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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2021/07/02

炳霊石林と大寺溝


水位が下がっていたため、劉家峡ダムのかなり奥でモーターボートに乗った。

右手の方は山が続いていた。

モーターボートはかなりのスピードで炳霊寺石窟へと向かって行ったが、安定感はあったので、周囲の岩山などの景色に目を奪われていた。
この岩峰も、切り立った崖には亀裂が見られるので、いつかは崩れてしまうのだろう。

ずーっと高架の道路が続いているように見えるが、平たい岸の途中に崩落した岩の残骸が並んでいるのだった。

やがて尖峰が間近になってきた。

黄河を渡るスタッフ
『中国石窟芸術 炳霊寺』(以下『中国石窟芸術』)は、羊の皮の筏は、地元の人々が黄河を渡るための主な道具で、写真は1963年に炳霊寺調査団のメンバーが筏で黄河を渡っている様子ですという。
劉家峡ダムは1974年に完成したので、これは水が貯まるまでの貴重な写真。
この写真よりは後のことだが、NHKのシルクロード(1980年)という番組で、羊皮筏で黄河を渡るのを見た事がある。一頭分の羊の皮の肢や頭部、尾などを縛って水か入らないようにし、その一つに息を吹き込んで「浮き」にする。昔々から行われてきたのだろうが、遊牧民でもなければ思いつかないのでは😊
黄河を渡るスタッフ 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

炳霊石林
『中国石窟芸術 炳霊寺』(以下『炳霊寺』)は、黄河から大寺溝へ入るところ、峰々は炳霊寺の東側に立つ関所のようなもので、紅砂岩の峰々が浸食されて、「万笏朝天」と呼ばれる、秀麗な黄河石林の景観を形成しているという。
見学した時はモーターボートを降りてからしか写せなかったが、
同書には満水時の湖面から撮影した図版があった。山々はすつきりと見えている。
炳霊寺黄河の浜  『中国石窟芸術 炳霊寺』より

炳霊石林雨霽
同書は、雷雨の後、日が沈むと虹が出てきて壮観という。
炳霊石林雨霽 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

大寺溝と姉妹峰
仏のきた道 中国の仏教文化を探る』(以下『仏のきた道』)途中見える両岸の風景は、一木一草もない岩山が湖面に投影し、洮河が黄河と合流するあたりでは湖の色は翡翠のような濃い緑色を見せる。やがて奇峰、怪岩が林立する小積山に入る。剣の林のような風景の中でひときわ高く聳える姉妹峰と呼ばれる岩を大きく右に曲がると炳霊寺石窟のある大寺溝の谷が見えてくるという。

このような記述では、姉妹峰は大寺溝から離れたところにあるように思われたが、『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟』は、大寺溝の両側にあるこの門のように屹立している2つの峰を姉妹峰という。

炳霊寺は古来シルクロードに入る旅人が必ず渡らなければならない黄河の渡河点として有名であった。長安からのシルクロードは南北二路あったが、長安から渭水に沿って、天水、臨洮を経て、黄河を渡って青海省から祁連山脈を越えて河西回廊に入る路は南ルートであった。その黄河の渡河点にあったのが炳霊寺であった。かつての西秦の都永靖は炳霊寺付近であったといわれ、西秦の乞伏乾帰(きっぷくかんき)は義熙年間(405-18)に渡河点に「飛橋」をつくったといわれ、後代の人が橋の脇に「天下第一橋」と刻んだ石碑を建てたと伝えている。今はその石碑もダムの底に沈んでいるという。
大寺溝を渡る橋はダムで水かさを増した現在はこの位置にある。
炳霊寺大寺溝  『中国石窟芸術 炳霊寺』より

どちらが姉で妹なのだろう。

炳霊寺石窟へと近づくにつれて、大きく立ちはだかってくるのがこの岩峰。先が3つに分かれているこれを仮に姉峰とすると、

こちらを妹峰とすると、妹峰の先端に小さな岩峰が😀

この付近は紅砂岩というが、周囲の峰よりも一段と色鮮やか。

姉峰が迫ってきたところに炳霊寺の山門がある。
くぐって見上げると迫力がある。
かつてクライミングをしていた人が見上げて、「こんな岩を見ると、どうしてもルートを探してしまうなあ」と言っておられた。すご~い🤩

これは現役クライマーの若い添乗員氏。

小積石山丹露地貌
『炳霊寺』は、小積石山は白亜紀に紅砂岩が堆積したもので、地層は砂岩や砂混じりの礫岩で構成されている。砂岩は固結力が弱く、露出した岩は長い年月をかけて風や水に浸食され、そびえ立つ峰や岩壁、渓谷などの丹霞の風景を作り出しているという。
NHKの「シルクロード・美の回廊Ⅱ 微笑みがきた道」では、雪がちらちらと積もるこの山々の上を大寺溝の入口からドローンで撮影していた。この図版の逆方向からだった。
小積石山丹霞地貌 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

水量の多い時の大寺溝
炳霊寺大寺溝 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

1960年代はこんなに荒れ果てていた。
炳霊寺大寺溝 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

1963年の調査の様子
大変な作業だったのだ。私の子供の頃は足場は丸太だった記憶が・・・。日本でこんな石窟があったとして、63年頃だっら、同じようなやり方だったのかなあ🙄
炳霊寺石窟での調査の様子 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

大仏の上方の2つの穴は169窟と172窟。その高さのところで、南の方も人工的に削られているように見える。小さな窟は下の方に並んでいる。何故この高さのところが気になるかというと、
炳霊寺の石窟群 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

『中国石窟芸術』に、1窟がかなり上の方に開鑿されているらしい図版があるからだ。
同書は、1窟は西崖の上にあり、元は西秦時代の如来立像があったが、明代に改造され、菩薩像も付け足された。 
1967年、専門家チームがこの洞窟の彫像を移転した。如来は石胎泥塑であったため、当時の状況では移転することはできなかった。洞窟の調査、地図作成、写真撮影を行った後、劉家峡貯水池に沈められましたという。
上を探してもその痕跡さえわからへんはずやわ😆

また『永靖炳霊寺』によると、1窟は姉妹峰洞窟群の南1kmにあるという。
炳霊寺1窟一仏二菩薩像 1960年代の写真 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

姉妹峰といえば、大寺溝の両側にある岩峰やん。
Google Earth で距離を測ってみると、姉妹峰から対岸までは340mくらいしかないので、南1㎞というのは間違いだろう
1窟については後日

大寺溝の奥

橋から見てもこの程度。

劉家峡ダム方向
姉峰がちょっと見えている。 
姉峰と対岸の山々

光の加減で白っぽくなってしまったが、おかげで鳥の巣が分かった😊


姉峰の右の峰も尖っている。先端がこんな風に残るのが紅砂岩の特徴なのかな。


大寺溝の支流

妹峰の裾を歩いて、その先で橋を渡った。





関連項目
参考文献
「中国石窟 永靖炳霊寺」 甘粛省文物工作所・炳霊寺文物保管所 1989年 文物出版社
「中国石窟芸術 炳霊寺」 甘粛省炳霊寺文物保護研究所編 2015年 江蘇鳳凰美術出版社
「仏のきた道 中国の仏教文化を探る」 鎌田茂雄 1997年 PHP新書
絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟 第169窟 西秦」 主編鄭