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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/09/13

アギア・ソフィア大聖堂のモザイク5 聖母マリアの顔さまざま

アギア・ソフィア大聖堂の後陣モザイクは様々な位置から見ることが出来るが、いずれも遠いのと、後陣が曲面であることから、なかなかピントが合わなかった。
ひょっとしてマリアの顔はテッセラが剝がれ落ちて、フレスコで補修してあるのではと、写真を見て思ったくらいだった。
しかし、やっぱりモザイクだったことが『天使が描いた』の図版でわかった。

後陣聖母子像 870年代。制作年代については異論もある。それについてはこちら
後陣は背景の金地もテッセラが隙間なく並んでいるが、このような顔などの描写には、もっと細かいテッセラを使って、まるで絵画のように描いている。
南玄関階上廊部屋デエシス 870年代
顔の方は衣服に使ったテッセラよりは小さいものを使ったようだが、元の画像が小さいので、解像度が悪い。
それでも、後陣のマリアと同時代に作られたとは思えない。イコノクラスム期に素人が隠れて造ったものが、後の時代に発見されたものということなら、納得できる出来映えだ。
内ナルテクスのリュネット、玉座のキリストとその前にひざまずく皇帝
皇帝はバシリオスⅠ(在位867-886年)ということで(『天使が描いた』より)867年以前とされる後陣のマリアよりも後に制作されたものだ。皇帝が一般的に言われるようにレオンⅥ(在位886-912年)であるとしても、後陣よりも後の制作ということになる。

マリアはキリストの右側の円の中に両手をキリストに向けて登場する。
顔を構成するテッセラは幾分か金地のテッセラよりは小さそうだが、後陣のマリアに比べると、表現力の差は歴然としている。首に多少の陰影表現があるくらいで、頬などはピンクのガラステッセラが作れなかったのかと思うほど、色彩に欠けている。
南玄関リュネット、聖母子とコンスタンティヌス、ユスティニアヌス帝 10世紀末。
顔の部分がテッセラの粒が見分けられるほどの図版がないのが残念だが、洗練された人物の表現はさまざまな感情移入を可能とする(『天使が描いた』より)という。
右目の瞳が目の輪郭よりも上にあるように見えるが、ほぼ正面を向いている。両側に皇帝が配されているので、片方だけに顔を向けるわけにもいかなかったのだろう。
南階上廊東壁、聖母子に寄進するヨアンニスⅡコムネノス、皇妃イリニと息子アレクシオス 1118-22年頃
両側の皇帝や皇妃と比べると隈の表現もある。
南階上廊南側、デエシス
ラテン人の手から首都を奪回し、ビザンティン帝国復興がかなったことを記念して、ミハイル8世が描かせたとして13世紀後半の制作と考えられている(『世界美術大全集6ビザンティン美術』より)。
最後の審判で、一人でも多く天国に行けるようキリストをとりなしているにしては、あまり希望のもてない表情だ。
午後にならないと光がマリアの顔に当たらないせいか、キリストの顔よりも黒ずんで見えるのが残念。
このように顔をアップで見ていくと、例えば目の上の赤い線など、不自然な色が差してあったりするが、ある程度の距離をおいて撮った写真で、それが効果的に配されたものであることに気づく。
もっとはきっきり見たいという思いで、できるだけアップに撮ろうとしてしまうが、実際にはあまりアップで見られないので、このような差し色はよくわからない。

※参考文献
「NHK日曜美術館名画への旅3 天使が描いた 中世Ⅱ」(1993年 講談社)
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」(1997年 小学館)