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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/11/03

白鳳展4 金龍寺蔵菩薩立像 


白鳳展では木造の仏像が気になった。

菩薩立像 白鳳時代、7世紀後半 木造・漆箔・彩色 像高47.6㎝ 奈良金龍寺蔵
『白鳳展図録』は、頭頂から台座(最下段の丸框を除く)までをクスノキの一材から彫成し、左手首先や右手の肘から先などは別材(現状後補)製としている。
文殊菩薩立像(六観音のうち)に比べてさらに顕著な幼児の体型であり相貌だが、胸飾りの形式、また裙の衣文や折り返しのかたち、同じ工房での制作と考えさせる。
顔の正面に対して足先が明らかに左方を向いていることは、本像が独尊像ではなく三尊像の左脇侍であった可能性を考えさせよう。寺伝では観音菩薩とされることを考慮すれば、飛鳥阿弥陀三尊を構成していたかとも想像されるが、もとより確証はない。
白鳳期に流行した童形仏のなかでもとりわけ愛らしい姿をもち、多くの人々に賞される魅惑的な尊像であるという。

同書は、肉身部はいま肉色に彩られ、着衣にも美しい彩色文様が認められるが、光背とともに、鎌倉時代中期の所為と見える。子細に観察すると左脇腹部の肉色彩色の剥落部に漆箔がのぞき、当初は六観音像と同様に漆箔像であったと認められるという。
そう指摘されると、裙の截金や彩色の文様が白鳳期らしくない。
こんなに童子っぽい姿かたちなのに、背後に回ると、意外なことに背筋がきりっと凹み、背中や二の腕が肉づきよく造られているのだった。

同書は、法隆寺献納宝物N-179とは、像高や手勢、裙折返しのかたちを除けば細部形式まで酷似しており、その一致は後頭部の髪型や裙の打合せといった背面の造形にも及ぶ。両者は、同時期にごく近い環境で制作されたと考えてよく、素材や技法の相違を超えて、金銅仏と木彫仏の作者が密接な関係にあったことを物語る事例として見逃せないという。

観音菩薩立像 白鳳時代 像高30.0㎝ 銅造・鍍金・彩色 法隆寺献納宝物N-179 東京国立博物館蔵
背筋の凹みまで表現されるなど、よく似ている。
また同書は、表面には鍍金のほか頭髪に群青、唇に赤色、眉・瞳・口髭に墨をほどこしているという。
色についてはわかりにくいが、このことは、金龍寺菩薩立像もまた、制作当初は同じような彩色が施されていたことを推察させる。

それにしてもこの表情。穏やかというか、眠そうというか。
そう感じるのは、黒目が表されているからかも。しかしながら、観音菩薩立像(N-179)には、細部までよく似た造形とはいえ、この表情がない。
以前に東博で法隆寺献納宝物の仏像の中で唯一木彫の如来立像(白鳳期)にも黒目が描かれていたので、今まで気付かなかったが、仏像に黒目を描くのは一般的なものだったのだ。
双髻は互いにくっついているが、髪の筋が太くて深い。
髪を押さえる紐状のものに、正面を少し外して、蓮弁のようなものが残っている。これは化仏の坐す蓮台の名残では。だとすれば、寺伝にもあるように、観音菩薩でよいのでは。
頭部右側
正面から見ると、髪は均一に筋が入っているように思えたが、側面から見ると、髻は ここ
髪が一束、耳朶の上をくるりと巻いているが、その先はどうなっているのかわからない。
髪の輪っかから続いているようにも見えるものは、頭飾の断片と思われる。
どうせなら、頭飾の残っている左側の図版にしてほしかった。

          白鳳展3 法輪寺蔵伝虚空蔵菩薩立像
                         →白鳳展5 法隆寺金堂天蓋の飛天

関連項目
法隆寺献納宝物の中に木造の仏像
白鳳展7 薬師寺月光菩薩立像
白鳳展6 法隆寺金堂六観音像

※参考文献
「開館120年記念特別展 白鳳-花ひらく仏教美術ー展図録」 2015年 奈良国立博物館