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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/09/06

始皇帝と大兵馬俑展2 青銅器で秦の発展を知る


では何故今回の兵馬俑展を見に出かけたかというと、2002年に現地で見た銅車馬をもう一度見たいと思ったからだった。
今回の「始皇帝と大兵馬俑展」は図録に、秦も、もともとは西方の甘粛省にある山あいで農耕と牧畜を営む小さな勢力に過ぎなかった。前9世紀の西周時代にようやく歴史の表舞台に登場してきた小国・秦が、約700年間を経て競合する国々との争いを勝ち抜き、中国で初めての統一帝国を築き上げるとともに、周王朝の古い支配体制に終止符を打つことになったというように、秦が周辺の国の技術を自分の物としながら徐々に力を付けていく。それがよく伝わってきた。

秦公鍾 似て非なるふたつの鍾 
青銅 高47.0幅26.4奥行16.0 春秋時代(前8-前5世紀) 宝鶏市陳倉区楊家溝太公廟村出土 宝鶏青銅器博物院蔵
『中国文明史4秦漢』は、平陽城遺跡で青銅製礼器をおさめた穴蔵が発見された。それらの礼器は秦が遷都するときに大切にしまわれたもので、秦の武公が国家の祭祀の大典で用いた楽器であるという。
そして、胴部の突起の間の2段の文様帯は鳥文、下端の左右対称のものは変形捲龍文としている。南宮乎鍾の2段の文様帯は浅い蟠螭文だったのが、秦公鍾ではくっきりと浮き出た鳥文に変化している。
『始皇帝と大兵馬俑展図録』は、銘文の大意は、秦の君主が「天命を受けて建国した先祖歴代の功績を讃美し、この鐘を祭祀に用いることで、先祖の加護の、領土が拡大するよう祈念するものである。
しかも、秦公鍾は銘文に「天命」(神の命令)という語句を使っている。これはかつて西周が殷(商)を討ち、かわりに王権を握った際に使用した、みずからの権力を正当化させるための特別な根拠であった。秦公鍾の形と銘文の用語に、秦の権力が西周王朝から受け継いだものであるという主張がかいま見えるという。

鼎 南方の雄・楚の青銅器 
青銅 総高29.9幅29.3奥行31.0 戦国時代(前4-前3世紀) 山陽県鵑嶺7号墓出土 商洛市博物館蔵
同書は、3本の足に一対の把手(耳)をともなう鼎で、古代中国の祭祀儀礼に用いる青銅器各種のなかで、最も重要なものとされた。おもに肉、魚などを料理して供えた。
細長い三足は全体が蹄をもつ動物の足のようであるが、基部に動物の顔を飾る。文様は身・蓋とも蟠螭文という小型の龍に似た動物が連なるものをおもに飾る。これに近似する鼎が湖北省江陵県馬山1号墓、同県雨台山391号墓など戦国中期の楚墓から出土しているという。
鼎とはいえ、西周時代後期(前9-8世紀)のとはかなり形が異なるが、戦国時代(前5-4世紀)のに似ている。

釜・甑 秦も認めた巴蜀の蒸し器
青銅器 総高34.8 釜:腹径23.6 甑:口径25.8 戦国-秦時代(前3世紀) 西安市雁塔区潘家荘世家星城181号墓出土 西安博物院蔵
同書は、縄目のついた環状の把手は、四川省東部一帯で栄えた巴蜀文化の青銅器がもつ最大の特徴である。巴蜀では、無文で薄手ながら実用に適した青銅器が発達した。前316年に巴蜀を滅ぼした後は、その実用的な青銅器を積極的に取り入れたという。
厚手の青銅器を見てきたら、突然薄手の器が現れた。こういう薄手の青銅器製作を取り込むことが、銅車馬の傘などを超薄手に造る技術へと繋がったのかも。

「工ちょう(竹冠に周)」鼎 亡国の祭器の行方
青銅 総高16.5口径18.0 戦国時代(前313年) 鳳翔県高荘村1号墓出土 陝西省考古研究院蔵
同書は、胴部には突線がめぐる。表面には文様はないが、胴部、底部、蓋の3ヵ所に銘文をもつ。
銘文の内容や字体などから、この鼎は中山国のものであったことが知られる。中山国は戦国時代に現在の河北省中部を領有した国で、第5代君主のさく(興の下に昔)のときに全盛期を迎え、初めて王号を用いた。さくの死後、中山国は衰退し、前296年には趙の攻撃を受けて滅亡する。この鼎は戦利品として趙へと流れ、さらに趙を滅ぼした秦へと流れていったのであろう。蓋上の銘文は秦の手に渡った後で書き加えられたものである。秦は滅亡した他国の青銅器を入手して、再利用したり銘文を改変することがあったという。
『図説中国文明史4』は、秦の銅精錬業は、おもに兵器の生産に用いられていました。これは秦の人たちの実際的な仕事を重んじる精神からくるもので、礼器を少なくすれば青銅を節約でき、その分を兵器の鋳造にまわし、戦争による需要に対処しましたというが、その証拠のような鼎である。

方壺 スタンプだらけの文様
青銅 総高45.0幅23.0 戦国時代(前5-前3世紀) 西安市雁塔区三爻村出土 西安博物院蔵
『始皇帝と大兵馬俑展図録』は、身は頚部に縦長三角形の文様帯を、胴部から高台にかけて4本の横方向の文様帯に区画する。文様帯には、螭という龍に似た架空の動物が絡み合う姿を基調とする文様「蟠螭文」を充填するという。
青銅器の地が突然装飾的になった。
本作の蟠螭文は抽象化が相当進み、螭は原形をとどめず、羽のような形状に変わっている。蟠螭文は同じ図案の単位が連続している。このことから、この文様単位を彫り込んだスタンプ状の施文工具の存在がうかがい知れるという。 
この方壺の解説を読まずにその文様を見ると、根津美術館の「中国の古鏡展」で見た羽状獣文に近い。それで制作時期を戦国時代と判定したのに蟠螭文とは。

盉(か) 鳥や獣が合体してできた容器
青銅 総高25.5腹径21.1 戦国時代(前3世紀) 西安市長安区茅坡村郵電学院34号墓出土 西安博物院蔵
『始皇帝と大兵馬俑展図録』は、注口は鳥の頭部をかたどり、反対側には尾羽状の装飾をつける。やや潰れた球状の器体はこの鳥の胴体に相当し、羽状文帯を上下3段にわたってめぐらす。三足の基部は怪獣が這い上がる姿を、吊り手は胴の長い虎のような動物をそれぞれかたどる。
黄河中流域(中原)や長江中・下流域では同様の盉が春秋時代に出現している。春秋時代の秦では、平板な円形の器体をもつ西周時代以来の伝統的な型式のものが使われた。戦国時代になって、秦は中原の青銅器の形態を積極的に取り入れるようになったが、盉もまた例外ではなかったという。
異国のものをどんどん取り入れて我が物にしていく、その勢いが広い国土の統一に繋がったのだろう。
『中国の古鏡展図録』は、羽状獣文は青銅祭器の文様として発達した龍形文様の羽状飾だけを強調した文様である。このような羽状獣文地をもつ鏡が前4世紀~前3世紀にかけて長江中流域を中心に大流行したという。
その羽状獣文が簡略化されてできたのがこのような羽状文だろう。
もっとも、私には大きなクチバシの鳥が翼を広げようとしている図に見える。
ともあれ、根津美術館の村上コレクション受贈記念の「中国の古鏡展」をもとに、羽状獣文から渦雷文、そして雷文へという記事を作ったが、上の方壺と共に、その中に入れたいような文様だ。

蟠螭文鏡 鏡のなかの天空
青銅 径11.5厚0.4 秦時代(前3世紀) 出土地不明 陝西歴史博物館蔵
『始皇帝と大兵馬俑展図録』は、姿を映す表面は現代のガラス鏡と同様、何も文様がない。材質が青銅でありながら地金が銀白色を呈するのは、錫を多めに含ませたからである。その目的は表面を白く輝かせることで、光をより反射させて姿がよく見えるようにするためである。
本鏡は鈕の周囲に無文帯が、その外側に文様帯と弧を連続させた「連弧文帯」がめぐる。文様帯は渦を巻く「雷文」を地として、C字形の文様12個を内外交互に向きを変えながら配置するという。
青銅鏡は日本のものも含めいろいろと見てきたが、姿を写す側というものは見たことがないような・・・ ブロンズ色の表面を磨いて姿が見えるようにしていたのだと思っていた。
青銅鏡がすべて銀白色というわけではないが、この鏡は遠目に見ると随分新しそうに見えたが、それは全体にブロンズ色でも緑青色でもなく、銀白色だったからだろう。
同書は、このC字形文は龍の仲間「螭」が身体を曲げた姿を簡略表現したものとされている。つまり、この鏡は雷雲とともに現れる螭、いいかえれば、当時の人々が天に期待したイメージを主文にしている。蟠螭文鏡は連弧文とともに、戦国時代末期から秦時代の頃に成立し、前漢時代の銅鏡に継承されていったという。
根津美術館の「中国の古鏡展」では、秦時代の青銅鏡は地文が浅かったが、このようにくっきりとした渦文もあったのだ。

鉦 軍の動きを統御する鍾
青銅 高27.0 秦時代(前3世紀) 西安市臨潼区秦始皇帝陵1号兵馬俑坑出土 秦始皇帝陵博物院蔵
同書は、鉦とは柱状ないし筒状の持ち手がついた鍾の一種である。これを片手に握り、鎚で叩いて進撃・退却などの命令を部隊に伝えた。
1号兵馬俑坑では、これまで3点の鉦が軍を指揮するための複数の車両にともなって出土した。鉦のほかに、7ヵ所の指揮車の輿でほとんど朽ちて原形をとどめていない木製の太鼓も発見された。中国古代の兵法書『尉繚子(うつちょうし)』勒卒令に「太鼓を打てば『進め』、重ねて打てば『攻撃』。鍾を敲けば『止まれ』、重ねて敲けば『後退』」とあるという。
鍾の部分は正・背面に螭(ち)という龍に似た架空の動物が絡み合う文様「蟠螭文」を飾るという。
どのように見ても蟠螭文はわからなかった。実測図の蟠螭文もどのような文様だったのか頭に描けない。ただ地文はなかったことはわかった。

いざ会場に入って解説や出土物を見ながら進んでも、兵馬俑も銅車馬もなかなか現れないのだった。しかしながら、展示品だけでなく、各所で示された説明などが、非常に心地良く伝わってくる。作品名に加えて、その特徴をよく表したサブタイトルが良かった。

    始皇帝と大兵馬俑展1 満を持した展覧会
                              →始皇帝と大兵馬俑展3 銅車馬

関連項目
中国の古鏡展3 羽状獣文から渦雷文、そして雷文へ

始皇帝と大兵馬俑展8 陶鍑
始皇帝と大兵馬俑展7 繭形壺
始皇帝と大兵馬俑展6 馬の鞍
始皇帝と大兵馬俑展5 銅車馬と壁画の馬
始皇帝と大兵馬俑展4 銅車馬と文様

※参考文献
「始皇帝と大兵馬俑展図録」 2015年 NHK・朝日新聞社
「秦始皇陵兵馬俑」 秦始皇兵馬俑博物館編 1999年 文物出版社
「始皇帝と彩色兵馬俑展図録」  2006年 TBSテレビ・博報堂
「図説中国文明史4 秦漢 雄偉なる文明」 稲畑耕一郎監修 劉煒編著 2005年 創元社