これまで沢山の作品を見てきた訳ではないが、徽宗といえば、鳩や樹木を精緻にそして繊細に描いた皇帝と思っていたので、こんなに華やかな絵も描いたのかと驚いた。
牡丹図 伝徽宗筆 元時代・13-14世紀 一幅 絹本著色 147.2X87.9㎝
『よみがえる川崎美術館展図録』は、大画面に、満開の花を咲かせる牡丹を描いた大幅。五色に描き分けられた牡丹は画面を埋め尽くすようにその姿をみせ、花と葉を伸ばす。画面左中ほどには、牡丹の株に囲まれるようにして、丸みを帯びた輪郭線による奇石が描かれている。
狩野探幽の外題、狩野安信と狩野伊川院栄信及び大倉好斎の添状は、北宋の皇帝・徽宗の作品として受容されてきた歴史を伝えるが、現在は元時代の作と考えられているという。
徽宗筆のものではなくても、徽宗の名をかたった全くの贋作というのではなく、これだけ精緻に描いた徽宗あるいは門下の優れた画学生による作品を模したものだろう。
藤田美術館旧蔵伝徽宗筆牡丹図 『よみがえる川崎美術館展図録』より |
また、牡丹に囲まれた奇石は小さいが、「花石綱」は、人々の非難を買った苛酷な政治の最たるものです。宋代の土大夫は、別荘に大きな園林を設け、そこに水をひいて池を掘り、草花や竹や木を植えました。さらに仮山(築山)を築くことで彩りを添え、これによって山水を尚び風雅を愛する文人の興趣を具現しました。
徽宗は、ことに江南の珍しい花や奇石を愛でたので、それらを江南から都に運ばせ皇宮の園林に配しました。その運搬には多くの人手を要したばかりでなく、役人の汚職も加わり、ついに方臘の乱(宣和2年 1120)などの大規模な民衆の蜂起が起こりました(『図説中国文明史7 宋』より)という。
画面右上には、牡丹の花の周囲で蝶や蜂が舞う。牡丹に施された濃密な彩色、花弁に施された細く繊細な花脈、葉の表現など、細部まで丁寧に描き込まれているという。牡丹の花びらに、照隈のような白い輪郭の表現は素晴らしい。
緙絲趙佶木槿花図 下絵徽宗の原作 北宋 25.6X25.7㎝ 少府監文思院内侍造作所製作 遼寧省博物館蔵
『図説中国文明史7 宋』は、象牙色の熟糸のうえに、彩色の横糸で木槿花の一枝を織り込んだもの。下絵に徽宗(趙佶)の作を用いている。これは少府監文思院内侍省造作所が緙絲によって製作したもので、宮廷の逸品であるという。
緙絲はつづれ織りのことだが、染め物のように薄い生地に見える。それくらい細い糸で織られているのだろう。
ムクゲに八重咲きがあるのをこの図で知った。花弁の端はやや薄く着色されてはいる。緑の葉はもっと幅広く柿色に変色しているのでは。色糸に経年による褪色があるのではないだろうか。
八重咲きの木槿花をいらべても、花が咲いている頃に葉が枯れたようなものはない。当初はそれが徽宗が描いた牡丹のように、白っぽい照隈だったのかも。
遼寧省博物館蔵少府監文思院内侍造作所製作緙絲趙佶木槿花図部分 北宋 『中国文明史7 宋』より |
芙蓉錦雞図 北宋 81.5X53.6㎝ 故宮博物院蔵
『図説中国文明史7 宋』は、徽宗の花鳥画は写真性を重んじた。宮中の東北の方角にあたる「艮嶽」と呼ばれる庭園では、鳥や獣の動作をいつも細かく観察していたので、徽宗のえがく花鳥は、みな精緻にして躍動的であるという。
ムクゲの次はフヨウ。ムクゲよりも大きな花という風に記憶している。こんもりと茂った葉叢にポツポツと大きな花が咲く印象があるが、このフヨウはおぼろげで消え入りそう。霧の中から少しだけ見えているところにキンケイが留まり、チョウを狙っている様子。
北京故宮博物院蔵芙蓉錦鶏図 北宋 『中国文明史7 宋』より |
キンケイの白い首回りと長いトサカと尾が、細部まで行き届いた集中力で描かれている。
北京故宮博物院蔵芙蓉錦鶏図部分 北宋 『中国文明史7 宋』より |
これだけ拡大しても芙蓉はぼんやりと描かれていて、花の詳細はわからない。
ところで、徽宗皇帝の作品を初めて見たのは、学生時代に京都国立博物館で開催された国宝展でのことだった。
桃鳩図軸 北宋・大観元年(1107) 絹本着色 28.6×26.0㎝
『世界美術大全集東洋編6 南宋』は、他の徽宗落款のある花枝小禽図と同じく、はたしてこれは北宋時代徽宗朝の作であるかという問題に行き当たる。南宋画院画家の作品に後から款印を入れた可能性もあるし、徽宗筆の原本を南宋時代に模写したものかもしれない。ただ、こうした単純な図様は独創性を問うような絵画ではなく、宮廷画院の中で共通財産として繰り返し描かれたものである。
「桃鳩図軸」は日本においては義満以来、徽宗真筆と信じられてきたのであり、多数請来された南宋絵画から考えて、その基盤を作った徽宗皇帝の作品とするにふさわしい品格を備えている。つまり、日本にある南宋院体画のシンボル的存在として「桃鳩図軸」はあるという。
その頃は世界史に疎く、徽宗が北宋を滅ぼした皇帝だとは知らず、皇帝というものは閑かで品の良い絵を描くものだと思ったのだった。
五色鸚鵡図巻部分 徽宗筆 北宋・12世紀前半 53.3X125.1㎝ ボストン美術館蔵
『世界美術大全集東洋編5』は、画巻のように横長の画面でありながら、画軸のように全画面を一挙に広げて掲げる横披も完成し、鑑賞絵画にかかわるすべての画面形式が整った時期とされるという。
同書は、鉤勒の植物、没骨的な禽鳥からなるという。
輪郭を描いて彩色するのが鉤勒、やはり輪郭線に近い箇所が白っぽい。それを私は勝手に照隈と表現している。
照隈については、人体に用いられることが多く、内側からやわらかく光るように見える白の隈(『ボストン美術館 日本美術の至宝展図録』より)という。
瑞鶴図巻 徽宗筆 北宋 政和2年(1112) 絹本着色 51.0×138.2㎝ 瀋陽市、遼寧省博物館蔵
『図説中国文明史7 宋』は、宮殿の屋根は大小の変化に富み、瑞雲がとり巻き、仙鶴が天翔け、めでたく喜びに満ちあふれた雰囲気がかもし出されている。 これは徽宗がえがいた大都市の情景の一コマであるという。
瑞鶴
『世界美術大全集東洋編6南宋』は、雲鶴文の飛鶴と薛稷・黄筌の六鶴のうち2型を採り、没骨の鶴、鉤勒の宣徳門からなる。
「瑞鶴図巻」の色彩は一段と優美で、瑞兆を象徴する青い空が印象的だが、その空を背景に宮城宣徳門の上を舞う18羽の丹頂鶴は切り絵のように平板で、屋根に止まる2羽の鶴と同じ平面上に貼り付けられているようだ。この図は大きな景観を描いた図にもかかわらず奥行きに乏しく、楼閣山水画としての空間表現よりも花鳥画特有の色彩の配置や構図の妙に長けた画家によって描かれたのであろうという。
徽宗筆の作品には奥行きのあるものは見当たらないが、それにしてもこれはなさ過ぎる。
鴨図 伝徽宗筆 南宋時代・13世紀 一幅 絹本著色 37.8X25.7㎝ 五島美術館蔵
『よみがえる川崎美術館展図録』は、首を曲げて背中に嘴をつっこみ、羽づくろいをする雄の鴨を描く。
本画は、『御物御画目録』「小二幅」に掲載される「鴨徽宗皇帝」の一幅にあたり、足利将軍家所蔵の東山御物として知られる。また、堺の商人・津田宗及(?-1591)『天王寺屋会記』が記す永禄12年(1569)の茶会の際に掛けられた博多屋宗寿所蔵の男鳥を描い幅に相当するとの説もある。画面左下には寧宗朝の宰相である史弥遠(1164-1233)の鑑蔵印「紹勲」(朱文瓢形印)が捺される。
中国宋代において高度に発達した美意識と対象の真奥まで描き出そうとする「写実」の妙技を感じさせる絵画であるという。
五島美術館蔵徽宗筆鴨図部分 『よみがえる川崎美術館展図録』より |
同展図録は、下から上に瞼を閉じ(鴨の瞼は下から上に閉じる)、硬質な嘴を開いて羽を加えこむ迫真的な表現、首や、胸から腹にかけてみられる羽毛の柔らかい描写、風切羽、尾羽など部位による羽の形態の描き分けや陰影表現など、細部にいたるまで神経の行き届いた丁寧な筆致をみせる。白眉は脚の表現で、趾の間の蹼膜(水かき)の質感表現は驚異的である。様々な線に点描も加えて繊細な色彩感覚で描き出された本画には対象への透徹した観察眼とそれを具現化する確かな描写力が看取されるという。
猫が花鳥画の範疇に入るのかわからないが、
猫図軸 伝徽宗筆 北宋・12世紀 絹本着色 22.8X27.2㎝
『世界美術大全集東洋編5』は、もとは画冊の一図かと推測される小幅で、その小さな画面に入念な毛描きによって猫のみを描く。この白猫は額に黒斑をいただき、尻尾は黒く、目は金色に輝いているように見えるなど宮廷愛玩の珍貴な猫と推測され、その華麗な彩色から徽宗筆と伝称されてきたという。
『世界美術大全集東洋編6南宋』は、徽宗は風流天子と呼ばれ、書画の制作から文房具・古器や太湖石の蒐集にいたるまで、さまざまな方面にその奇才を発揮したが、絵画においては崇寧3年(1104)、画学を創設し、親しく詩を試題して、画学生たちの教養を高めるとともに、絵画における詩情表出を目的として積極的に指導したという。
また『図説中国文明史7』は、徽宗は典型的な文人であり、当時名の聞こえた画家であり、また書家でもありました。徽宗の院体花鳥画とその独創的な「痩金体」の書法は、中国の芸術史において高い地位を有しています。宋代の皇帝のなかで、徽宗ほど文化的功績を残したものはいません。
徽宗は、書画芸術の総括と官学の教育体系の設立にも大きく貢献しました。勅命によって『宣和書譜』と『宣和画譜』を編纂させ、200名近くの書家による1200点あまりの書作品、および200名余の画家による6000点あまりの絵画作品を系統的に記録し、中国絵画の考証に重要な役割を果たしました。また、宮廷画家を養成する機関である翰林図画院の規模を拡大し、画家の地位を押し上げ、絵画の創作を奨励して、宋代の芸術を大きく発展させましたという。
これらの作品が徽宗皇帝の真筆ではないにしても、徽宗の作品や描法が、北宋が滅び、南宋、そして元時代にまで受け継がれていったことを示すものである。
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参考文献
「世界美術大全集東洋編6 南宋」 嶋田英誠・中澤富士雄 2000年 小学館
「よみがえる川崎美術館 川崎正藏が守り伝えた美への招待展図録」 2022年 神戸市立博物館
「水墨美術大系第2巻 李唐・馬遠・夏珪」 鈴木敬 1978年 講談社
「図説中国文明史7 宋 成熟する文明」 稲畑耕一郎監修 2006年 創元社
「ボストン美術館 日本美術の至宝展図録」 2012年 NHK