隋時代(581-618年)、敦煌莫高窟には多くの石窟が開かれ、その多くの窟頂は、法隆寺金堂天蓋外側によく似た2列の小札形垂幕と三角形垂幕の組合せで窟頂周辺が装飾されている。
第403窟は、小札形は1列、円花文のように描かれているだけである。また藻井部は中央の蓮華の周囲は唐草文が取り囲んでいる。


また、380窟で現れたラテルネンデッケは再びなくなるが、その痕跡のように四方に蓮華の1/4が表されている。


では、隋時代の図様がどのようにして日本に伝わったのだろうか。この天蓋の制作時期について、『法隆寺展』図録「黎明期法隆寺の美術」で鷲塚泰光氏は、これら天蓋の製作時期を示す資料はないがこれだけ大掛かりなものであり、当然金堂再建後に製作されたと考えるのが素直であり、しかも総体に古様を示すところから、一早く再建された金堂が天武・持統期(680年代頃)に完成していたとすればその頃に当てるのが妥当であるという。
680年代といえば中国では初唐にあたるが、すでに初唐では法隆寺金堂天蓋のような図様は見られない。ということは、隋時代に、どこかで作られたものと同一の図様が西に伝えられて敦煌莫高窟第407窟の窟頂に描かれ、東へ伝えられて法隆寺金堂天蓋に表されたとみてよいのではないだろうか。
それはあるいは朝鮮半島を経由して伝えられたのかも知れないが、その点については私の持っている書物からは知り得ない。
ひょっとすると、遣隋使によって直接もたらされた厨子のようなものに同一の図様が表されていて、それが、法隆寺金堂再建時にはまだ存在していて、そっくりそのまま法隆寺金堂天蓋に写されたということが全くないとは言えないのではないだろうか。
関連項目
天井の蓮華
※参考文献
「中国石窟 敦煌莫高窟2・3」敦煌文物研究所 1999年 文物出版社
「法隆寺展図録」1996年 奈良国立博物館