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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2021/07/09

炳霊寺石窟 唐代の馬蹄形平面の窟


炳霊寺石窟では、敦煌莫高窟、雲崗石窟、麦積山石窟などの石窟ではみたことのない、両側に双樹の立つという窟があった。そしてその平面は必ず馬蹄形なのだった。
窟内の情報や仏像の計測値などは『中国石窟 永靖炳霊寺』(以下『永靖炳霊寺』)より。
炳霊寺石窟3-14窟 『絲綢之路石窟芸術叢書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

門から近いところに平面馬蹄形の窟が4つ。

4窟 初唐(618-712) 平面馬蹄形、平天井 壁画明代 高さ1.95m、幅2.95m、奥行2.60m
こんなに奥行があったとは、外から見学しただけでは奥行が分からない。

炳霊寺石窟4窟平面図 初唐 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

『永靖炳霊寺』は、方座に善跏趺坐する。壁画は明代重絵された。如来上部には天蓋や雲が描かれ、窟頂には花弁一枚一枚に如来一体が表される。四壁に密教画、菩薩などが描かれるという。

正壁 
炳霊寺石窟4窟正壁 初唐 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

如来倚像 像高1.30m
方座に腰掛けた如来と、西壁(西壁)から南北両壁へと移行する曲面に二弟子像が彫り出されている。
壁画は明代に密教仏画を重絵されたというので、開鑿時は10、11窟と同様に双樹が描かれていた可能性はある。

釈迦如来倚像 像高1.66m
は左手に鉢を持ち右手は膝に置く。高い肉髻、狭い額に弓なりの眉と白毫があり、頸部に三道も彫られている。全体に細身で、脚部や腕もわかるほど密着した着衣は襞もおおらかに刻まれる。
舟形光背天井にまで達し、頭光、身光も描かれる。 

南壁に一脇侍菩薩一天王像 像高1.34m
炳霊寺石窟4窟南壁 初唐 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

天王像は見えなかったが、弟子も脇侍菩薩も細身。
阿難は正面を見つめる。菩薩はこれまで見たことのない雰囲気。 

釈迦如来と迦葉が、明代の密教画に囲まれている。

頭頂部が尖った迦葉像
全体に細身で頭部も小さく表され、初唐期の開鑿と思われる。


9窟 唐代、明代重修 平面馬蹄形平天井 高さ1.17m、幅1.20m、奥行1.20m
『永靖炳霊寺』は、もとは一仏二弟子二菩薩像があったが壊れて、現存するのは明代の舎利塔一座のみ。
窟頂には四飛天、雲、天蓋。正壁には火焔文の頭光、光背、両供養菩薩ならびに二如来坐像、上方に六体の如来坐像が残っているという。
この窟には双樹は描かれていなかったようだ。
双樹はないが、花枝が如来の光背と脇侍菩薩の間や、飛天と天蓋の間などに小さく表されている。
菩薩の容姿から盛唐の頃の開鑿のよう。

10窟 唐代 平面馬蹄形平天井 高さ1.86m、幅1.15m、奥行2.00m
正壁
『永靖炳霊寺』は、もとは正壁に一仏二弟子像(南の弟子が残る)があった。
如来は右手で膝を膝におき、方座に結跏趺坐する。高さは0.90mという。
如来は細身で降魔印。
窟上部には円形の蓮華が描かれており、蓮の花の中には動物がいて、蓮華の周りには4飛天と天蓋及び天花が描かれているという。
動物が何かわからなかったが、花枝を天花というらしい。
正壁には両側に宝木、中央に光背が描かれるという。
宝木としか記されていないが、双樹の下で降魔成道する釈迦を表している。

同書は、南壁と北壁には、それぞれ一菩薩と一天王の彫像があるという。

北壁
菩薩とされているが、頭部が失われた弟子の迦葉像だろう。高さ0.86m。 
千仏がまばらに描かれる。

南壁 
菩薩は高さ0.90m、天王は高さ0.86m。
如来は細身なのに、両者とも豊満な体型で、中晩唐期の特徴を表している。
仏弟子(阿難)の像はなく、菩薩との間には老いた弟子(迦葉)が描かれる。

迦葉の隣には頭光のみが残る。頭光は迦葉のものよりも大きいが、体高は迦葉よりも低いので、如来坐像が安置されていたと思われる。

双樹は菩提樹だったと思うのだが、
菩提樹には見えない。キョウチクトウだろうか。

千仏は整然と並んでいるわけではないが、結跏趺坐した着衣の盛り上がりや衣文線などが丁寧に描かれ、その間に天花が浮かんでいる。



11窟 唐代 平面馬蹄形平天井 高さ1.90m、幅2.25m、奥行1.90m
『永靖炳霊寺』は、正壁に一仏二弟子像、南北両壁にそれぞれ一菩薩と一天王の彫像があったが、北壁の菩薩と南壁の天王は壊れた。
窟頂には中央に14の花、周囲に四飛天が描かれるという。

飛天の姿はよく見えないが、ただその天衣が風に流れる様子で飛天を感じることができる。
炳霊寺石窟11窟天井画 中晩唐期 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

主尊 像高0.99m
偏袒右肩で方座に結跏趺坐し降魔印で上方を向く。
両側に双樹、弟子、菩薩、上方に一菩薩一弟子とその余白に千仏が描かれるという。
双樹とだけ記されているが、どう見ても実をつけたナツメヤシ👀 
他の仏画にナツメヤシが描かれているのを見たことはないが、唐代は進取の気風があった時代といわれているので、西アジアでは生命の樹とされるナツメヤシを敢えて描かせたのかも。

如来坐像
脚部が薄く造られ、細身である。肉髻は先が尖り、前に突起があるという特徴的なもの。


北壁には菩薩と弟子が描かれ、その間に頭光が描かれ、下に凹部があるので、如来立像があったのだろう。


両手を広げた菩薩は顔は丸いが細身。如来も細身なので初唐期(618-712)に開鑿された窟だろう。

南壁
菩薩と消された像

炳霊寺の窟はおおむね小さかったが、12窟より先はもっと小さくなる。

20窟 唐代 平面馬蹄形平天井 高さ1.11m、幅1.08m、奥行1.05m
総高 如来立像0.74m、南弟子残高0.57m(北側の弟子は崩壊)、菩薩0.76m
『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩像が半円の台の上に乗る。龕頂には飛天や飛雲などが描かれ、如来、弟子、菩薩のうえには天蓋、幔幕、瓔珞が描かれるという。

弟子と菩薩の間には各1体の菩薩と千仏が描かれるという。
如来の両側に開花した蓮華が描かれている。


23窟 唐代 平面馬蹄形 敞口龕 高さ1.04m、幅1.04m、奥行1.32m

『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩像。如来は方座に結跏趺坐し両脇侍菩薩は蓮台に立つという。
蔓草のような細い植物が樹木の代わりに描かれていた。
炳霊寺石窟23窟 一仏二弟子二菩薩像 唐代 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

天井には飛雲が立ち込め、その中に化仏も描かれている。そして、如来と両脇侍菩薩の天蓋も同じ色めで彩色されている。
炳霊寺石窟23窟 天井壁画 唐代 『中国石窟 永靖炳霊寺』より


24窟 唐代 平面馬蹄形 高さ1.19m、幅1.42m、奥行0.90m

『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩像で、如来は方座に善跏趺坐(倚坐)する。窟楣の形は23窟と似ていて、同じく尖ったアーチ型の龕楣を持ち、龕の中も一仏二弟子二菩薩像である。本尊は右手を膝の上に置き、左手で鉢を持って腰掛ける。
低い壇には菩薩と弟子たち。二人の弟子は阿難と迦葉。
龕の中には唐代の壁画が保存されているが、岩壁の亀裂により一部が破損している。仏像の背面には団花文、光背の側面と弟子、菩薩の間には蓮華が描かれるという。
炳霊寺石窟24窟 一仏二弟子二菩薩像 唐代 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

天井には仏・菩薩の天蓋、中央には巻雲文が描かれているという。
やはり細い蔓草が双樹の代わりに描かれているが、蔓が分かれてその先端に蓮華が開き、その上に化仏が坐している。
釈迦の天蓋は円形で、リボン状のものが等間隔で下がっていて、今までにないものだ。
炳霊寺石窟24窟 壁画及び天井画 唐代 『中国石窟 永靖炳霊寺』より


27窟 唐代 平面馬蹄形 高さ1.78m、幅1.38m、奥行0.80m『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩像。
如来は方座に善跏趺坐(倚坐)する。窟頂には天蓋、飛雲、千仏などが描かれるという。

『永靖炳霊寺』は、24窟と形も内容も同じで、壁には火焔や団花文が描かれ、像の間に化仏が描かれているという。
炳霊寺石窟27窟 一仏二弟子二菩薩像 唐代 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

天井には仏陀と二菩薩の天蓋が描かれ、釈迦の天蓋の周りには流れるような雲が描かれている。白地に石緑を基調としていて、唐代の壁画の典型的な様式であるという。
24窟に描かれた天蓋よりも華やかで、やはりリボンが付いている。
炳霊寺石窟27窟 天井壁画 唐代 『中国石窟 永靖炳霊寺』より


28窟 唐代 平面馬蹄形 高さ1.32m、幅1.43m、奥行1.15m
『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩像。窟頂中心に飛雲が描かれているという。
両端に二天も見える。
幸いなことに図版があった😊
黒く変色してしまったが、窟頂の大胆な絵は、天蓋とそこから湧き上がる飛雲。一仏二弟子二菩薩像では、他の窟は二弟子には天蓋はないが、本窟では二弟子にも天蓋がある。
光背も黒っぽいし、蔓草のような双樹は茎だけが赤い。
炳霊寺石窟28窟内部 唐代 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

菩薩及び天王像
二天のうち南壁のものは、左手で宝塔を持っているので多聞天だ。北壁は増長天(『永靖炳霊寺』より)で、二天はそれぞれ2人の邪鬼を踏みつけているが、邪鬼に苦しそうな表情は見られない。
炳霊寺石窟28窟 菩薩及び天王像 唐代 『中国石窟 永靖炳霊寺』より


29窟 平面馬蹄形 高さ1.32m、幅1.43m、奥行1.15m
『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩二天王像。
如来は方座に善跏趺坐し、左手に鉢を持ち、右手は右膝におくという。

唐代 平面馬蹄形 高さ1.32m、幅1.40m、奥行1.61m
一仏二弟子二菩薩二天王像と如来の両側の繊細な樹木、そして天井の長く尾を引く飛雲は見える。

本窟の樹木は、蔓草というよりは、細い枝に密に葉がでている。
炳霊寺石窟29窟内部 盛唐 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

二天は窟外両側に浮彫される。邪鬼ではなく、動物のようなものを踏みつけている。
窟外には長方形の浅い龕に二天が浮彫される。右側の天王は右手を挙げ、左側の天王は右手で長剣を持ち、人間体に動物または怪獣の顔をした邪鬼を踏んでいるという。
右側の天王はあげた右手に丸いものを掴んでいるが宝塔ではない。邪鬼も天王も丸顔。
左側の天王は剣を持っているので持国天。邪鬼が左前肢で持国天の足を支えているのが面白い。


46窟 唐代、西夏補像 平面馬蹄形平天井 高さ0.93m、幅0.92m、奥行0.45m
『永靖炳霊寺』は、元は石彫の一仏二菩薩像があったが、現在では左脇侍菩薩のみが残る。左手で浄瓶を提げ、右手は蓮茎を持って立つ。
現在は中央に西夏時代(1038-1227)の塑像があった。
頭光、身光の他、樹木や蓮華が描かれているという。
現在は西夏時代(1038-1227)の如来は像はないので、の頭光と挙身光及び光背と脇侍菩薩の間に植物文様が描かれていたのがかろうじて見える。
壁画部分を補正してもどんな植物が描かれているのか分からないが、頭光が平天井にまでわたって描かれているので、円になっていない。それが82窟の頭光に似ているのが気になった。
82窟については後日
若い樹木が描かれていたみたい。


菩薩立像 高さ0.74m
高い髻

61窟 唐代 平面馬蹄形平天井 高さ1.30m 幅1.42m奥行1.10m
平面図

『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩で、皆半円の台に立つ。如来は右手で鉢を持ち、左手はおろして大衣を掴む。
北壁の菩薩は右手で蓮華の茎を持ち、左手浄瓶を提げる。南壁の菩薩はは胸前で手を合わせる。如来の光背両側には、山石、樹木、上空にそれぞれ一羽の鳥。北面には男性供養者5名、南面には女性供養者5名が描かれるという。
如来は珍しく立像で、両側の双樹は限りなく細い。目を凝らすと樹木は岩山のようなところに生えている。その下に供養者が描かれているのも珍しい。
唐代の阿難は、あまり若く表されないのも特徴かも知れない。
天井には二飛天、釈迦、弟子、菩薩の天蓋が描かれるという。
炳霊寺石窟61窟 一仏二弟子二菩薩像 唐代 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

北側面図


87窟 唐代、明代重絵 平面馬蹄形 高さ1.17m、幅1.00m、奥行0.57m

『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩像、如来は方座に善跏趺坐(倚坐)する。壁面には千仏や枝蔓が描かれ、天井には牡丹などの枝が描かれるという。
仏画の中に牡丹が描かれるのは珍しい。
炳霊寺石窟87窟一仏二弟子二菩薩像 唐代 『中国石窟 永靖炳霊寺』より


88窟 盛唐 平面長方形平天井 高さ1.78m、幅1.18m、奥行0.66m
『永靖炳霊寺』は、87窟の上にあり、この付近の龕では最大で、壁画がよく残り、芸術性
が高い。
一仏二弟子二菩薩像の背後、光背などはすべて花と火焔が、窟頂は花や飛雲が描かれる。赤・緑、代赭の3色で、唐王朝全盛期の芸術様式を反映した豪華なものであるという。
全体に緑色が目立つ。
炳霊寺石窟88窟一仏二弟子二菩薩像 盛唐 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

窟頂の天蓋は、左右対称に描かれた蔓草で、その中に開花した牡丹が描かれて、牡丹唐草と呼んでも良いような完成度である。
炳霊寺石窟88窟窟頂天蓋 盛唐 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

平面馬蹄形で双樹や蔓草や花枝といつた植物が描かれるのは唐代だけだろうか。




関連項目

参考文献
「中国石窟 永靖炳霊寺」 
「中国石窟芸術 炳霊寺」 甘粛省炳霊寺文物保護研究所編 2015年 江蘇鳳凰美術出版社
「仏のきた道 中国の仏教文化を探る」 鎌田茂雄 1997年 PHP新書
「絲綢之路石窟芸術叢書 炳霊寺石窟第169窟 西秦」 鄭炳林主編 2021年 安徽美術出版社 装丁もおしゃれ🤗