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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2023/01/17

蓮池水禽図

 

前回の藤田美術館蔵刺繍釈迦阿弥陀二尊像には最下段に蓮池水禽図があった。それを見ていて、若い頃に蓮池水禽図には必ず病葉(わくらば)が描かれていることに興味をもったのを思い出した。おそらく博物館の平常陳列か、企画展示で見たので、残念ながら図録はない。
あれこれ古い書物を引っ張り出してきて、少しながら蓮池水禽図に行き当たった。


蓮鷺図 双幅 伝徐崇嗣筆 北宋?元? 絹本墨画 各95.2X43.6㎝ 東京国立博物館蔵
『水墨美術大系第3巻』で海老根聰郎氏は、今日、著色の蓮池水禽図が数点伝わっているが、本図のような水墨のものは珍しい。
落款も印章もない本図は、箱書によれば、北宋の徐崇嗣の作という。徐氏一派にこの種の題材があったことや、没骨の水墨画であることからいえば、この伝承もかなりうがったものと考えられるが、実際はもっと時代の下った、元時代の無名の職業画工による制作と考えられる。
白鷺は外暈で、蓮花や葉は没骨でかかれるが、ともに筆墨のなまな動きを抑制して、文様を彩色するように、丁寧に平面的に墨彩色される。この単調な墨法と、パターン化した景物一つ一つの明確さは、この画に生動感の乏しい固着した印象を与える。すでに南宋時代には、蓮池水禽図の構成や彩色法が定型化したものになっていたことは、遺品からもうかがえるが、本図はその彩色の部分を墨におきかえたところが興味深いところであるという。
古い書物はモノクロームの図版が多いので、着彩されていても水墨画のように見ている。
伝徐崇嗣筆蓮鷺図 『水墨美術大系第3巻 牧谿・玉澗』より

右幅下の隅に病葉が描かれているように見える。

伝徐崇嗣筆蓮鷺図部分 『水墨美術大系第3巻 牧谿・玉澗』より


伝蘿窓筆 元時代・13世紀後半-14世紀後半 掛幅 絹本墨画 102.6X50.7㎝ 大徳寺塔中高桐院蔵
『水墨美術大系第3巻』で海老根聰郎氏は、蓮花に水禽や小魚を配した蓮池水禽というモチーフが画題として取り上げられるのは、古く五代までさかのぼりうるが、北宋以前にまでのぼる遺作はないようである。現存遺品は南宋以後のものであるが、それらが江南地方の職業画工達によって大量にえがかれてきたためか、著色画と水墨画とを問わず、布置構成、著彩法、用墨法に一定のパターンがある。
本図は、おそらく双幅の一方であろうと思われるが、敗荷と蘆に2羽の白鷺を点綴した意匠といい、また白鷺の姿態や蓮葉の描法も、他の蓮池水禽図とさして距離のあるものではない。布置に奥行を暗示するものがなく、景物を平面的に並列したのは、著色画の構成をそのまま借用したためであろう。このように本図は、部分的に使用された粗放な水墨技法にもかかわらず、パターン化された伝統的な方式と密接なつながりがある。ただ蓮の根本に岩石をおき、骨気を導入したのはこの種の作品に例のない新意匠といえる。筆者を蘿窓と伝えるが、水墨の蓮鷺で彼の名を冠したものは他にも例がある。彼の作と定めることは出来ないが、筆技からみて、職業画工の作というより、余技的な画人の作になると思われる。制作期は元時代であろうという。
高桐院蔵蓮鷺図  『水墨美術大系第3巻 牧谿・玉澗』より

若い頃見ていた蓮池水禽図は、元気な蓮の葉に混じって病葉(わくらば)が描かれていて、それが蓮池水禽図の決まりごとだという風な解説があったように思う。
ところが、ここでは、蓮の花は散り、花托には実が熟しているような様子で、蓮の葉も病葉というよりも、季節の終わりに乾燥した縁から粉々になって散っているよう。海老根氏が「敗荷」と呼ぶものである。
高桐院蔵蓮鷺図 病葉部分  『水墨美術大系第3巻 牧谿・玉澗』より


蓮池白鷺図 元・13-14世紀 絹本着色 104.8X55.1㎝ 京都国立博物館蔵
『世界美術大全集東洋編7 元』で宮崎法子氏は、元の画僧たちが、鎌倉時代以後の当時の日本へ与えた影響は少なからぬものがあったと思われる。またそれら日本に伝わった作品がなければ、南宋や元の江南での当時の絵画の層の厚さを、今日知ることはできなかったであろう。そのことは、このような画僧の作品ばかりでなく、名もない職業画家の描いた吉祥の意をもつ一般向けの花鳥画、とくに常州地方で宋代以降、書き継がれていった蓮池水禽図、藻魚図、草虫画などの作品についても、まったく同様である。彼ら民間の職業画家たちは、絹本着色の蓮池水禽図から絹本墨画に至るまで、伝統を継承しつつ新たな絵画の動きや一般の好みを反映して、数々の作品を描いたという。
蓮池水禽図が吉祥の図だったとは。 
京都国立博物館蔵蓮池白鷺図 元・13-14世紀  『世界美術大全集東洋編7 元』より

病葉は葉がしおれたり、枯れたりしているが、シラサギは蓮の葉がどうなろうと意に介せず、ひたすら魚を探している。
京都国立博物館蔵蓮池白鷺図部分 元・13-14世紀  『世界美術大全集東洋編7 元』より


蓮池図 鎌倉時代・13世紀前半 絹本著色 二曲一隻屏風装 180.0X274.4㎝ 法隆寺蔵
 『法隆寺』は、かつては舎利殿内を荘厳していた。舎利殿は、聖徳太子の掌中から出現したとする南無仏舎利を奉安するために、承久元年(1219)に再建された殿堂である。江戸時代中頃に編集された『古今一陽集』の護持仏堂の条に「宮殿の後壁には荷葉に白鷺を描く」とあり、本図がその後壁貼付図であったと考えられている。
また、承久4年(1222)に絵師尊智によって描かれ堂内に掲げられていたとする聖徳太子勝経講讚図と同じ頃に描かれたものと推定されている。
なお中国で制作されたとする説もあるが、日本での制作であれば、蓮池水禽図の最古最優の遺例となるという。
ここに病葉は描かれているのだろうか。
法隆寺蔵蓮池図 鎌倉時代 『法隆寺』より

病葉らしきものは、左隻の蓮茎群の下に描かれた薄茶色のものくらいと拡大して見ると、オシドリのつがいだった。
法隆寺蔵蓮池図部分  『法隆寺』より

では、その右下の葉はどうかな? 古い葉がしおれ始めているように見えなくもないが。
法隆寺蔵蓮池図部分  『法隆寺』より


その後は時代がかなり下がる。

蓮池水禽図 17世紀初か 俵屋宗達筆 伊年印 京都国立博物館 国宝 掛幅 紙本墨画 116.0X50.0㎝
『水墨美術大系第10巻』で山根有三氏は、図中に款記がなく、問題の多い「伊年」印のみが捺されているけれども、画そのものから、これこそ宗達水墨画の傑作として早くより認められた作品である。宗達と伝える水墨画は、現在掛幅になっているものでも、もとは屏風に貼交ぜられていた例が多いが、この図も「伊年」印をもつ他の「蓮花水禽図」と同じ屏風に貼られていたと伝える。しかし確証はなく、またこの図の素地が他に例のない繊維の多い紙なので、当初から一幅として描かれた可能性も考えられる。
ゆったりとして張りのある太い筆致と水墨の微妙な濃淡の調子による花・茎・茎のつけ根・果肉・葉・葉脈の簡潔で的確な表現である。さらに濃墨による鋭い雄しべと精密な羽毛の描写が目をひきつける。また蓮の花や葉、2羽の水禽の布置構成も自由で新鮮であり、とくに全体の静かな奥深い感じ、ほのかに明るくしっとりした雰囲気がすばらしい。これらの背後には、なによりも、宗達の温かな心と鋭い感覚による自然の観察がある。彼は、京都附近の蓮池の夜明けに舟を静かに進めながら、このような光景をしばしばみたのであろう。
ではこの図の制作時期はいつか。これだけの絵に落款がないというのは、宗達が法橋になる以前の作であるのを示す。「伊年」印を捺すのはそのことと関係があろう。それは法橋時代の基準的な水墨画との比較からもいえる。全体の感じの清らかさや墨調の初々しさ、たらしこみの慎重な用い方や濡れ羽根の精密な描き方などから、私はこれを現存する宗達水墨画中、もっとも初期の作品と考えている。最初の作品が代表的な傑作とは不思議だが、遺品の現状ではそうとしかいえない。その時期についてはかつて金銀泥蓮図和歌巻のそれとの関係から、元和初年(1615頃)と推定したことがあるという。
この水禽は小さく首が短いので、カイツブリだと思っていたが、「カイツブリ」は首が白くないので、ハジロカイツブリかな。もっと大きなカルガモではなさそう。
俵屋宗達筆蓮池水禽図  『水墨美術大系第10巻 光悦・宗達・光琳』より

病葉の拡大
俵屋宗達筆蓮池水禽図部分  『水墨美術大系第10巻 光悦・宗達・光琳』より


蓮花水禽図 俵屋宗達筆 伊年印 掛幅 紙本墨画 112.6X45.9㎝
『水墨美術大系第10巻』で山根有三氏は、この「伊年」印をもつ「蓮花水禽図」は、もと「蓮池水禽図」と同じ屏風に貼られていたと伝えるもの。それよりやや保存が悪く、向って右端が約2㎝ほど切られたと思われ、飛ぶ小禽の脚や羽根の一部は紙の破れを補って描いており明らかに補筆である。「蓮池水禽図」の遺品は多く、いずれも「伊年」印をもつのは興味深い。
「蓮花図」は蓮花のみを描く点と、その花の姿と同じものが他の「蓮池水禽図」にみられない点、および宗達と同時代の人の賛がある点で注目される。賛の筆者は妙心寺第131世の輝岳宗暾で、寛永20年(1643)に92歳で没した。彼の「前正法山再住」の時期がわかればこの「蓮花図」の制作期はより明確となろうという。
脚や羽根が補筆であったとしても、この鳥はカモでもなければカイツブリでもない。飛ぶ時にS字に首を曲げる鳥はいるのだろうか。宗達とは思えないへんな鳥図である。
俵屋宗達筆蓮池水禽図  『水墨美術大系第10巻 光悦・宗達・光琳』より

俵屋宗達筆蓮池水禽図部分  『水墨美術大系第10巻 光悦・宗達・光琳』より




参考サイト

参考文献 
「水墨美術大系第3巻 牧谿・玉澗」 戸田禎佑 1978年 講談社
「水墨美術大系第10巻 光悦・宗達・光琳」 山根有二 1978年 講談社