつくらなかったのかな。
しかし、中央アジアでは鳥葬は行われず、オッスアリと呼ばれる骨蔵器に入れられてナウスに収めらていた。それについて詳しくはこちら
ところが、中国に住み着いたソグド人たちは中国化が進んだようで、こんなお堂をつくるようになったようだ。浮彫にも仏教やマニ教由来のものがところどこに見られる。
ただし、『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉』は、中国に移住したソグド人の墓と葬具の形態は中国式であり、 葬具浮彫の内容も、墓主夫妻を画面中央に表す点や、鞍を付けた馬と牛車を表すなど、中国の葬具の図像を継承している。葬具には、被葬者の社会的地位の高さや貴族のような暮らしぶりが様々に示されるとともに、被葬者の霊魂が天国に到達することを願って儀式や魂の行方が表され、中国に移住したソグド人の生活様式や宗教観を認めることができる。しかし、このように葬具を様々な内容の浮彫で飾ることは、6世紀後半の30年ほどの短い間しか行われなかったようである。固原やトゥルファンで発見された7世紀(隋、初唐)のソグド人の墓を見ても、墓の内部を飾る壁画や副葬品には、少しもソグド人らしさが見られない。この変化がどのような理由によるものかは分からないという。
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参考文献
「偉大なるシルクロードの遺産展図録」2005年 株式会社キュレイターズ
「NHKスペシャル 文明の道3 海と陸のシルクロード」 2003年 日本放送協会
「NHKスペシャル 文明の道3 海と陸のシルクロード」 2003年 日本放送協会
「ソグド人と東ユーラシアの文化交渉」 森部豊編 2014年 勉誠出版