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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2020/04/10

仏像 中国・日本展 南宋の仏たち


泉涌寺の観音菩薩坐像(楊貴妃観音)は南宋時代の作で、日本の僧が数体の仏像を持ち帰った内の1体だった。

同展では、南宋時代の仏像が数点展示されていた。
同展図録は、たとえば随や唐時代には、遣隋使・遣唐使共に帝都へ向かい、空海をはじめとする入唐僧は長安や仏教の聖地より様々な品を請来している。一方、南宋時代にはもっぱら当時の中国の玄関である沿岸都市・寧波(浙江省・寧波)や南宋の帝都・臨安府(浙江省杭州)より請来しており、南宋仏像といってもそれが寧波の地域様式を示しているのか、あるいは南宋全体に波及する時代様式となり得ていたかについては今後の検討課題といえる。ただ漠然とではあるが、南宋時代以降は時代様式よりも穏やかな地域様式が大きな存在であり、それはかなり長い期間、王朝の交代を経てもなお残存した可能性が高いと感じているという。

観音菩薩坐像 13世紀 木造 像高61.8㎝ 神奈川・清雲寺蔵
同展図録は、鼻筋が通って若々しく、細面で切れ長の目が特徴であり、やや頬が膨らみ引きしまった口元に微笑みを浮かべる観音菩薩坐像。右膝を立てどっしりと腰掛け、左手をつき左足はそのまま垂下させ、やや首を傾け遙か下方に視線を落としている。腹部にみられる渦巻き状の装飾的な衣文は、泉涌寺の観音菩薩坐像と同様な表現であるという。
着衣の衣褶線の少ない仏像で、ゆったりと寛いでいる。中国ではどのようなところに安置されていた、あるいは安置するために造られたのだろう。
しかしながら両像の面貌から受ける印象は大きく異なっているのもまた事実であるという。
共通しているのは面長であることと前髪の表現くらいだろうか。
側面からみると、小ぶりな頭部に対し体部はかなりのボリュームがあり、あまり衣文が施されていないことがわかる。また、頭頂が、かなり大型の宝冠を戴くことを想定した構造となっている点は日本の仏像との大きな相違であるという。
楊貴妃観音の頭部は、高い髷が曲線の頭頂部にのっているが、こちらの頭頂部はスパッと切ったように平らである。

観音菩薩坐像 13世紀 木造 像高62.8㎝ 京都・仁和寺蔵
同展図録は、静謐な表情を浮かべる、頭部が卵形を呈した観音菩薩坐像。高く前に盛り上がる髻(束ねた髪)をすっぽり衣で覆ういわゆる白衣観音のすがたで、繊細な胸飾りが印象的な仏師の美意識を感じさせる仏像である。腹部の楕円形をした衣文は、観音菩薩坐像にみられる渦巻き状衣文に通じる特徴といえるだろうか。また両肩から前に垂れる衣の端が茸形に巻き込まれ装飾的であるが、両脚部の衣文はあっさりとシンプルで強弱のついた衣文表現となっているという。
額から髷の間に円弧状の線が刻まれているのが気になる。
正面観の優美さを誇る本像であるが、側面からみると背面がほぼ平らであり、体部に対し頭部がかなり前に位置し、腹部の厚みに対し脚部がやや小さいなどバランスのとれた体つきではないことがわかる。つまり側面から拝されることを考慮しない造形であって、同時期の日本の仏教と大きく異なる感覚を示すが、これが中国的合理主義というものだろうか。仁和寺に所蔵されるが、近代に寄進された像で、それ以前の伝来については明らかではないという。

なお、泉涌寺からは、楊貴妃観音の他に韋駄天立像と月蓋長者立像が出品されていた。

韋駄天立像 南宋時代・13世紀 木造 像高80.6㎝ 舎利殿蔵
同展図録は、細面の鼻筋が通った若々しい面貌で、豪奢な甲冑を身にまといやや左足を前に出し合掌する韋駄天立像。韋駄天は伽藍を護る護法神として、日本には主に禅宗の到来とともに伝えられた。韋駄天の名は、仏舎利なかでも仏牙(歯)が盗まれた際に走って追いかけ取り戻したという俊足の通説とそれに由来する「韋駄天走り」により広く知られており、泉涌寺では湛海が請来した仏牙舎利を奉安する舎利殿に安置されているという。
ベルトを噛む獅子は威嚇的ではない。
胴部や袖先の着衣は胡粉が残っている程度で、文様がわからないのが残念。腰前に貴石などを金属線で繋いだ装飾が見られるのも珍しい。
花のような模様が裳裾に金泥で描かれている。金箔はみられない。

月蓋長者立像 南宋時代・13世紀 木造 像高69.5㎝ 舎利殿蔵
同展図録は、顔をやや左に振り口をきつく結び、士大夫のような袖の長い衣を着け合掌する月蓋長者立像。月蓋長者立像とは釈迦在世中のインドの裕福な長者のことである。
元時代の「普陀山聖教図」(長野・定勝寺)には、上方中央に大きな円相内の観音菩薩、その左に善財童子、そして右には月蓋長者が描かれており、こうした組み合わせの三尊像が普陀山観音信仰のもとで形成させたのであろう。本像も、観音菩薩坐像の脇侍として、現在は失われた善財童子と三体セットで請来されたと考えられているという。
やはり面長。泉涌寺のホームページでは、観音堂ではなく舎利殿に安置されている。
善財童子像がなくなって残念。同じく13世紀に快慶がつくった善財童子像(桜井市安倍文殊院蔵)と比べてみたかった。 
わずかに着衣の文様が残っている。金泥で描かれたものが、植物文様なのかどうかさえわからないが。
側面より見た長者立像は前に傾いている。その傾き方は大同(北魏前半の都平城)の下華厳寺(遼代創建)で目にした菩薩立像群に似ている気がするが、菩薩立像群は身を反らせてやっとバランスをとっているようなやや危なかしい表現なので、長者立像の方が安定感がある。

仏像 中国・日本展 見られなかった楊貴妃観音

関連項目
下華厳寺は遼時代創建のまま

参考サイト
泉涌寺のホームページ観音堂舎利殿

参考文献
「仏像 中国・日本展図録」 2019年 大阪市立美術館