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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/04/28

マスジェデ・ジャーメ ゴンバデ・ハーキ


マスジェデ・ジャーメの説明板によると、セルジューク朝スルタン、マリク・シャーの宰相ニザム・アル・ムルクが南の大ドームを建造した後、そのライバル、タジ・アル・ムルクが、この北ドームを建立したという。

ドームには金箔で文様を表しているのではと思うような装飾があり、16枚の花弁がドームを支えているように見える。
ドームの5点星には、それぞれ平行する組紐の線があるために、もっと込み入った幾何学文のように見える。
それにしても、なぜこんなに金色に光っているように見えるのだろう。ドーム下部の四方にある明かり取り窓から入り込む光を計算に入れて、煉瓦に凹凸をつけたのだろうか。きっと晴れた日でなければ見えないだろう。

『ペルシア建築』は、審美的な観点からすれば、この大モスクにおける最も重要な区画は、通称「ゴンバデ・ハーキ」と呼ばれる北端のドームであろう。規模こそ小さいとはいえ質的にすこぶる秀逸なこのドームは、中軸線上で主礼拝室のちょうど正反対に当たる位置にあり、1088年の銘を持つ。おそらくこれは現存する最も完全なドームと言えよう。その荘重にして、しかも人の心を捉えてやまぬ力は、規模の問題(高さ19.8m、直径10.7m)ではなく、意匠の問題である。あらゆる構成要素が入念に吟味し尽くされ、さながら完璧な一篇の詩のごとく、非のうちどころのない統一体に仕上げられているのである。構造的力学的な面からみても、その形態は数学でいう理想ドームの諸要件を充たすもので、正確さたるや、あと一歩でまさに理想ドームの複製になるというぎりぎりの限界まで達しているのである。まず、ドームの基部に注目すると、四隅には、それぞれ細い付柱によって枠どりされた幅の狭いアーチ状のニッチが4つずつ並び、これらがスクインチの下方へ向う延長部を形づくっている。一方、床面の高さからも円形断面の付柱が立ち上がっており、それらは人の眼を素速く上方へ誘って典型的三葉スクインチへと導く。スクインチそれ自体はおのおの大きなアーチによって囲まれており、各壁面内に位置する同大のアーチと連繋して、正八角形のリングを支え上げる。リングの上には16個の浅いパネルが並び、次に、それらがドームの円形プランへと融合してゆくという。
深見奈緒子氏のイスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様(1996年)は、基部は4面に3つのアーチ(小、大、小のスパン)を有し、移行部はスクインチ・アーチによって正八角形を導き、つづいて各々の肩からたちあがるアーチで正16角形へと移行し、ドーム部は円形のインスクリプション・バンド上に5点星文様のドームを導くという。
その1壁面に小大小と並ぶアーチという写真を撮っていなかった(肝心なものはいつも忘れる)。

また、三葉スキンチとはこの部位のことで、南大ドームを支える四隅にあり、壁面の正方形からドームの円形に近づけるために八角形を導くためのものである。
ニザム・アル・ムルクが先行して建造した南ドームの三葉スキンチは、その中に造られた両脇のムカルナスと中央の隣接するムカルナスがそれぞれ長目なので、その下の4つの小壁龕とのバランスがやや悪かったし、小壁龕も内側と外側では形や幅が違っていたが、このゴンバディ・ハーキでは、浅いイーワーンにも見える4つの小壁龕の形が揃っていて、その上に安定した形のムカルナスが載っていて、完成の域に達している。

『ペルシア建築』は、アーチの形は、ドームの輪郭をも含めて、すべて相似的な曲線から成り、キー・エレメントあるいはキー・モチーフといった役割を担う。こうしたアーチ曲線は、四隅の部分から始まって、段階的な包括性を発揮しつつ、壁面意匠の構成要素を順次に囲み込む。そして最終的には、その多重的な総体がドームの中へ溶け込んでゆくー複合的な上昇運動の必然的な帰結がこれである。ドームは、したがって、垂直上昇的な力の流れにおける究極の到達点に他ならぬ。同一形態のこうした順当かつ論理的な反復が、かくも精緻に徹底された結果、この空間に、緊密にして完全なる一体性がもたらされているのであり、また、その一体性こそが、この空間をペルシア建築における最も感動的な例の一つとしているのである。こうしたシングル・シェル(単一殻)のドームが地震国においてほぼ900年間、ひび割れ一つなしに生き残ってきたという事実が、その「精妙なる数字と無欠なる構造力学」の証明となろうという。
同書は、ドームの内面を見ると、装飾として、浅いレリーフのように浮き出た一つの大きなシンクフォイル(五弁文様)が施されている。文様の主体部分は5頂点の星形であるとみなしてよい。周辺部には、ちょど円周を5等分する位置に、それぞれ頂点を内側へ向けた二等辺三角形が並んでいる。簡素ではあるが、これは気品をそなえた美しい文様で、この建物の頂部を飾る冠-正方形プランが遷り変ってドームへと融合してゆく全過程の最終的勝利を表す栄冠-として、まことに適切なものと言えようという。
ドーム移行部から床面まで(北東隅)。
四隅のスキンチで八角形となった移行部を、細長い付柱が2本ずつ支えている。

イスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様は、イル・ハーン朝期以来、大モスクの北部に取り込まれてしまったが、本来は独立建築であったらしい。とはいえ、建立当初には北側(反キブラ方向)だけは背後の建築と繋がっていたという説もある。現状では、南側と東側のアーチは開口し、西側と北側は後補の壁面によって閉じられている。外観の垂直方向の構成(東立面の南立面)は、内観とほぼ一致し、移行部だけは8角筒となるという。
平面図(『GANJNAMEH7』より)に、四隅のスキンチで八角形となっていることが確認できる。

イスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様は、煉瓦造のこの建築では、大部分の壁面仕上げを矩形の煉瓦と数種の浮彫テラコッタ製のプラグから構成している。そのなかにあって、矩形煉瓦を用いずに、異形煉瓦と複雑なテラコッタを用いる特殊な部位がある。内観では、基部のアーチ・スパンドレルとアーチ・タンパンで、他にドーム下部と基部上部に帯状の部分がある。これら念入りなテラコッタ装飾は、インスクリプションの近くに配され、両者が一体となって装飾的強調完遂している。
内観では装飾文様の全てが現存しているという。
しかしながら、せっかく見学したというのに、その貴重な部位をほとんど写しておらず、写していてもピンボケなのだった。
しかも小大小の3つのアーチの写真はない。東面のアーチ2つだけだった。

異形煉瓦と複雑なテラコッタがどれだけ写せただろう。

イスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様は、両脇のアーチ・スパンドレルでは、隣合う隅部が同じ文様をとることが指摘できる。中央に比すと浮彫テラコッタはプラグだけで、異形煉瓦を主体とする比較的単純な装飾である。文様に着目すれば、南西隅と南東隅では四角形から派生した文様、北西隅と北東隅では三角形から派生した文様をとり、南側(キブラ側)と北側(反キブラ側)の区分ができる。
アーチ・タンパンは先の両脇アーチ部分だけ、計8ヵ所にあり、基部の8ヵ所のインスクリプションの上部にあたる。7種類の文様が用いられ、共通する文様は、東面南と南面西にあるという。
スパンドレルは平面だが、タンパンは両端が僅かに曲面になっている。
せっかくなので、部分的にしか写っていない物、ピンボケのものなども記載した。

北東隅-東面北と北面東
スパンドレルは、上下反転する凸状の三菱文で、凹面に6点星ができる。
東面北のアーチ・スパンドレルとアーチ・タンパン
タンパンは、一見凸状の十字形の間に凹面の8点星が入り込んでいるようだが、十字形の枝がそれぞれに大きさや形が異なっているために、凹面の形も様々なものができている。
イスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様は、8点星を基本とする文様は四角形から派生した文様に属するという。
北面東のアーチ・スパンドレルとアーチ・タンパン(部分)
タンパンは、凸状の組紐が、凹面に七角形を含め、複雑な幾何学文を編み出している。
イスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様は、6点星を基本とする組紐紋で、6点星周囲に6角形を配する文様の上半分を用いる。難易度の高いダイナミックな文様であるという。

北西隅-北面西と西面北
スパンドレルは、間隔を開けて上下交互に並んだ凸状の三角形に囲まれた凹面が六角形となる。
北面西のアーチ・スパンドレルとアーチ・タンパン
タンパンは、八角形・六角形・6点星などイスラーム美術で見慣れた幾何学文だけでなく、不思議な形のものがある。その中には植物文様が表されている。
イスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様は、6点星を基本とする組紐紋で、6点星を中央に配し、難易度の高いダイナミックな文様であるという。
西面北のアーチ・スパンドレルとアーチ・タンパン
このタンパンが最も細かく、凸状のロセッタ(変形六角形)10個で凹面に10点星ができる。10点星の周りには凸状の変形四角形に囲まれた凹面の5点星などがある。しかし、見上げると、様々な花が咲き競っているよう。
イスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様は、細かな10点星反復紋では、基本的な構成をみれば、対角72度108度の菱形の反復であるという。

南西隅-西面南とと南面西
アーチ・スパンドレルは、縦横に並ぶ凸状の菱形に囲まれた凹面が斜め4点星となる。
西面南のアーチ・スパンドレルとアーチ・タンパン
タンパンは、凸状の幅広のロセッタに囲まれた凹面の変形6点星が、縦に並ぶ列と横に並ぶ列を交互に配している。凹面には植物文様なのか、そうではないような文様が鏤められている。
イスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様は、菱形を基本とする文様は四角形から派生した文様に属するという。
南面西のアーチ・スパンドレルとアーチ・タンパン
タンパンは、凸状の菱形が3つで六角形となり、その六角形6つで凹面に6点星ができる。
この部屋のアーチ・タンパンはそれぞれに異なった文様だが、イスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様このタンパンだけが東面南と同じ。正三角形から派生する文様を編歪したものであるという。
凹面には小さなタイルが敷き詰められている。

南東隅-南面東のみ
アーチ・タンパンは、イスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様は、中央正5角形の5頂点角それぞれ10点星を配する。5角形は古来、王権を意味するといわれ、大ドーム内の5点星のリブとも通じる意匠ではないだろうかという。
東面南のアーチ・スパンドレルとアーチ・タンパン
スパンドレルには、縦横上下交互に並ぶ凸状の菱形の間に、傾きのある凹面の正方形ができる。
タンパンは、凸状の菱形が3つで六角形となり、その六角形6つで凹面に6点星ができる。東面南と同じ。

以上のように、アーチ・タンパンの異形煉瓦は凸状のもの、複雑なテラコッタは凹面の白っぽいなかに植物文様や小さな文様が表されているものだった。
また、四面中央の大スパンのスパンドレルは、ほとんど写していない上に、あっても文様のわかるものがなかった。イスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様は、中央の4ヵ所は、みな浮彫テラコッタを多用し、正6角形を基本とする組紐紋である。各面の特色は、北面が基本形となり、東面ではその近似形を15度振り、西面では正6角形が現れ、南面では6点星が現れるという。
何故基部上方をしっかりと写していないのかというと、やはり、ゴンバディ・ハーキと言えば、どの文献にも美しいドームの図版が記載されているので、ドームと移行部に関心があったからというのが第一である。
ドームから段々と下の壁面へとレンズを向けていくと、タンパン状のところにも、その下の壁面にも、様々な煉瓦装飾が施されていることに気付いたが、暗くてピントが合っていなかったのだ。

マスジェデ・ジャーメ 北礼拝室のドーミカル・ヴォールト
             →マスジェデ・ジャーメ チャハール・イーワーン

関連項目
スキンチ部分のムカルナスの発展
マスジェデ・ジャーメ3 北翼

参考サイト
金沢大学学術情報リポジトリより 
深見奈緒子氏のイスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様 1996年
深見奈緒子氏のヴォールティングの諸形態 1998年

※参考文献
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「GANJNAMEH7 CONREGATIONAL MOSQUES」 1999年